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リネン日記
江戸時代の麻
2018年12月23日
江戸時代には、高級であるとされた青苧が、全国規模で大麻で代用され上布産地でも大麻が主流となってきた。この流れには逆らえず、近江上布の原料の供給元であった能登の原料も青苧から大麻化したようである。近江においても江戸時代後期の能登川地域の上布はすべて大麻とされているのもそれが所以であろう。越後や近江は江戸時代を通じて東北の良質な青苧を近江は近江商人の手で運び入れ青苧の上布をつくり続けていたのである。ほかに赤苧織物というのが青苧織物よりも上とされ、近江、越後、宮古などの上布の産地では赤苧織物は記録に残っている。今の時代に赤苧織物を再現することは容易ではない。

戦後も、上布の産地が麻織物の生産を続けられたのは、上布の産地が大麻と苧麻の両方を生産していたからだろうと考えられる。大麻だけを生産していた産地は生産を続けられなくなって、戦後は大麻栽培が禁止されたことにより、戦前に大麻織物を生産していた地域も、戦後は麻織物の産地としては消えてゆくことになった。

なぜ、青苧織物が大麻織物よりも高級とされたかというのは、青苧織物のほうがシルクのような細く繊細な織物が織れ光沢感もあるからであろう。また、上布が高級品とされるのはプリントではなく絣に織られるというところで、上布の産地に共通した特徴であろう。日本人の布への共通した価値観が感じられる。

なぜそのような高級な布への共通の価値観があったのかと考えると、それは昔はほとんどの人が織物の製造に携わっていたからということがあると思う。なぜ、近江が地麻を使わずに東北で績まれた苧麻糸を使っていたのかも、分からない気もしないではない、近江商人の存在により日本で一番品質の高い糸が手に入ることになった。原料からしても細い糸を績むには、寒い地域の東北の原料のほうが上で、雪に閉ざされる時間も長かったからであろうと思われる。