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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2013年11月23日
カネボウという会社は紡績で有名で、弊社にもカネボウブランドのシルク糸が残っています。日本での産業用の絹糸は国産がなくなって久しいですが、カネボウも最終は、中国とブラジルでの紡績となり、粉飾決済事件とともに原糸部門からの撤退。

私自身がたまに使った印象では、カネボウのシルクはシルクとしては色艶など綺麗ですが、半製品みたいなもので問題を取り除いて完璧な形になるという印象です。カネボウの海外でやっていた紡績部門が成り立つのは難しいなあと糸を使った印象で感じました。問題も程度問題ではなく、致命的な問題なので、原糸を見ても分からないですが、染めると露呈して作った生地が全滅する可能性が高いもので、それを防ぐために途中で問題を取り除く工程を必要とします。

リネン紡績に関しても糸の品質が落ち、問題が起こるとそのうわさがすぐに飛び、噂というのは正しいことも多く使わないほうが大きなリスクを被らずに安全なのです。これは糸の品質だけでなく、糸の産地なども同じでこと。正しい情報を得ようとすれば、欲する側も過度の期待をしないことで、現状と受け入れることも大事だろうと思います。

繊維とは関係ありませんが、あるところで地場産品のお土産を買おうとして、値段も付いていてディスプレイしてある商品を欲しいといってもそれそのものは絶対に売ってくれないことがありました。それはそのディスプレイしてある商品は本物で、通常に売るものは他から仕入れたものであるのを察しました。その業界の頂点に立たれている職人さんでも食べていくのがそういう形であるというのが気の毒に思える。

自分でつくったものは、結果、不細工でもいいじゃないかと思うことが多い、小綺麗にしようとすると薄まってしまうもの。絞りたての牛乳のようなものづくり、長年寝かせた蔵からの蔵出し、作りたての感触。
2013年11月22日
今日は、朝、運送会社から電話があってリネン糸が到着。リニフィチオのオーガニックリネン40番手の糸も含まれていて、箱にはメイドインチュニジアの印。リニフィチオのオーガニックリネンも当初のイタリア紡績からチュニジア紡績に移行してしまっているのは、時代の流れなのだろうと思う。

10年くらい前になるでしょうか、私が最初に使ったリニフィチオのオーガニックリネンは、イタリア紡績で、糸はグリンの色味でした。リネンの糸としては珍しい色味で、あんまり好まれないかもしれない色味の気がしたものですがオーガニックらしいものかと不思議な気分がしたものでした。自分で加工まで仕上げてみると、しばらくのうちにベージュに変わっていきました。生きているなあと思えたものです。

今のオーガニックリネンは、通常のリニフィチオのチュニジアものと同じようなベージュ色、糸がしっかりとしまっている感じがして、見た目は60番手クラスではないのかと思うほど細く見えます。ロットによってばらつきなどあろうかと思いますが、仕上がってくるとどうなるのか。

名門といわれるハードマンズとリニフィチオ。ハードマンズも南アフリカでの生産に移行して、リニフィチオもチュニジア。今はアフリカがヨーロッパブランド糸の生産地になりつつあり、世界の繊維産業も、最終的にはアフリカが紡績、製織、加工、縫製の拠点となるという予測も多いものです。
2013年11月21日
今日は2重織ストール。はじめの準備を私がしてつなぐなどの作業を職人さんにしてもらって、最後の織るための設定などが職人さんでは難しいということで、再度私が織り出しを行うという形で、2重織のストールの織り出し。

規格があってもなかなか形にするまでというのは、何十年の職人さんでも難しいことが多いのも事実。複雑な織物を作るというのはコンピュータプログラミングに似ているところがあり、ヒガエやドビーのメカニズムなどは織機がコンピュータの始まりといわれるほどに似ています。

ストールとして織り上げるためには細部の調整なども必要。耳を問題ない程度に仕上げるためにリネンのままだと難しいので綿の糸を数本入れたり、通し方の違うところを手直ししたり。見た目、90%程度織れるなあの状態まで見えてくると安心は出来ますが、これで最終というところまでの残り10%が、神経をたくさん必要とするところで実際には50%くらいの力を最後の10%の詰めに使うことになります。
2013年11月20日
今日は東京、朝早くおきて、留守にする分の職人さんなどの段取りを準備。朝、会社を出ようとすると、銀行の担当の方がきてくださり大まかに計画を説明。急いで新幹線に乗るため米原の駅に着くと、東口が出来て駅が活性化したためか、駐車場も増えたはずなのに駐車場がどこも満杯で、駐車場を探すのに30分。結局、東京には1時間半ほど遅れての到着。

途中、新幹線に乗っても、整経をビームに巻き取るときに、シャトル織機の2重織りに適した位置と一致しないといけないので、ビームの端から何センチのところから巻取りをしたらよいのかを、携帯電話で説明し現場の状況を聞きながら計算。経験というのは、単に時間や回数ではなく、仕事を自分自身で乗り越える経験が必要なのだが最初の一回を乗り越えられないと次も無理だったりするので、電話で出来る限り丁寧に何度も説明をする。帰って自分でやったほうが早いのだが、時間を掛けてでもできないをできるにし、自分で仕事を進める能力を養うことは必要と考える。

アパレルさんの展示会は、昨年もそうだったが活気付いていた。ものだけではなく、人が時間を過ごすこととに対するトータルな提案を考えておられることが人が集まる要素となるのだろうと思う。高級ホテルが単に寝るだけの場所でないのと似ている。その後、JCとPTJの会場もかなりぐるぐると回らせていただき、その後、海外展示会の説明会があった。

その説明会のときに、ある方が意見を言われて日中韓のアジアグループを組んで、日韓が企画、ものをつくるのは中国というような構想をいわれ割り切っておられ。日本だけが抜け駆けすると、中国、韓国からクレームがくるといわれる。ものづくりの現場じゃない、夢のない話に思えた。日本の織物企画にしても、自分たちで作るという現場がなくなり、展示会を回ってスワッチを貰ってそれを安いところで真似して作ってみたいな織物企画屋さんが多いのも現実。自分が作業する現場がなくなると自分で生み出すことができなくなるということ。逆に自分ですることを増やしていくのが生き残りの道の一つに思う。それは失敗も多く茨の道かもしれないが、他人に仕事してもらうでなく、自分が仕事して食べる力をつけていくとかの基本的な部分に繋がる。

説明会の前に、休憩スペースでイスに座って作業していると、メサゴフランクメッセの柏木さんが私を覚えていて下さり声を掛けて下さいました。現在はテキスタイル展からは離れられて折られますが、展示会に出始めた頃は、日本事務所の代表をされていて、大変お世話になったりで、お会いできて懐かしく、まあ、なんとか元気に仕事をしていますというご報告。裏で支えて動いて下さる方の努力で、出展者が出展した成果というものが左右されることも多いもの。インテキ北京も思い出すとなつかしいなあ。もう、5年前になるでしょうか。リネンの本場であるヨーロッパに日本製リネン生地を提案するという話をメサゴフランクメッセのドイツ人の代表の方に語ると笑われましたが、その思いにしてもパリの展示会も経験し、今現在も進行形で気持ちを持って実際動いていれば叶う話だろうと。
2013年11月19日
今日は、委託で織っているストールを出荷。今年はあらかじめ染まった糸を使っているので、染めの時間の分が織る時間に貰えスムーズ。夜には、2重織のストールを久々に試作、これも切れやすいリネン糸でシャトル織だから難しい。

2重織というのは単純に2倍時間がかかるそれだけでも、リスクは2倍以上。織物がいろいろな可能性があるというのも、普通の織物ですら手間がかかるために、あまり複雑なことをする人はあまりいないからだろうといえる。

複雑にしたからといって売れるものじゃあないというのも面白いところ。白黒とカラーだと、表現力は大きく違うが、自然の色というのは案外人の眼にはハッキリしているもの。それでいて美しいと感じる。虹の色が7色に見えるのも、実は無限なのだが人の眼がそれを見分けられないだけ。日本人にとっては7色、外国人にとっては6色。
2013年11月18日
今日は、東京に2件持ち込み。東京に行く途中、高速道路で、秦野という場所を通る。徐福の子孫たちの秦氏が住み着いたといわれる場所である。富士山というのも、不老長寿の薬草を求めて最後に徐福がたどり着いたといわれる。高速道路から雲の上に雪で真っ白の富士山頂が見える。

富士山は有史以来、日本で一番高い山であり続けたのかというと、戦時中は、日本が台湾を植民地化したので、台湾の最高峰の山が、日本の歴史上では日本最高峰ということになっている。多くの人が知らないトリビアである。

織物では富士吉田のスフ織物などが有名だ。もともとは絹織物であったそうだが、今は産地はレーヨンの織物を主体とされている。富士吉田の産地は、産地に機業が残っておられ、若い世代が活躍されていて活気を感じる。他産地のことながらも、織物の技術のあるところの技術が消えないように残ってほしいと思う。
2013年11月17日
筬通しが終わり早朝から織り出し開始、ペックで2X2のバスケット。ヒガエのカードも完了。テスト的に織り出すと、やはり、シャトルでは耳が綺麗に絡まない。2枚ドビーを追加して耳の組織を取る。

横糸を巻くシュワイターも糸が太すぎて綺麗に巻けない。大きく巻けすぎるので綺麗に管が入るシャトルを捜そうとするが、新しいよいシャトルはどれも駄目。糸を巻くのも今までの経験でそんなことがあって、太い糸用に調整をした錘を使うとうまくいく。機械というのはバラバラであってもこういうときにほんと便利。

シャトルにしても、内を削って大きく巻いても大丈夫なように改良したり可能だけど、あんまりやりすぎると、薄くなって、シャトルを挟んだときにシャトルが壊れやすくなる。新しいシャトルがすべてよいとは限らず、シャトルも人の手で改良を加えて使い込んでいく。

織る準備を整えていると昼前からの織り出しになって焦り、織り出すとテンションの問題が発生、経糸が緩んだりきつくなったりでテンション調整を終えて、ようやく織機が調子よく動き出したと思ったら、フォークが正常に動いておらず横糸が切れても検知せず。フォークを付け替えて調整し、ようやく動き出しました。午後1時半にようやく1枚が織りあがり、縫製と加工を済ませ、最後にタグをつけて1枚のラグが出来上がる。
2013年11月16日
今日は、ラグ生地製作の続き、思ってもいない落とし穴があって、相手の糸が細くて、ラグの糸は太くて、細いほうの糸が糊がついて滑るタイプで、普通に手でしっかりとたて繋ぎしても、滑ってほどけてしまう。2回結びでも駄目で、結局、堅結びという原始的な方法で結んで対応。

織前まで送る途中で、ドロッパーを結び目を超えることができない。結ぶのも一本一本だが、送るのも一本一本、引っかかる結び目を手で裁きながら。かざりを通すところで、また、難関、こここ一本一本飾りを通して。こういう作業くらい笑って淡々と進めることができないとこの仕事には向いてない。

これから筬を通しなおして織始めることになるが、今日も一日あっという間に過ぎてしまう。いろいろたくさんやっているといつやったことなのか忘れることが多い、今日が何日なのかとか、何曜日なのかとか忘れて作業していることが多いもの。織機も林与に付き合わされて大変だなあ。
2013年11月15日
昨日の夜、ラグの糸が巻き上がった。これは外のチーズ屋さんでは、大変だろうと思う作業、自分で巻き返したのでなんとかチーズの形にできた。できるとできないでは大違い、できないとあきらめたら次もできない。外に頼んだら、うまく巻くことができないという、大きな問題に遭遇でそこで時間が費やされてしまう。

今日は早朝から整経作業、糸も少なく、一回勝負なので失敗は許されない。私自身が、荒巻も巻取も行う。いくつか難しい点を綺麗にクリアして、問題のない巻き上がり。整経で難しいのは巻き取り作業。太い糸の場合、均等に強く巻いてあげることが大事で、巻きが緩いと織るときに糸が食い込んでいく。
2013年11月14日
近くを通ったので、昔世話になった生地問屋さんに立ち寄ると、同年代の息子さんが会社を一人守っておられる。今は生地問屋さんとしての仕事はされていないが、昔のまま社屋を保たれていて、10数年前と変わらない気がする。

興味深いのが、その会社の先代が亡くなられるときに、遺言として「繊維はするな」、ということをいわれていたそうで、息子さんはそれを守っておられる。仕事の一切を辞めることで会社を守るようなスタイルというのも現実的に成り立つもの。下手に仕事するとすべて失うというのも、繊維の仕事の現場を見ていて、何十年の年配の職人や経験者が仕事しておられても何が正しいのか分かっておられないことも多いもので、気の緩みのある人の仕事は織物に正直に表れる。社内社外関わらず、そういう人がものづくりの流れの中のどこかにいるとすべてやった仕事を台無しにするもの。ある仕事さえも消えてゆくことは多い。

また、3年ほどしたら立ち寄りますね、と言って私は帰路に着いたが、たぶん、その会社は3年後もそのまま、動き回っている林与のほうがそのときにどんな風なのかは分からない。自分がスタイルを貫いたとしても、それぞれの時代がそのスタイルを良いとするのか悪いとするのかで、自分のスタイルに対する外からの評価は変わる。一人の人間のモラル以上に、世の中のモラルというのは現金に移り変わるもので、政治なんかを見ていても、数年後には、正反対のことですらも正しいとしてしまうのが世の中というもの。

小さく守ろうとするものですらも、そういうものに便乗して横取りしてしまおうとする力が常に働くもので、小さく守ろうとしているものは外気に触れないようにして小さく守っていないとどんどんと薄まって行ったりもする。外に出すなら出すで、薄まらないように気をつけていくことが大事だろう。
2013年11月13日
オーガニックはエコ、原発もエコみたいな相反する概念がエコで結びついているようで、炭素社会の問題をクローズアップして、原発の根本的な問題を無視してエコというような解釈。地球全体のエコを考えるときに、まったくエコじゃないものをエコとしても持ち上げる。リサイクルシステムにしてもそうですが、裏では損得勘定ばかりなエコ。

私自身、缶コーヒーを良く飲むのですが、これ一つにしてももったいない話だなあと思えるのが、中身以上に外の缶のことです。中身を作るよりも外の缶のほうが工業製品として立派なもので、織機でいうと部品クラスの材料を使って、飲んだらゴミ箱に行ってリサイクルされてしまいます。

ペットボトルなんかにしても、昔だと、水筒に相当するようなものが、リサイクルされてしまっているのです。昔はビールにしてもコーラにしても瓶を主体とした流通システムで、瓶すらも何度も洗って使われる仕組みがあった。ものが希少で大事に扱った時代。

ペットボトルやアルミ缶というのも技術革新的な要素で、すごいのは、世界中が右へ倣えであること。繊維の世界も同じなのかもしれない、天然繊維が合成繊維に置き換えられて、材料コストが抑えられる量産型の合成繊維というのは世界中に広がった。何十年前は誰もが着ていた天然繊維が高級品となってしまった。

瓶ビールの世界というのは伝統工芸と似ている。それを支えるためには瓶を循環させるようなシステムが必要で、瓶の面倒をみられる昔ながらの酒屋さんが最適。酒屋の前掛けも瓶のケースを運ばなくなればそれほど大事でなくなる。コーラを飲むのにも栓抜きという道具が必要。これまた、消え去り行く道具の一つ。

今の時代の産業で思うのが、一人の職人が消耗品というより、お店や工場自体が消耗品。20年前は、高嶺の花であったノートパソコンや携帯電話なんかも、この20年でありふれてしまって、販売しても利益が上がるようなものではなくなっている。

よく、コピー機の業者さんからリースの電話を貰うけど、「無料でも要らないのです」がと本音をいうとビックリされます。今のコピー機で満足していて十分なんです。たくさん印刷する必要もない林与の場合、会社のコピー機なんて立ち上がりが早く堅牢なことが一番で、新しいものを欲しいという感覚ではなくなるものです。

織物にも同じことが言えるかもしれません。ベーシックでよいものを求めて下さる方というのは多いものですが、売り場の方はどうしても新しいものを欲しがっておられます。新しいものに飽きておられる方も多いはずで、特に高いものを買ったお客様というのは、自分の買った高いものが売り場で高い値段のままいつも売られていることが意味のあることだったりするものです。憧れる世界を自分が手にしている満足感とでもいいましょうか、子供っぽいかも知れませんが、欲しいと思う憧れのアイテムがあってそれをずーっと欲しいと思えるような夢、そしてそれを手に入れたときの満足感。
2013年11月12日
今日は出機さんが来られたので、立て続けに4回、オフ白の生地が横糸の汚れで全滅状態だったことや、縦糸が2本いりになってしまって全滅するなど、出機さんでの仕事が全滅状態が続いていることを話しました。これはこの出機さんの話だけではなく、職人は歳を取るにつれて織の現場では、目が見えなくなってくると、細かい作業が面倒になり、根気もなくなり、まともなものが作れなくなってくることが多いというのが現実です。

私が仕事に入ったときから、私の下で働いたのが当時73歳の勘一じいさんでしたが、伝統工芸師ながらも、年相応に自分自身の力が足りなくなっていることを十分に理解が出来ていた方でしたので、私のいうことをしっかりと聞いて仕事してくれました。勘一じいさんは、常に愚直に仕事をこなしてくれていました。厳しい親方である与一じいさんや同じく伝統工芸師だった厳しかった勘平じいさんと一緒に仕事をこなしてきただけの人ではあるといえ、高齢で能力は足りなくても人間性としては職人そのものの姿勢を貫いておられました。

私が目を離した隙に、私のやっていた仕事を自分がやってみようと、整経の筬通しをされたことがあったのです。遅くて間違いがあって私がやり直しましたが、私を助けようとされたのだと思い、職人としての姿勢が正しいのを感じました。

その背景には、早くに親を亡くされて、ヨジヨモン爺さんの家で与一爺さんと兄弟同様に面倒を見てもらったということがあり、林与の会社を守るというよりも、林与の跡継ぎである私が立派に家を守っていくことを望まれていたことがあろうかと思います。与一爺さんの妹に当たるおばあさんにしても、私のことを親戚のなかでも特別に見ておられたのを覚えています。私の父親世代や母親世代になるとそれがうすれるものですが、戦前のおじいさん世代の人というのは母屋を守るという気持ちは非常に強いものだなあ感じたものです。

私が3歳4歳のころまでは家では法事も含めて月に1回はおよばれみたいなものがあって、働いているものが家で食事をするのですが、父親や母親をたしなめてでも、おじいさんおばあさん世代が、子供の私を持ち上げるような雰囲気があったのも覚えています。戦前的な日本の家というものの考え方というのは、親戚一同が次の世代の一人に力を集中させるようなメカニズムをもって一族の繁栄を成り立たせていたのかもしれないと思います。
2013年11月11日
今朝は朝早く起きて糸探し、目当ての20色くらいの糸を倉庫から引っ張り出して、伊勢丹新宿本店様向けのキッチンクロスの試作の続き、土曜日に織ったものとは違う色糸使いでの検討。さまざまな色使いを見てもらって、どのあたりの配色に落とし込むのかのたたき台つくりです。

今朝出荷依頼が来て、検反すると、定番のものの仕上げにおいて通常とは違う、縦に折ジワが付いてしまっているような問題で、これは出荷できないと判断して、加工工場に報告し、再加工を進めてもらうことに。繊維の業界では、問題が起こると責任を逃げてしまわれるケースが多いのですが、安心できる対応をしてくださるので安心です。

夜、米原の駅で、キッチンクロスの試作生地の引渡しを行い、この2日間ほどの張り詰めた状況から開放、次の目標に進みます。今の状況は、年内は仕事が一杯過ぎるような状況。

2013年11月10日
今日は、150番手生地を使ったハンカチ生地の出荷をようやく終えました。この生地は、ビンテージアイリッシュリネン140番手ハンカチ生地と同様の規格で織り上げたもので、現行の150番手を使ったもので、150番手としてはかなり密度は高めです。

アパレル向けの150番手素材ということで、珍しいものですが、最近もインテキ上海でもブラウスを展示しているとほしいということでお客様がディスプレイしていた2点を初日に即買ってくださいました。展示海中、ブースが寂しくなりましたが、欲しいと思ってくださるお客様があればそういう出会いって大事だろうと思うのです。

展示会から帰ってからも、インドの方から問い合わせをいただきましたが、もう在庫がないような状況になってしまい。林与も作るのに気合の必要な150番手アパレル素材、リネンとしては特別の雰囲気をしています。150番手の生成バージョンも残ってはいますがこれも特別なお客様向けに動きそうで反物を切り売りできない状態。

海外でもさすがに150番手の織物というのは珍しいです。150番手の糸を引くことのできる工場があったとしても、150番手の織物を織れる工場があるのかないのか。卵(糸)が先か鶏(織物)が先かでは、卵(糸)が先だろうと思います。150番手生地もネットに出したいのですが、一般の方に販売させていただくのはご用途などを考えると心配だったりするので、今のところは業者さん向けにキープ中ですが、ここまで薄いと、ランジェリーなどに使えないかとも。

織るのも難しいですが、もっとリネン糸でも織りたい気持ちではあります。
2013年11月09日
今日はキッチンクロス。朝一番の新幹線で東京からプレイグラウンドの中地氏が立ち寄り下さり、伊勢丹新宿店様向けのキッチンクロスを二人で試作。私自身は百貨店の売り場のイメージなども稀にしかチェックしないがため、林与の中の良いと思うイメージと売り場で求められているもののイメージが食い違っていないかが心配なところ。

数日前に織ったものはストップして違う路線に色味を変更。答え無くさまようよりは一つの柄でカラーバリエーションを広げるなどしてみて、一通り目標のマス見本を終わった後に、ここの部分の色はこういう風に変更してみるといい感じになるだろうと、もう2種類くらいその路線を外れて色を加えて織ってみると、それが二人ともいい感じに見えて一安心。

今日もいざ、柄と色が合うように織り始めようとすると昼くらいまでシャトル織機の調整に手こずり、朝早くから来ていただいたのは大正解でした。織り上がったキッチンクロスを見ると織や色使いの楽しさみたいなものが伝わるのじゃあないかと。

今日お持ちいただいた、伊勢丹のくらしものさしプロジェクトの冊子でも、今回は一番最初のページとして林与のリネン生地を使ったエプロン、日本のこだわりのものづくりの一つとして紹介くださっててありがたい話。それほどまでに応援もただいているのですから、私自身が、自分の手で織物の作業に携わる部分疎かにしてはならないと思うところです。
2013年11月08日
仕事が少なくて値上げしてほしいという話があるのだが、仕事しないでその分を値上げで補うというのは今ある仕事すらも消えていく、当たり前の流れ。結局、前のお客さんに値上げ分を同じような仕事が少ないから値上げというような理由でねだれるかというと、そんな甘えが通用することはほとんど無い。

今、技術的にも生き残っているところというのは、仕事をたくさんしているところで、そういうところでも厳しい現実はあるがいろいろと生き残るために努力をするので新しいものも生まれてくるし新しい技術も生まれてくる。繊維業界においては中国の企業が、日本やヨーロッパの大手企業の実質的な生産を担う形となって、一般的には中国のほうが日本以上にものづくりが上手になってしまっているようなケースも多い。私自身も先染という分野においては配色などは別にしても、その多様性とそのレスポンスではもはや中国企業にこの10年で抜かれてしまったのを実感する。

日本の場合、仕事があると講釈を垂れて仕事を出し惜しみというタイプの職人さんというのも多く、できることくらいベストでやらないと駄目だろうと思うが、仕事が面倒そうな話ばかりで仕事に対する姿勢に曇りが見えると仕事というのは逃げていくもので、仕事をしたくても仕事がないというのが当たり前の状況で、仕事があっても仕事するのを面倒そうにいうばかりでは仕事がもらえるはずもない。

職人もそうだができることはなんでもやって能力を常に持っていないと駄目で、職人を育てる企業にしても同じだろうと思う。下請けの業者さんに頼んでも、新しいものづくりのために、やれば出来そうなことを提案しても面倒そうに言われ、それはできないと技術的な問題点ばかりをいわれることが多いが、今、それを乗り越えようとしないならいつまでも無理。新しい機械設備などなくても人の力でカバーできることも多いが、そういう地道な仕事を、今の職人ができるのかというと仕事をしないほうを選ぶことが多い。
2013年11月07日
内部の経理関係をコンピュータ化しようと思っており、今日は公認会計士の先生に相談。コンピュータ化といっても特別なソフトを開発するとかではなく、市販の会計ソフトを導入するというだけの話ですが、長年、帳簿に書いて入力をする方法を取ってきたので、コンピュータ管理に変えるためには人が適応することが大事に思います。

その相談のあと、近江上布柄のライセンスの件で英文の契約書を作りたいと考えているので、貿易関係の関係の専門家の方にアドバイスを受けたのですが、専門外ということで、知的財産と英語の両方に精通したような専門家に出会うような必要があろうかと別の機会を持って進めていきたいと思います。
2013年11月06日
今日は、機能素材原料開発の会社の方が来られて、先月試織した素材の分析データの説明に来てくださり、非常に理想的な検査結果で、実用に向けての展開が可能ではなかろうかと思われる。

その検査の中には麻という素材の機能に関するデータも含まれていたので非常に興味深かった。綿と比較したときにおおよそ倍ほどの効果を持っている。麻という素材が空間に存在をするだけで、その機能が発揮され、人に心地よさをもたらすことになる。麻という素材がフォームファブリックとしてよく使われているのも理由の一つになろうかと思う。
2013年11月04日
今日は振り替え休日、私自身は仕事を進めないとならない状況。今の時代というのは、仕事が悪いことのように思われますが繊維の世界で仕事というのはよほど力がないと食べていけないものです。私もかなり経験はありますが、一つ仕事をしようとすると織るだけでなく実際に織物の規格を決め、問題を潰していくので、毎回くらい相当の時間を使います。

休み中には、いろいろな見積もり関係の計算なども行いました。実際に見積もり出して話が流れることもありがちですので、アバウトな見積もりで十分かと思うのですが、ものをつくるときにはいろいろな制約がうまれてくるので、決断が遅かったりすると見積もりも成り立たなくなります。最近も海外からのメールで原反確認なども行って出荷が出来る状態にまで煮詰めましたが、そこから値下の話になり仕事としては決済のことなども含め難しいと判断。他のお客様が商品に興味を示されたので自然に流れるお客様に買っていただくのが、すべてにおいては良い流れだろうと思うのです。

私自身も自分の決断力で糸を買ってお客様もない状態でものをつくって持っているということが多いので、自分が経験を積むために何倍ものお金を費やしたもので、そういう経験をもたれることのない方などは売れ残りの在庫と思われる方も多いものですが、自分自身が働いて1点数メートル作るのに糸からはじめると10万円くらいは使っているものがほとんど。機屋が織物の仕事で成り立とうとすると迷うということが一番致命的だろうといえるので、費用は掛かっても迷いなくつくることが大事。そういう迷いの繰り返しを仕事でする人の仕事では成り立たないもので、経験から答えを持っている人との取り組みが非常に大事。仕事は覚悟を決めて1回で売れる形を目指せるような人同士のチームワークが必要です。持ち出しを覚悟して仕事に掛かれるチームでなければ実際の仕事なんて何回かに一回の確立ですので続かないものです。

私がよくいうのは織物の企画というのはアイデアじゃなく、リスクをどれだけ被れるか。アイデアは無限であっても売れるか売れないかまで含めて、そのリスクを被れるような力がないと形にも出来ないものです。学生の方にもいうのですが、織物というのはデザイン力ではなく自分自身がどれだけ作る意欲をもって作るか、売る意欲をもってつくるか、そうでないとそのアイデアを流せる形にすらもできません。職人がものをつくる力があるのかというと技術はあってもその意欲がないことが多いのでものを生むのは職人ではなく経営者の力によるところが大きいもので、そういうリスクを被れるほどの力があるのかないのかで企画力すらも決まってきます。

ものをつくることに集中して良い物を生み出してもそれが売れるとは限らないのはトータルでの企画力の必要性。どこかにボトルネックがあると流れていかないので、ボトルネックとなる要素を取り除いていかないと難しいもので、直接ものを取り寄せたり、つくったり、流していくという手法が一番手っ取り早く成り立ちやすいというのも一つの結論で、疲弊してしまっている人が集まっても仕事の出し惜しみでボトルネックになるだけのことも多いもの。
2013年11月03日
11月に入って暖かい日が続いていて、工場の中で仕事をしていても、寒くもなくいい感じで、仕事にも集中が出来る感じ。上海から帰って、仕事関係でのお客さんからいろいろと会いたいというお話をいただくことも多く、連日のお客様続き。今は手一杯になってしまっていて2月くらいの納期の案件に。

いくつか新規の柄組などを含む案件が動いていて、新しい案件というのは怖さがあるもの。一回で、普通じゃない売れるような形にするというのは難しいものなので、何回も内部で、こうでもないああでもないと動いて、結局、予定通りの量が作れなかったりで分納になることもよくあったり。

先日も耳糸が切れる問題で、二人掛かりで3日間、昼から番まで費やして、結局、綿の耳糸を入れて解決することに、最初から安全にものづくりをすると簡単なのだけども、できる限り他が出来ないものを目指したいという、耳までリネンのものづくり。フランスのアンティークなリネンが耳までリネンだったりするのはギザギザだったりだがそれはそれで美しいと私は思う。最初から安全にというのは、誰でもできて仕上がりもありきたりになりがち、なかなかまっすぐに織れないギザギザな耳を見て苦労を感じてもらえるとありがたいものです。

結論として、昨年の糸ではなかなか耳までリネンは難しい。でも、そんなのまで分かっていることが、世界中の誰かが耳までリネンでは出来ませんか、といわれたときに、答えをもっているかいないか。最初から出来ないというのは簡単だけど、今年は微妙だけど、来年だったら出来ると思うというのが良い答えなんじゃあないだろうか。

この耳の問題だって糸のロットまで指定してわざわざ選んで買ってそれでも難しい。耳の問題以外に、生成というのは色のばらつきがあってそれが致命的に怖いもの。その問題はなんとかクリアできそうだが、一つの同じ巻きの中で平気で色の違う要素が入っているというのも今までの年にはないほど怖い話だが、昨年と今年の糸だけは注意をして使うしかない状態。
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