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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
手織り体験
2021年02月24日
ASABANの青山さんがご友人の方と麻組合で3日間の手織り体験に来られ夕飯をご一緒。なかなか実際にやってみると織物というのは手間が掛かるという話で、でもそういうのが私は織物の仕事が仕事らしくって一番良いところなんだろうなあと思っている。

昔はテレビもなかったし、ある意味、織機が娯楽みたいなものだったんだろうとおもう。一生懸命につくればみんなから評価してもらえるしまたお金にもなった。今は、仕事みたいな概念になってしまうと働くことが悪いことのように思われるけども、だれがそういう風にしてしまったんだろうかと思う。趣味の延長がプロの世界でその道で食べていけるようになることが本当に悪いことなのだろうか。そんなこと言っているとプロとしてやっても趣味の人にも及ばないだろうなあと思う。

織物を含む繊維というのは間口が広く、本来は多くの人の生活を支えられるのだが、時間に縛られてしまうと繊維の現場作業で食べていけるような力を持った人というのは本当に限られてしまうと思う。昔だとずっと仕事ができたけども、働く人が年を取るとどうしても若いころの3分の1くらいしか量もこなせなくなるし正確さも落ちて失敗も多くなってくる。それを直すのが若い人の仕事になってきたりもする。

時間的な縛りをなくさないと、なかなか、年配の方がまともに仕事できるなんていうことは難しいところがあって、今日も、織物は初めての方だったけど、年配の先生が自分がやってみて頭と体が全然マッチしていないとおっしゃってられた。頭では分かっていても体がその通りには動かないのが普通だったりするもので、職人というのは一般的に慣れでそれを考えずにできるようになっているというだけのこと。

慣れでやって成り立つとよいのだけど、今は、慣れだけでは難しく、いろんな問題があるときには、どうしてもそれを解決する力が必要だったりして、それを解決してゆく力がないと仕事をやっても問題ばかりになりどんどんと仕事は減ってくる。

私にしても織物を企画したりすることは、仕事と思えないほどにいろんなアイデアあるけども、今のように昔普通にできたことも、どんどんと普通にできなくなって問題が増えてその問題解決も時間にゆとりなくできなくなっている状況では、難しことすらも日本ではなく、海外の経験の浅い人たちが時間使ってやるようになってしまう流れ。

プロの世界は、海外に昔の日本があるような感じになってきて、仕事を探ししたいという国がやはり自然に伸びてくるように思う。仕事を面倒がっては駄目なんだけど、日本中に仕事を面倒がる風潮が広がってしまって、日本の繊維業界というのは難しいなあと思う。それが今というのではなく、ひと世代前からの話なので、私が職人の親方クラスである先代や別れで始められて先代世代の方も、もうちょっと仕事に対するちゃんと正しい考え方もったらというのもそこ。働かない親方たちが自分たちは特別みたいなうぬぼれで成り立ったときに終わりで、外から見れば一番のカモでできなくなってさらに次の世代に自分のできなくなったを片付けさせようと食おうとしているからジジイらいい加減にしろで私が切れる世界。どうして日本の繊維はそこまで落ちたんだろうと思うが、それが親方日の丸てきなものに乗ろうとする考え方じゃないのかと。ひと世代前の親方クラスが自分が地道に働いて自分を成り立たせてと思う精神が無くなりすぎて、仕事の簡単なことも面倒では親方クラスが仕事が面倒では今の時代の問題は乗り越えられない厳しい話。