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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
次の世代
2020年09月05日
日本というのは先進国の一つなので繊維に関しても次の若い世代が入ろうとするとつぶしに掛かることも多かったりするもので、先代なんかも今では時代遅れとなった感のある問屋さん経由で売れみたいなところがあって、別に問屋さんとやるのも一つとして自分で売っていくのも普通のことだと私は昔から考えていたので、問屋さんが不在になっても自分で売っていけばよいだけだと思っているのが救いの一つ。

また、先代は従業員に仕事をしてもらうタイプだったので、縮小したときに現場で自分が働くということができなかったが、自分が働くというのも当たり前の感覚だったので、成り立つように自分が働けばよいだけだよと、先代や母親にもいうが、なかなかやってこなかった人というのは最後までやらないもので最初の1日がない。

そういう人たちが上から目線の気分でごちゃごちゃいっているとややこしいだけで、意識高い系の若い人たちと共通の他の人に仕事してもらう世界。経験の差というのはもちろんあるけども、経験あるものがやるだけでは、経験ないものはいつまでも経験もできない。積極的に若い人たちに多くの経験を積んでもらって、今の世代以上に次の世代は能力高くいてもらわないとダメだろうなあと思う。

繊維の業界というのは結局仕事しているものが残ることになって、仕事がないからといって仕事していないとどんどんと差は開いてゆくもので、いつか限界が来てしまうだろう。先生タイプの物づくりというのは自分のテイストを満たしてのものづくりなのだがそれは趣味の世界に近いから、それで食べてゆくことを考えていても食べてゆけないときには軌道修正も必要じゃないのかなあと思う。私の場合には、普通の仕事の部分で余力をつくって、その余力をそういう自分のものづくりに回すような形が多い。それが普通に成り立つ形なんじゃないのかと思うのである。

また、一つや二つのことに掛けるのではなく、10のことをやって幅を広げていきながら時世にあった一つや二つが需要を満たして成り立っているみたいな感じが安定する形なんだろうと思う。多くのアパレルさんが今年のテーマはこれと動かれて当たる年もあれば当たらない年もあって、そういうのよりはベーシックな部分はベーシックな部分でそのアパレルさんを支える大事な部分だろうから何十年も続くようなスタイルであるべきじゃないのかなあと思えたりする。

今はそういうものがない移り変わりばかりの時代、サステイナブルの流れで昔のように何十年も着るようなものや何十年も続くベーシックな商品が見直されるときがまたくるのだろうか。