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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2014年08月20日
仕事の現場で、教える人の努力よりも教わる人の努力が大事なのだろうと思う。見様見真似というのは本能の一つだろう。これが案外大事で、仕事のできる人というのはとにかく知らなくても同じような動きをすることで仕事をこなす。

仕事を二人に教えて、一人は出来て、もう一人が出来なかったときに、別に何も厳しくいっているわけでもなかったのに、泣けて泣けて仕方なかった人がいたが、自分自身何事もうまくこなして来た人が自分が出来ないという恥ずかしさを大人になって始めて経験したからだろう。最初はこんなことで自然に泣けてしまって弱い子だなあと思ったけども、仕事ができないことをそれほどまでに恥に思えるほど、その子は正しくそれまで仕事してきたのだということ。昼休みにしたが、昼休みを自分で返上して追いついた。仕事が出来る人は、出来ない仕事を出来るようになる力を持っているものだ。

日本の繊維業界のピンチは、現場で働く人の少なさ。また、実際に仕事が出来る人の少なさで、仕事を準備してもらわないと自分の仕事も何をしてよいのかわからないというレベルでは正しく仕事をできることも少なくなる。
2014年08月19日
ものづくりのことを考えたりしている中で、それは荒れ狂う世界情勢の中で幸せなことだなあと思えるが、結局はそういうことを大事に育んでいけることが大事で、平和な世の中においてもそういうのどうでもよく損得だけみたいな基準で戦いあうみたいなことなると、平和な繊維の世界というのも荒れ狂う世界情勢とかわらんのだろうと思える。

大の大人が繊維のような世界で必死になっているのは、馬鹿げていることなのだろうと思うかもしれないが、もう80歳ほどになられる染工場を廃業された方と電話でお話していたときに染に命を掛けていたといわれるのを聞いてそこまでの気持ちで仕事をしてもらえていたことにありがたい気持ちになる。

荒れ狂う世界情勢もモラルの戦いではなく、裏では利害関係の対立が見え隠れし、安全なところにいてテロを煽ることで莫大な金を得るために、たくさんの命が踏み潰されているのを感じる。イラク戦争でも数兆円の利益を上げる企業が存在するが、やはり戦争というのはテロそのもので、人を恐怖心に追いやり、死に追い詰めることで、国を成り立たせる国家規模のビジネスなのだろうと思う。

育める人が少ない国というのは、育める人が多い国に追い越されがちで、法律や制度を作り上げてその力関係が逆転しないように正当化するが、働かない国というのは自分の立場を守るために戦争というハチャメチャな力に頼らざるおえなくなるものだ。先進国がしっかりと働いて育めるような力をもっていれば、途上国との力関係の逆転現象は起こらず、戦争も減るだろうと思う。
2014年08月18日
今日は盆休み明けのところが多いだろう。今年の夏の行事というのは雨で多くが流れたところも多いと思う。昔は天気次第で順延ということが多く行われてきたが、今は、伸ばすことを嫌って雨の中でも実行したりすることが多い。これも人の行事に対する気持ちの重さの移り変わりがあろうといえる。

このお盆中、シャトル織機でリネンを織り続けた。付きっ切りで織って1時間およそ2mほど。でも、シャトル織機で織っただけにふっくらとしたパンのような生機に思える。縦糸も10%くらいは余分に織り込まれる感じ、レピアだと通常5%くらいの織縮みだろうか。同じ企画で5%の違いというのは案外大きいものだ。横もゆったりとした糸が斜辺的に打ち込まれるので3%くらいは多く使われると思う。シャトル織の目に見えない贅沢。

こういう織物が作られ続けてもよいと思うが、一番の要素は人という要素だろう。私もお盆なしに夜寝ないで織ったのでなんとかなった話である。普通だと3倍くらいは時間が掛かってしまい、なかなか成り立つ話ではないのだ。今は昔とは違う、昔はみんなが無理し合ってピンチを乗り越えることができて、そこに仕事が生まれたが、仕事が生まれてしまうこと自体がマイナス要素に言う人が多い。

そういう人にはこういうふっくら感というのはまったく意味のないことだろうが、私自身、普通とは違った目で仕事を見ることができるので続いているのだろうといえる。仕事自体はそれほど難しくないが、人の問題こそが大変というのがどこでも聞かれる話。
2014年08月17日
日本は、普通のビールがぜいたく品になってしまった国で、これは国策の失敗の一例なんじゃあないかと思う。結局、安いものにどんどんと代替されて、日本のビール売り場に溢れているもののほとんどが二流品。途上国でも、ビールくらい本物が普通に手軽に飲めるのではないだろうか。

それとは全然別の話だが、林与もビール、本物も偽物も含めて普段飲むの止めようかと思う。水、お茶、とかで十分いいんじゃあないかと、思い始めた。特別の時には、飲むのはオッケーとしておいて。家にも無料の地下水があってそれを体が楽しめないというのは、体が病んでいる気もしないでもない。水もそのまま飲むとおいしくないが、ビールも同じで、冷やせばおいしいのだ。

年をとってゆくときに自分で存在を消していくことって大事だなあと思うのは、お寺の90歳を超えた大和尚が朝4時に散歩されていたのをみて、りっぱな生き方をされているなあと思えた。それが次の世代の活躍の場を生み出すことになる。

私がビールを普段飲まなくなったとしても、ビールくらい気軽に飲める国であってほしいなあとは思う。ビールを飲まないなんて宣言、ビールを普段飲まない人からすると馬鹿げている程度の内容だろう。子供からみても。
2014年08月16日
今日は雨の一日、午後に落雷を伴う強烈な雨。でも、今日は地蔵盆が行われるようで車でお地蔵さんの前を通るとみんなが準備している。旧の豊国村地区というのは東円堂にしろ豊満にしても地蔵盆の行事が全国的でも力も掛からずに地元行事として本格的に行われ続けている地域だと思う。

お地蔵さんというのは基本、お寺の管轄?なのだが、なにもお寺が口を出すわけもなく、集落の行事としてというよりも、それぞれの地蔵さんごとに独自に運営がなされて行われている自然行事に近い。

開催されるのが16日というのは、昔からすると1週間早い、昔は23日辺りの土曜日に行われていた。お盆の帰省の人たちもまだ残っているので、よりにぎやかに開催できるということで盆と絡めての行事に最近動いてきたのだろう。親が手伝わないといけない部分もあって、盆と一緒のほうが親が手伝いやすいということもあるのだろう。物事というのは取り決めよりも、自分たちが決めて臨機応変に続けていく形が一番長続きする。

織物の仕事は考えてみると毎日が地蔵盆のような感じ、あれこれ準備して布というものを作り上げて、続けるも辞めるも自分次第だが手織りの時代から形を変えながらずーっと続いているのだ。子供の遊びに思える地蔵盆のほうが力強く引き継がれているのを思うと、仕事というのは本質的に損得勘定が先に立つから目先に終始して続かないんだろうなあと思える。

夜は大雨になり、今日の地蔵盆開催されるも、楽しみにしていた子供たち、参ってもらえるお客さんも少なく可哀想。でも、すべてがいつもうまくいくことばかりじゃないというのも当前に受け止められることも大事。そういうの子供のうちから身につけておかないとあとから備わることは少ない。
2014年08月15日
新しい経糸を繋いで織ろうとするが、それまで問題がなかった織機に、横糸が切れていないのに横糸切れの信号が10cmほど織ると起きる。急ぎの仕事なのだが、どうして?この問題を直すのに、センサーやテンサーの調整、捨て耳の具合。問題がないと思うのに10数箇所の微調整。正しく動いていた織機に調整を掛けるのだから、逆にバランスが崩れてしまう可能性がある。

3時間ほど調整を加えて、横糸の別の番号のピッカーが出ていることがついに判明。2本2本のドビーのフィルムカードにテープを張って横無地のカードに作り変えていたものが、テープを継ぎ足してやったものだから、そのテープの隙間に針が落ちて、その下に穴があって、別の糸のピッカーが出て糸切れ信号が出たというお粗末な原因、簡単な仕事なので口頭で説明して準備してもらった。

作業は慎重にしないとほかに影響を及ぼす。こういう張り合わせ的な仕事で満足している人というのは、見本のときも手を抜いて作って、本生産のときに正しくものが作れないというケースが多い。私自身思うのは、織るという仕事は修理から調節、そして正しく織ってまでできて、初めて一人前なのだろう。

繊維のように工程が多い流れの中で、一つの区分された作業が上手だからというのは、本当に無意味に等しいのだが、そういうところに評価は行きがちで、何人もの人間が手を掛けて、一つ作り上げても、それで食べていけるのだろうかという問題に繋がりやすい。
2014年08月14日
今日は仕事の合間に、近くのショッピングモールの休憩場所で、同級生に出会った。お盆で兄弟の皆さんも一緒で懐かしいなあという出会い。そのお家も産業分野は違うものの会社を経営されていて経営という部分で考えること多いのは同じ。

林与の仕事にしても、他の織物の会社が面倒がってできないことや失敗するリスクの高いことをやったり、一回一回が冒険のようなところ。私自身は、自分がやると決めたことは誰に相談することもなく実行できるというのが一番の強み。

自分の会社の長所、短所を考えたときに、他の会社と違うところが良いも悪いも結局は長所。それを短所とするか長所と思うかだけのこと。たとえば、海外からリネン生地なんていくらでも安く買えるのに、敢えて自分自身でそれなりにものづくりの苦労を味わいながら作り続けることが他にない一番の長所だろうと思う。

今は小学生の子供のほうが大人よりも能力高く日々競争に晒されて大変なんじゃないかと思える。たとえば、小学生がミシン初めてでも1時間の間にカバンも作れるようになる必要があるが、大人がそれできるのかというとミシン一ついつまでもできないままとか。地場産業が衰退する要素の一つがこのたとえ話、素人の人でも手で織って縫って最終の製品を作ろうとする人がいるのに、仕事としてやっている人の中にそういう人がいるのか?そんなのを考えるときに、織機なんかでも当たり前に自分で直すくらいできないと仕事しているとはいえないぞと、自分にハッパ掛けながら取り組む。
2014年08月13日
シャトル織機の立ち上げ、なぜか糸が緩んで織れない。数メートル織ると緩んできて、また、最初から織りなおしみたいな感じ。ギアも普通なのだが、すべて調整できるところを調整したつもりが、まだ、糸が緩むのだ。完璧に揃えたつもりの調整を今度は崩して改善しないか考える。これはほんと駄目な調整、自分の中の正しい調整の基準が揺れ動く。

結局、問題点は見つかった。消極的な重りを掛けてビームの糸を送り出す方法から、より安定したギアでの送り出しに変えたときに、取り付けたギアにかませるフリンジのネジの一つが緩んでいて、フリンジが空回り状態で、織り込まれるときに余計に縦糸が出てしまって糸緩みということ。シャトル織機は何事もなかったかのように調子よく動き出す。

レピア織機の横糸の糸の引渡しがうまくいかない織機があって、これも、予備に取っておいたレピアのガイドを交換してみるが、若干の改善にとどまり、結局、壊れたレピアヘッドをなんとか修理して対応。全体的に長年使い込んでレピアバンドが消耗しているからか、レピアがまっすぐに走っていない。レピアヘッドの形状をいじるよりは、レピアバンドを新しいものに交換することが解決策になりそう。

別の織機はカッターの問題、捨て耳カッターがうまく切れないので調整を加える。これは初歩的な調整。織機を動かそうとすると、いろいろとトラブルに見舞われる。こういうのを次々と解決する力がなければ織物工場を動かしていくことは難しい。解決するためには、手は油だらけになるけれども、ネジ一つ閉めるのも手の感覚は大事。

夕方から、レピアで織っている本麻の横糸の色出し、パープル系の4色の色を選んだ。自分がよいと思う色味を出す。実際、自分で織り出しして見て、イメージと違うときには補正を加える。今織っているのは自作シリーズ、自分が見て綺麗と思えればそれでよい。
2014年08月12日
今日は、ストールの房つくりの段階でプリントの問題に遭遇。プリント工場の現場も精一杯やっていてこの状態であるのだと思う。プリント工場に対応を丸投げして要求するよりも、こちらで改善方法を考えてそれを現場で実行してもらうのが一番改善の近道かもしれない。

精度の高い仕事を淡々かつ坦々とできるのが職人だろうと思う。それゆえ職人というのは作業に没頭しているような状態が多く、作業に口を挟んだりすると、反発するようなタイプも多い、それは職人として黄色信号。やってもらえる仕事がどんどんと減っていき、どんどんと仕事についていけなくなるものだ。

全体を見渡してベストを考えることができる職人でないと、最終商品になったときに問題が起こらないように自分の仕事を見ることができるタイプでないと、周りが本当に苦労する。職人の資質としては、正しいことを素直にできることが一番大事だろう。

中でできることはなるべく無理をしてでも進めていけるが、外の世界は思い通りに行かないことが多いのも当たり前かもしれないが、同じような気持ちで動いていただけるようなチームを作り上げることが、一つ一つの仕事を成し遂げていく近道だろうと思う。

2014年08月11日
台風過ぎて気温が下がって、お盆前にもう秋なのか?でも、まだ汗がにじむような感じで、秋の透き通った空気ではないように思う。

このお盆は9連休という会社も多いのかと思いきや、11日、12日は営業しているというところが繊維以外でも多い。地道に仕事をこなして行かないとならない立場の会社多いのだろうと思う。お盆というのは不思議だ。8月15日は終戦記念日だが祭日ではない。日本にとっては敗戦で祝祭日と呼ぶべきではないからだろうが…。

地蔵盆の準備も始まって、子供たちが包含をもらいに家々を回る。親が付き添って、子供だけだと危険だということだろうが、昔と違って親の支持にしたがって回るようなことになる。親が口を出さずに遠巻きに見て6年生が下級生の面倒をみて全てを仕切るのが一番よい形だと思う。

今日は、5号台のアンダーモーションのチェーンが何本か切れてしまって、アンダーモーションの修理と交換。ビームを一度下ろして、隙間から機械の中に入って交換作業。大した作業ではないし、私も立ち会った記憶はあっても教えてもらった記憶なんてない、一回すれば次からは自分がやるという覚悟が必要。仕事なんてそんなもので、自分がやるかやらないかというところ。
2014年08月10日
午前中は、台風が過ぎるタイミングにでしょうが、土砂降りで、そのタイミングに倉庫に糸の在庫の確認に行ったところ、屋根が塗炭なので2Fで探し物をしていると大演奏。建物って不思議に長く持つものだなあと。この倉庫は、おじいさんの頃に300万円で建てたという話。もう半世紀以上。

倉庫の中には使わない糸も残っていて、ナイロン巻きの糸は思い出深い。私が一生懸命に使い切ろうと思って在庫を調べながらなんとか最後の注文で糸も少なくなってうまく糸を使いきれたと思ったら。先代がまた糸を染めてナイロンを巻いて1トンの糸作った。作ったが需要も過ぎてまったく使わずに眠ったまま。この糸の40ケースだけでも一つ倉庫を建て替えられるほどの在庫。良い時代のものづくりというのはすべてが簡単でそんなもの。

それでも、よい時代にものづくりをしたので、今の時代に手に入る以上に、いろいろな良い糸が残っているのがまだ救い。120番手のキヌアサの糸なども5ケースほど残っている。糸が細いというだけでなく、昔の糸は完璧さが違う。この糸にしても50年以上昔に紡績されたものだろうと思う。アイリッシュリネンの140番手なども、今の150番手と同浴で染めて使ってみたが、アイリッシュリネンのほうが糸が強い。現行の150番手は弱い。

在庫の糸を見ると何をどの糸で作っていたのかが分かるので面白いといえば面白いが、織物の会社でこれほど糸の残っている会社も珍しいだろう。が、今の時代には、同じことをやったら駄目で、直さないといけない部分でもある。
2014年08月09日
お盆休みに入りましたが、それよりも台風11号の暴風雨が日本を襲う。滋賀県はまだ比較的台風の影響の少ない場所にいるんだなあと思う。母親の親元が比較的琵琶湖の近いところにあり、子供の頃というのはダムが無かったこともあってか、台風の影響が今以上にあったが、親元の人というのは台風には慣れているようで、台風の次の日には、朝から忙しそうに田んぼや水路に上がってきた鯉を探しにいく、農家でも60cmほどの鯉が捕れるのだ。

母の親元と言うのは家の中に外の水路とつながったイケスがあって、大きな鯉が20匹ほどは泳いでいた。親戚が集まるお盆などにはその鯉を一匹上げて甘煮にするというのもあった。親元のうどんは家のうどんよりも10倍は甘いのが不思議で、当時子供の私にとっては家のうどんよりもおいしく思えた。

母親のお母さん、すわなち、私の母方のお祖母さんも強い人で、近所の夏祭りの金魚すくいで小さいのしかすくえなくても、金魚すくい担当の若い兄ちゃんに、この大きいのとこの大きいのタイ(頂戴)といって、一番大きな2匹が自分の袋に入ったのは子供ながらにうれしいというより複雑な気分だった。お祖母さんが、私には見せない厳しさをほかの人には見せたのを見たという部分にそれを感じたのだろう。昔の人というのは強く生きないと生きていくことすらもできないのだ。

一方で、支え合って生きていくことが許された時代でもあったのだろうと思う。親戚が困れば、家族のために貯めたお金を親戚に融通するのも普通だった。今でいうと歯止めを超えた支援というものができたのが生きていくのが苦しかった時代。逆に、親戚の人のつながりを強める働きをしていたのだろうと思える。

現代というのはオブラートに厳しさを包み込んで厳しくないように見せているだけだろうと思える。ゆったりとした考えの人が多い中でそれでは成り立たないので誰かがそれを補って働く必要が生まれる。繊維業界においてもそもそも昔のような需要がないのだから、需要にしても生み出していくしかないのだが生み出し育てようなんて考えることができる人というのも供給側には少ないのだ。
2014年08月08日
今は、お盆休前ということで外の世界がお盆休みに入る前に駆け込みで仕事を頼んでおかないとという状態です。お昼一番に加工出しを行った後、お昼過ぎからは京都のプリント工場、急ぎのプリントの案件を何点かお願いいたしました。夕方、彦根に行こうとしたのですが間に合わず。

この数日も走馬灯のように過ぎていきます。体が暑さには慣れたのか、連日35度近いですが、以前ほどは暑く思えず涼しいくらいで、以前ほどは水をがぶ飲みしなくても済むようになりました。

最近、パンチカードのシリンダーの中の、ガイドのネジが緩んでずれる問題が多発。何年もそんなことはなかったのに、なぜなのだろうか。暑いから鉄が膨張して夜になると冷えて縮むことで、ネジが緩んでしまうのだろうとか思ったり。誰が悪さをするわけでもありませんが、いろいろと注意していないと正しい布は作れず、なにもかもが自分の責任として降りかかってきます。




2014年08月07日
今日は夕方大阪に生地を車で納品、日差しが暑く、夏真っ盛り。

昨日、テキスタイルマルシェ事務局から、この8月22日(金)-23日(土)に行われるテキスタイルマルシェのご案内が届きました。

DMの表紙もかっこよく、「生地は人が作る、だからこそ人にちゃんと届けたい。産地直送!作り手が自ら販売する生地のイベント TEXTILE MARCHE」とあります。

今回のテキスタイルマルシェは会社の生産がタイトで林与は出展させていただいておりませんが、全国各地からこだわりのメーカーが集合しておられます。

出展企業は、

行方工業: シルク 山形
福田織物: ジャガード 静岡
一色テキスタイル: ちりめん 京都
昇苑くみひも: くみひも 京都
松尾捺染:プリント 大阪
島田製織:先染め 兵庫
多可町商工会:先染め 兵庫
アッシュファブ: プリント 和歌山
クロキ: デニム 岡山

ゲストとして4人のクリエイター 
途中でやめる http://tochuyame.thebase.in
nusumigui http://nusumigui-himitunokiti.blogspot.jp
旅する服屋さん メイドイン http://secorisou.blogspot.jp/2014/04/blog-post_7.html
Knittingbird http://knittingbird.com

京都五条周辺は、先日、車で通りかかりましたがよい感じです。五条大橋周辺もよい雰囲気で歩けますので、ぜひ、この夏京都に脚をお運び下さいね。
2014年08月06日
職人というのは仕事しているときに張り詰めているかというと、慣れでやっているのでそれほど神経を使っていないものなのだ。単純作業に慣れて惰性でやっているようなところがあるので、正しくない手順に慣れたり、キズなどに無神経であることに慣れてしまうと改善するのが難しい。

昔、林与の工場内でも、縦の糸の通し違いなどが多いのと加工前に反物を下ろして全滅みたいなケースが重なり、これでは仕事していてもやり直しばかりで大きな損が出て駄目だと思って、私が、織機の上に赤い字で「確認」と書いて貼ったら、次の日、当時の工場長がすごく気に入らないという態度をしたのだが、それは工場長だけでなく、何十年も惰性で仕事をやって不良などの大きな問題すらも見えなくなっている職人というものは、概してそんな程度の品質意識だったりする。また、田舎は年功序列みたいな風潮があるので、仕事であっても正しいことが通らず、通そうとすると逆に邪魔をするような村社会的な要素が働くものだ。そういうの気にしてては、仕事なんてあきらめたほうがよい。気にせず、しっかりとしたモノづくりを出来る人がやるしかない。

仕事の本質が見えないことも多い。私が始めて会社で仕事をしたときにも、私自身の仕事に対する考えというのは今とそれほど変わらないのだが、伝統工芸師の勘一じいさんでも70ともなれば仕事がおぼつかないところがあるが、私の言うことを正しく聞いて動こうとしてくれたところが職人としては素直さというのは一番価値のあるところで、変に自分をもって全体が見えなくなる職人の仕事では正しいものが出来ず、その職人を食べさすことすら難しいものだ。

本来、経験を積んでいるといろいろな手段や方法がみえて、その中でベストな方法を選ぶということができないとならないのだが、惰性でやっている職人というのは複雑に考えるのは苦手で自分の一つの方法しか認めない。それがうまく行かないと仕事自体を成り立たないものと結論付けてしまう。自分のやり方でしか仕事をしたくないとか、人のいうことを聞いて仕事をするのが嫌とか、目の前の仕事をどう成し遂げるかよりも、職人のプライドの問題が勝ってしまうことも多く、プライドの高い職人は自分が天狗になれる場所を捜して満足しているので腕が低かったりもする。仕事にプライドを持ち込まず、何でも進んでやってみるタイプが一番仕事も上手。
2014年08月05日
売れるものを追うモノづくりというのは、一つの王道で、たとえば、綿がブームとなれば、綿のものを、レーヨンがブームとなればレーヨンを、麻がブームとなれば麻を、ハイテク繊維がブームとなればハイテク繊維をというようなモノづくりになるかと思います。

林与は麻にこだわったモノづくりなので、売れるものを追っているわけではないのです。年中麻を織っていますので、閑散期と繁忙期が生まれ、閑散期にはサンプルを作ったりするので、会社は仕事をしても逆に持ち出しが多く大変だったりします。それでも、強みを持っていることは大事で、林与というのは麻を織ることを基本としているので、同じ麻を織っているところがほかにあっても、林与の麻を使いたいといってくださる方が多いのもありがたいことです。

40年前の麻ブームの終わった後も、麻を織り続けましたが右肩下がり、一世代終わってやっと麻人気が復活してきましたが、産地はまだ世代交代が進んでおらず、同じ麻ブームでも昔とは違う流れであるということを理解できないと難しいのです。

先染の林与といわれるほど先染には強かったのですが、私が社長となってからは、いろいろな麻糸を、無地かつ平織で織ることに相当の時間を費やしました。私自身が「青の時代」と呼ぶその意味。ほかの人が手がけていることの多い、平織、無地を織っても、光ったものを作れないといけないのじゃあないかという思いです。

テキスタイルデザインというと、色柄の世界に入りがちですが、それだけじゃない。糸を織るという基本のところから見つめなおす。何千本の糸を繋ぐとか、やり直しに何十時間も費やすとか、織れない糸をどうやって織るのとか、平織、無地の世界にも奥の深さと味わいを求めつづけてみました。

ほかの人に頼んででは、頼まれた人の限界というものがあるので、自分自身で織ってみて、自分自身が納得のできる麻織の限界を知ることのできたことは貴重。でも、こういうのって外の人は期待してくれていても、中で働いている人にとっては不評なのですが、そういう人の問題を気にしていては、自分が仕事をするときにしっかりと大人の判断ができないだけのこと。地場産業って年功序列的な変な壁が多いので世代が下がるごとにどんどんと経験も少なく落ちていく、それが一番問題だろうといえる。
2014年08月04日
今日は午後から会計士の先生が来られ、弊社の会計業務に関するアドバイスをいただく。やはり、コンピュータ会計というのは、仕分けの断片を入れるだけで、試算表や損益計算書の全体が出来上がるので便利だなあと思える。

林与のできることはできる限りやってみるスタイル、やることは手一杯で大変だけども、いろいろなことに挑戦をすることができて、同じ繊維の仕事にあっても刺激的な部分も多い。繊維業界においてもバブル崩壊後、デフレの中で、高品位なところほど廃業に追い込まれたというような経緯もあって、製造工程のいろいろな部分で不安な要素が潜んでいて、よほど注意していないと、新しいものを作って本生産に移ろうとすると、2回に1回、3回に1回は失敗するリスクがあるのではないかと思うほど、業界としては脆さがあり、あまり新しいものに挑戦するのが得策ではないということもあろうかといえる。

新しいものをつくっても売れるのは、10に1つか2つなのだ。普通に仕事して成り立たせようとすると、よほど能力が高くないと採算は合わないだろう。林与自身もそれほど能力は高いわけではなく、相当時間を使って経験を積むことで最終形を見つけ出すということを毎回やっているので、10のうちの8の売れないものでも売れそうな感じにはもっていけていると思う。そういう努力が、ものづくりのセンスらしいものにつながるんじゃあないだろうかと思う。

やっているうちにいろんな答えが見えてくるもので、それは単なるものをつくるということだけでなく、仕事というものは何かとかも一つ、普通の人の考える仕事という概念とは違う概念で仕事を考えているので、ものづくりも変わって、出来上がるものも違いが生まれるのだろうと思う。さらにいえば、仕事にとどまらず、人間関係や人が生きるとは何か、という哲学的な部分にも普通とは違う答えに辿り着くであろう。それがよいか悪いかは別として、普通の生活をして普通のセンスでものをつくってそれが売れるものになるのかというと違いが見えてこないに終わるだけだろうと思う。
2014年08月03日
この数日掛っきりになってしまっているシャトルの1号台。リネン100番手の2重織、手ごわい。糸の入手の難しさから通常は使わない銘柄の100番手を使用、やはり、織るのに糸が頻繁に切れるトラブルがある。

麻の2重織でも、糸が60番手くらいにもなれば糸はあまりきれないのでそれほど難しくはないのだが、100番手は普通の織物でも難しいので、2重織となると危うい世界で、やはり、糸や織機のコンディションが完璧でないと大きなロスが出る。

糸切れが頻繁に起こると2重織の場合には、裏が見えないので想像しながら糸切れの処理をするが、1.5mほど織ってクロスローラーの巻き取りの部分で裏が確認できるようにならないと正しく織れているのか織れていないのかがわからないという危なさもある。

本生産に進もうとすると、いろいろと改善が必要となる。
2014年08月02日
蒸し暑い日が続きますが、先日のある1日、病院、コンビニ、スーパー、郵便局、行政の窓口の順で、買い物や手続きに行ったところ。行政機関の冷房は極端に低く20度くらいまで冷やしている様子、涼しすぎて。電力不足で節電の協力を呼びかける本体ほどこういうことありがちです。指導されている立場の行政機関の中におられる人が他人事というのはいろんなところで見受けられます。

今日は午前中、倉庫で検反物。午後は、工場の中は暑いので、シャトルの1号台を立ち上げていますが、後ろで扇風機を回えし作業です。今日は3台手がける予定であったのに、1台の繋ぎ違いを直すのに昼から夕方までかかり、夕方は出荷。

夏場というのは閑散期ながらも、今は、一年中、常に動く方向ですることを探しているので、いつも納期納期に追われている状態。多くの方が声を掛けて下さるのもありがたい。織機も納期に追われている順番にしか準備ができないので、一度にたくさん動いているわけではないのに、織機の台数に関しては足りないと思える状況。この盆前の一週間もすでにやるべきことで埋まってしまっていて、どこまでそれをこなせるのか。

今の時代も仕事はあるのだが出来る人がいないというのがよく言われる。工場さんによっては仕事がないといわれるが、仕事はあってもその工場さんではするのが難しいということになるだろう。会社のなかもそう、仕事なんていろんなことがあるけれども、それを正しく出来る人というのは本当に少ない。

いざ、目の前に仕事があると、やることは判っていても、仕事に対するやる気よりも面倒さが勝ってしまう人がほとんど。ほとんどの場合、年をとると若いときの何分の一しか仕事ができなくなるし初心者と同じで失敗だらけになる。経験があるからといっても面倒くささというのは、その経験を上回るほどに邪魔者、仕事の前で人は平等、よく出来ている。仕事が出来る人に仕事が集中して、結局、仕事ができる人というのは、出来ない人よりも、何でも何倍も仕事しないといけないので、決してうらやましいとかいう状況ではない、とは思う。

盆も仕事、それがこの5年くらい当たり前に続いている。昨年を思い出しても、突然初めての仕事に8月は費やしたのが思い出される。あれが一年前のこととは思えない、もっと昔のことのように思えるのだ。
2014年08月01日
8月になって、朝から暑い。朝の9時で30度って、朝からカレーを食べ、カレーはとことんおいしいが体中が暑くなりすぎて収まらない。9時半に彦根にキッチンクロスの納品があって、その準備をするのもまるで息を止めて水中で作業しているような気分。

彦根の帰りに糸を巻くおじいさんのところに寄ると、先日入れた糸が巻き上がっている。もう80歳近いのに仕事をしっかりとされるし、私のようなものに対しても礼儀がある、立派だなあと思える。仕事を出来る人には共通の要素があって、結局は技術や設備ではなくて、「人」という要素ではないのかなあと思う。

納品から帰ってもろもろの案件を検討。この週末は大きな山場、どこまで月曜日の加工出しに向けて用意ができるのかと、ぎりぎりのぎりぎりを考える。一杯過ぎる。午後に加工工場さんから電話がかかってきて、月曜日火曜日と仕事を休まれるということで、アパレルさんにも連絡をして生地の納期の計画を練り直す。

リネンの生成を出荷予定があって検反。横糸に色むらがあって、織り傷でなくても、これも機屋が被ってしまう。日本に紡績工場がないので商社さんにはなかなか責任が取れないレベル。小さな機屋さんならこういう糸の問題を被って潰れるケースもあるだろうと思う。

ストール関連の企画も今週動いたので生産の可能性というものを自分の中で整理できた。夕方もカーテン関連の方からお電話をいただいて、話が進むとよいなあとも思いながらも、弊社の今の手一杯な状況などもお話して少し様子を見ていただくことに。
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