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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
分業の果て
2020年07月10日
分業が進むと一つ一つの工程においては生産性が上がる。

たとえば、織物の工程において、整経する人が自分で整経の糸を準備してもよいけども、整経作業に集中するために、糸の準備というのは単純作業なので、チーズワインダーでの小割の指示を出して糸を準備してもらって、その糸を建てて成型する形が生産性が上がるだろう。

次に整経が終わったら、巻取り作業して、機場に整経の巻き取ったビームを持って行って、経糸を繋ぐ人が縦つなぎをする。縦つなぎをする人が織機を動かしていてもよいけども、主に縦つなぎ専門の人がいてもよいだろう。手で繋いだりタイイングマシーンを使ってつないだり、縦つなぎも案外時間の掛かる作業である。

織る人は織るだけというのも一つの仕事の形だろう。織機の調整も日本では織っている人がすることが多いが、海外の大きな工場では織る人は織るだけ調整は修理の人が行うというのが普通だったりする。普通は、織機に長けた人が修理したほうが一番問題が少ない結果となる。織ったものを加工出しの準備をしたり、修理する人も必要で、また加工から上がってきた反物をキズなどが多ければ再度検反する人も必要だろう。

分業というのは、生産性も上がってよいことのように思うが、守備範囲がすごく狭くなるのと、全員がいないと仕事ができないなど、致命的な問題がある。また、高度なものをつくろうとするときや、新しいものをつくろうとするとき、技術的な改善的なことをするときも各担当が前後が問題なくいくような作業工程を生み出さないとならないけども、それがりかいできなかったり。経営的な改善を行うときにも、なぜ自分が他の作業をしないとならないのかなども分業の世界が当たり前だと理解が難しかったりする。地場産業の多くは分業の世界で新しいことには適応能力が低いことが多い。

たとえば、製造工程の記録のデータを共有すると、つくるものに対しての理解が深まるだけでなく、新しいものをつくるときにも役に立つだろうけども、データを管理するひとというのは経営者だったりして、現場の人は与えられたデータ通りに作業をするだけで、データを見るということ以前に、データを記録するとか管理するとかの概念もなかったりするのが、普通の地場産業の現場で他人任せが普通で、仕事も楽だなあと思うが、それでは同じ仕事が次来ても同じものすらできないのも当たり前で、外では通用しない話。