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リネン日記
コロナ対策
2020年09月04日
百貨店店内は、マスクを店員もお客様も付けているが会話なども控えめにということで、これはテキスタイルマルシェだけじゃなく百貨店のお店全体の傾向だろう。必需品を購入するコンビニよりも百貨店のほうがコロナの売り上げに与える影響は大きいのかなあという印象。

お客様も生地に関するご質問などもほとんどなく、会話を控えるような気配りをされている方がほとんどである。店員も黙って立って、お客様もほとんど黙ったままご覧になられて気に入ったものを買ってもらうというのがコロナでの一つの基本形なんだと実感する。

コロナに関しても広がっても重症者が少ないから大したことないという国のような見方があるが、今はコロナに感染しても体内であまり活性化しないのは暑いからというだけで、10月中ごろから冷え始めるとまたコロナウィルスが体内で活性化しやすくなるだろうと思える。

電車に乗っても全員がマスクしているのが当り前みたいのが、他国と違って強制する法律もなくても日本らしいなあと思える。ヨーロッパでは、ドイツ、フランスでマスク強制に対して反対デモが起こったりしているが、さらに自由を失うロックダウンが必要になるのもその辺りの考え方の違いなんだろうと思う。

林与の住んでいる田舎というのは広々としているがそれでも考え方というのは基本が密な関係をベースにしているところ、逆に今年は行事がほとんどないほどに少なく、そういうのもコロナ対策としては大事なことの一つだろうと思える。中国武漢での初動のミスが武漢の悲劇につながったが、人の我が先に立つと優先順位を間違えてしまうことも多いものである。

WHOがコロナ対策で役に立ったのかというと、マスク不要論をばらまくばかりでマスクの有効性を否定して、テロドス氏自身は、自分の失敗を認めないためにも自身がマスクをつけることはないだろう。マスク一つで救える可能性のある命も多くあったりするものだが、そういう考え方の違いが、この新型コロナを蔓延させるかさせないのかの結果の違いにつながってくる。

法的に強要されなくても自分自身が判断力を持って物事を成り立たせるということは大事だろうと思う。マスク一つで社会的な自由を取り戻せるなら、マスクというのは大きな意味があるんじゃないだろうか。体育の授業でマスクつけて熱中症というのなら、無理して集団で呼吸が激しくなる体育の授業をやらなくてもよいと思うが、考える力というのが学校という場所でも欠如している表れではないのかと思う。

子供たちに大人の都合でコロナ感染か熱中症かの罰ゲームを与えるのが体育では体育本来の健康を維持する目的すら見えておらずダメだろう。日本の体育のマスクをつけない授業はヨーロッパのマスクをつけないデモと同じレベルで、そこまでしてやる必要もないだろう。なんのための学校閉鎖なんだったのかと思うほど、物事を考えられないレベルになっているのじゃないか。

コロナ禍で、吐息が荒くなるような集団行為を意図的にやってどうする。本来はヨーロッパのように、2万円ほどの罰金が科されるべきなあたりだろう。電車では多くがマスクをつけて感染を防止ししようと努めているが、子供たちの命というのは大人の都合で軽んじられがちなのが日本。普通の感覚で、ジムが危険だと営業停止になるのだから、それに近い行為を子供たちがしない方向に保健や体育の先生ももっていくべきだろう。

マスクつけないで個別でランニングするとか、集団行為をできる限り避けるというのがコロナに感染しないための大事なこと。学校閉鎖のようなコロナの経験もしながら大人たちはマスクつけて無言で社会生活を守ろうとしているのに、子供の学校社会はコロナか熱中症かの体育もしているような罰ゲーム状態。行政というのはほんとうに規則に縛られすぎて子供たちの健康や命をまもるも難しい。学校教育という健康を考える場なのに、大人の我の事情が先だってしまってヨーロッパのマスクなしでのデモ参加状態。トップの文部科学大臣が駄目ということだろうけど、健康や命の問題で、国民には自主規制を強要しながら行政の都合が先立ち、アクセルとブレーキそのもので、規則に縛られ国民の健康や命を損ねるのが行政では駄目だろう。大人の都合で、マスク不要論をやった厚生労働大臣と同じレベル。個人の我の世界が、行政の大人の世界というあたりそのもの。

コロナの危険性の高い地区では、全国縛りを外して、体育の授業を自粛するとかも大事なことだろうと思う。コロナの危険性の低い地区では、普通に体育の授業をするもありだろう。日本を一つで縛るでなく、行政も面倒くさがらず、感染者の多い地区では厳しい対応、感染者の少ない地区では普通の対応で、問題に応じて、面倒くさがらず、ちゃんと状況に応じて自身でコントロールしていくというのが行政にしても大事なこと。