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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2015年01月11日
新しいことをするのは大事ですが、基本があっての新しい部分だと思うので、新しいことだけに全力だと、危なすぎると思えます。新しいことをするためにはそれを支えるための普通の仕事をこなして新しい仕事を育んで行くべきだろうと思います。

新しいことというのは、育てたこともない植物の種を植えて育てるような作業で、それが実る確立は何分の一。一方で、縮小気味の傾向にある商品ラインというのはいくら力を注いでも大きく増えることはないので、守っていくというスタンス。

今年も、麻関連で10くらいの新しい生地のラインナップ考えているところで、想定されるお客様もすでにあって出来上がれば使っていただけそうな状況。まずは、自分が満足できる形を目指して自分のスタイルでつくる。はじめにややこしい設計とかはほとんどの場合に必要がなく、というのも、普段仕事をしているときにこんな布をつくりたいなあと思うものを形に変えていくだけのこと。
2015年01月10日
織物を織るという仕事をしていて恵まれているなあと思うのは、リネンという素材が好調に動いていることで、業界紙などではリネンブームは一息ついたといわれていますが、
たぶんそれは、輸入生地や輸入製品を扱われている大手業者さんのお話なのかなあと思えたりします。林与的にはリネンブームが進化している感じ。

リネン糸もそうですが、リネン生地も輸入物となると円安で輸入価格が高くなるので、買い控えが起こるものと思います。業者も仕入れ価格が高騰すると、リスクが低く益率の高いほかの素材に流れていかれるものと思い、大手はリネン素材控えめな流れになると思います。

昨年は、ある大手のお店なんかはリネン一辺倒になりましたが、今年は、輸入価格の上昇で、同じことをやるにしても値上げは必死だろうと思え、新鮮味のあった昨年とくらべ、今年も同じように展開するにしても何割も値上げして継続して同じことができるのだろうかと思うのです。ブームで扱うショップさんというのは、飽きて別の素材テーマに移る可能性は大。多くの方が麻に親しみをもってもらうというためにも大手さんには続けてもらいたいものですが。

林与の生産している超細番手などは、糸からしても非常に手に入れることが難しく、生産したくても生産ができないことも多く、お客様にも待ってもらっているような状態で、糸ができるまで1年後になるかもしれませんというのが正直な話。リネンの中でも需要が定番的な素材から希少な素材へはシフトしてきたのを感じるところです。
2015年01月09日
先日、レピア2号台のバックレストの扁平ローラーが磨耗した件で、原因が不明で、もし、部品を手に入れたとしても同じ問題が起こる可能性は高く、原因不明で再発を心配していたけれども、今日、ビームを移動する際に原因であろうと思われる問題を発見した。

ビームを送り出すギアにリネンの埃が溜まり、ギアがうまく回らず、送り出しがうまくいかないのに巻き取りだけが行われて、布に強いテンションが掛り、バックレストが強く押さえつけられ、バーで押さえつけられた扁平ローラーが磨耗したということだろう。

ほかの台も同じ問題が起こる可能性があるので、早速、ほかの稼働中の台の送り出し部分のギアにゴミがないか掃除をしてみた。1ミリ程度の厚さのゴミが絡むだけで、大きな問題に繋がるものだ。
2015年01月08日
今日は新規事業に絡む案件の税務に関する相談事を公認会計士の先生にアドバイス伺った。税金というものは払わないといけないものだが、後から知ってというのでは経営を考えるときには遅く、最初に費用として考えて用意しておかないと、成り立つかどうかの判断もし難い。

うまくいっている商売であっても、うまくいっているものに対して税金が高くなるという仕組みで、今の日本でうまく商売をしようとすると、大手企業がやっているような脱税行為に近い仕組みを使用しないとうまくいかないだろう。消費税の納付義務のない輸出企業なら政治を動かして消費税を上げて法人税を下げるように政策を動かすとか。

国を超えた力をもって納税を阻止しないと企業が成り立たないというのはいかがなものかと思うが、現実、国際的な競争社会というのはそれほどにシビアなもので、日本のまじめな納税企業が普通に商売をして生き残れるほどたやすくはなくなってしまって、多額の売り上げをしながらも消費税を集めても払っていませんみたいな形の企業が生き残る。税の平等の観点からすれば、消費税ではなく売上税とするべきではなかろうか。
2015年01月07日
今日は朝から東京の予定が、お昼12時の電車に乗って東京に午後3時、ジェトロさん主催の商談会が3時30分からだったので、ぎりぎりの到着でブース準備。ブース準備といってもハンガーラックにサンプルハンガーを掛けるだけなのでそれほどの準備ではなく、皆さんに追いついて商談会がスタート。

海外バイヤーさんとの商談会は、使っていただけるいただけないに関わらず林与の特色的なものをPR。せっかく日本に来ていただいたのだから、普通のものとは違うほかではみることのできないものをご覧いただく。1時間半の時間、ほとんど空き時間なく6人のバイヤーさんとお話。

空いた時間には、私が今年やろうとしている案件の生地をJETROの皆さんにご覧いただいて反応を探らせていただく。時代の移り変わりとともに馴染みの薄い世界になりつつあるがために、反応は薄い。皆さん、親身にアドバイスくださる。

明日、大津に行く予定があるので、夜行バスで帰ろうと計画していたが、料金を払い込むためにパソコンを確認しないとならないのだが、バッテリーがなくなってしまったので、コンビニでの支払いができず、一泊して明日の朝の新幹線で帰ることに。
2015年01月06日
織物というのは製造に時間が掛かってしまう。糸をつくるところから始まるからだ。線を面にする手間がなぜ、何千年も続いているのだろう。布というのは非常に人との親和性があるものなのだ。

皮との違いは通気性の問題もあるだろうけども、軽さという点があろうかといえる。人は1kgのものを体に背負うだけでも相当負担を感じるもので、それが肩に掛かるとなると、疲れるものだ。服は軽ければ軽いほうがよいという人が多く、布というのは軽い服をつくるのには適している。

なぜ、重さのほとんどないビニールでは駄目なのかというと、イメージ、ビニールハウスの中で人が存在するのと似ている。木の家がやはりよいのだ。植物繊維をまとっているというのは、木の家に住むのと同じ心地よさがあるのだろう。

一度、東京の非常に気密性の高いビルの一室に入ったことがある。空調が利いて温度調整はできているが、外の音も聞こえない。空気が止まったような空間。東京の高級なビルの一室なのだがこの空間で一日を過ごすのは厳しいなあと思えた。宇宙旅行の世界だ。
2015年01月05日
織り上がった生機は、まず、検反を行います。縦糸切れやゴミなどを修理して、タタミ機で畳みます。タタミ機で畳むのは生機を検長する意味もあり、1mで畳んで、最後に3つに左右で畳んで、反末に加工指図番号、品番、色番、ロット番号、会社名、長さを書いて、加工工場にもっていき加工に投入することになります。

畳みの際に注意することは、反物の裏表を間違えないことで、端頭端末などがシビアな織物などは反頭反末にも注意です。これによって左右が決まります。反物はどの反物も同じ方向に統一して畳んであげることが大事です。

織機に関してですが、織るときに裏表を反対に織ることもあります。それは、なぜかというと、上げる組織が多いときには、ドビーに負担がかかりやすいので、裏面を織表で織るのです。そのほうが織りやすいのです。

でも、デニムなんかの場合には上がる組織が多いのですが、裏を表にして織っては駄目です。なぜかというと、ダブルような厚い織物の場合、織面が裏になると、テンプルや巻き取りローラーのトゲで、生地の表面が荒れてしまうからです。
2015年01月04日
レピアのうちの1台で、開口が開いたときと閉じたときでの縦糸のゆるみを吸収するバックレストのバーが扁平ローラーとの磨耗で両方が磨り減り、消滅。大きな修理を要する破損。一生物に近い部品が数日で壊れた。

何台も動かしているうちの一台なのでまだ助かったが、徹夜つづきで作業をしても計画というのは計画であって思い通りにいかないことは多いもの。計画を経過通りにやろうとすると計画通りにいかないことが、起こるのは当たり前。

ものごとを成し遂げて行くことは、力をつけるのには大事で、ひとつの仕事を逃げてしまうとそれの繰り返しになるだろう。仕事の仕方にもよる、ほかの人に任せてやってもらって仕事がこなせたと思っているとそれの繰り返しで、自分自身が仕事したことにはならない。

仕事していて思うのは、もっと仕事する時間がほしいと思う。これは普通の人とは逆だろうが、経営者的な考え方そのものだろう。仕事する時間が本当に足りないのだ。
2015年01月03日
レピアの頭の調子が悪く、糸を取りそこなう。数日間順調に動いていて頭をぶつけたとかもなく、ゴミも挟まっていない、それほど悪そうに思えないのに、取りそこなう。糸をホールドする力が落ちてきているのを感じて、分解してみると。

糸を挟む鉄の押さえの内側が糸による磨耗で磨り減っていてややくぼんでいて、糸をホールドする力が落ちているのだと判明。鉄の押さえの内側を鑢で削って平らにして、ペーパーで磨きを掛けて、組み立て直す。

稼動すると、今まで苦しんでいた問題がなくなり、5分くらいは止まらず動くようになる。カッターを取り替えたり、ピックのタイミングを変えたり、レピアのヘッドの挟む力を強くしたが駄目だって、ようやく、原因にたどり着いて直った。

今織っているのは白の無地のプリント用の平織りの反物、この年末年始、2週間ほどで整経もして80反織る必要がある。一人で5台の織機を動かしながら、6台目をタイイングマシーンで縦繫ぎ。

織物の仕事というのは理論じゃなくて行動力が必要だと思うのは、技術はあってもつくる力がないのが日本の現状だったりはしないかと思える。口で織機の問題の話をするのは簡単だが、実際に、体を動かしてそれを直すのは別の話。実際に直して正しいものを作ってようやく仕事ができたということ。

職人だとそれで満足なのだろうが、私の場合には、物が正しく織れるのは当たり前のこと。私自身、現場経験というのは1年はないだろうけども、解決できない問題が私のところに回ってくるので、そういうのが解決できないと機屋が機屋であることは出来ないだろうと思える。他人に頼るよりも判らなくても自分でやってみて解決していく、それが大事だろうと思う。そういう姿勢だとそのうち上手になると思いながら仕事する。
2015年01月01日
あけましておめでとうございます。本気に雪のお正月。会社は休みながらも、私は、年越しで工場で作業していると、雪。私自身にとっては正しいお正月のように思えて嬉しい。

2014年12月30日
しばらく休んでいたレピアの7号台の機を乗せ換え。2640本の6枚の機があったのでそれを乗せて、120本増やして、幅が広いのでレピアオープナーを使わないようにして代わりにガイド式のオープナーを取り付けて、外してあったレピアを付けた。

織れるかと思ったら、捨て耳の枠が広い幅に対応しておらず、マグネットの絡みソウコウに交換するも、やはり、レピアが糸をリリースする際に、糸が緩んでループが出来る問題。それに対応するために、また、捨て耳の絡みソウコウを付け直した。

なぜか、縦糸のテンションが極端に強く。調べてみると送りが一番下の一番送る状態にあるも送りが少なく、縦糸が強く張りすぎる。送りを大きくするために、調整を繰り返し、なんとか送れるようになった。この織機では以前からリネンデニムを織っていたので、厚い織物用に織機の送りなどが調整したので、薄い織物は織りにくい状態。

織れるようになったものの、なぜか、織機の音が高い位置で織っているような感じの音。また、何か織るたびに当たるような音。その原因はずらしたレピアオープナーが織機に毎回ぶつかっている。テープをそのあたる場所に張ると音が軽減。年末で近所は帰省されてお休みの中、仕事なのでなるべく静かに織りたい気持ち。
2014年12月28日
織機には、黒の逆寸、緑の寸動、赤の停止、青の運転のボタンがついている。一番磨り減るのが、寸動のボタンだろう。今日は、寸動のボタンが微妙に調子よくないというので、交換をしてみた。

別に全部を交換する必要もなく、一番使わないだろう逆寸のボタンの中身と寸動の中身を交換すればよいだけと考え、それを行って調子よくなったのだが、すごいなあと思えたのは、昭和51年の機械の部品が今まで元気に動いていて、ようやく微妙に調子が悪くなったということ。40年前のスイッチボタンというのは堅牢なつくりをしていて、さすがであると思った。

タイヤローテンションに似た、修理の方法だが、こういう柔軟な方法をよしとするかよしとしないかでは、問題の大げささが大きく違う。
2014年12月27日
ものづくりの商売というのは、自分の頭だけじゃなくて体が動かないと駄目だなあとつくづく思う。自分が手本を見せられなければ、職人なんてそれ以上に動くことなんてないもので、職人の3倍くらいのスピードで動いて正しく仕事をこなしていくのをみれば、早く動かないと駄目だということに気がつくこともあろうかといえる。

これは正しい努力の一つ。技術ではなく基本的な部分で、方法を覚えても成り立たないスピードで仕事していれば技術がないのと同じ。地場産業が衰退するのも変なおごりだけがあって、実際に仕事が目の前にあっても正しく利益のある形で進んでいかないということがよくあろうかと思う。

また、経営で面白いのは、布なんて野菜なども同じで、たくさんあふれてしまうと商売が成り立たなくなるもの。ちょっと珍しいものをできなければ駄目で、そのためにはほかの人と同じ事をしていればほかの人と同じ結果。それでよければよいが、繊維産業の全体が傾く流れの中で、無理と思われる逆に張ることが案外必要だったりする。

林与の得意とする超細番手リネンにしても、織れないといわれて普通は手を出さなかった領域。惑星直列のような奇跡も伴ってくるもので、普通は織れないといわれるものが、今は一般に生産ができるようになった。近江湖等の産地に、超細番手リネンの最先端があるというだけでも意味があろうかと思う。

よい糸が消えてしまった2000年あたりから100番手を超える糸がほしいと糸商さんに相談したが、ないといわれ続けて、結局、自分で探して持ってきた。持ってきただけでなく、それを織れる形にした。織れるだけでなく、素敵に見える先染めのストールに仕上げた。リネンを柔らかく加工したかったが、当時はまだ柔らかいリネンの加工がなく、自分で、リネンを柔らかく加工した。出来上がったリネンストールが宝石のように思えたのは懐かしい、今もその頃につくったものは輝いている。

実際に、素敵なものを作り上げても売り上げをつくるのは難しいのを感じたのもそのころ。新しいものを売ろうとすると自分での販路開拓の大事さ。ほとんどの人は逆に張ることはできない。自分の給料の何倍もが飛んでしまうようなリスクもあるけど、ものづくりの裏にはそういう逆に張って売れなくても我慢して続けることでオンリーワンになれるところもある。

そういうのが実際には越えられない壁の存在でそれを超えていくところだろうといえる。壁に直面して、ふつうはその壁があるので無理という決断、普通を基準にしていると無理で終わることがほとんど。実は、私もほかの人にやめたほうがよいという親身なアドバイスをすることが多い、普通を超えたことを我慢する覚悟がないと、商売なんて波があるのである程度うまくいくことがあっても続くことは少ないものだから。そのときにどうするかも大事。うまくいかない一つの要素があっても、ほかの要素で補うというほうほう。ふつうの3倍、4倍仕事していれば一つの失敗を補うことは可能だろう。
2014年12月26日
レピアの出る周辺での横糸の打切れの問題。この問題にしても以前から起こっているが、なかなか職人さんでは解決が難しい問題ではある。結局は、部品の消耗と絡んでいて、打ち切れが起こるのだ。

糸が緩んでループが起こる問題にしても、職人さんではなかなか解決できない問題で、昔、うちが織機を入れていた出機さんで、その問題が発生し、それは捨て耳のカラミソウコウが糸をホールドした状態で、レピアが糸をリリースしていないからだと説明するけど、それは違うと否定してしまう。同じ問題は自社工場でもあって、ループの問題直らないと工場長がいう。経験のある職人というのは、経験が邪魔して、私が説明してもなかなか理解ができないのだ。

織機をほとんど触らない私が織機の動きの正しい説明を理解してしまうということが、年配の人たちにとっては、一番、シャクに障ってしまうのだろうから、丁寧に判らない真似をしながら正しい答えに誘導をするが、やはり、相手にしようとはされないものだ。

こういう経験をしているので、私自身は同じ織物の世界にいてもひと世代前の人たちとは違う目で織物を見つめることができる。解決のチャンスがあるのに、面倒だからそれをしようともしないということから始まることも多い。この面倒だからという部分は、経験の浅い初心者が初めてのことをするのを億劫がるのと似ている。初心者はほかの人にしてもらおうとするが、経験者であってできても面倒がることが多く、自分がやらないという結果に繋がる。

私は、解決のチャンスがあるなら試すことが多いので、案外、正しい答えを早く知ることができる。それはすなわち、解決までに失敗を多くしているということなのだが、失敗せずに成功しようとするから、正しい答えにたどり着くのに時間が掛かるのと、経験値が結局少ない状態が続くのだ。

こんなことを偉そうに書いていても、たかだか機屋の小さな世界。そんな小さな世界の一つの問題を解決するのにも、人の面子のほうが大事だったりと、仕事と関係のないところが大事だったりして、守られた田舎の社会というのはややこしくて大変なもの。そういうややこしさが地場産業衰退の大きな原因であったりもするのだろうと思うことが多い。
2014年12月25日
織機のギアというのは、35のギアなら35個ギザギザがある。80のギアなら80個ギザギザがある。ギアというのは2つを使う、基底のギアは、林与にある織機の場合には37で、基底のギアに37を使うと、ほかのギアの数値がインチ当たりの本数となる。

打ち込み本数というのは2つのギアの組み合わせで決まるのだが、普通職人たちは、ギアの組み合わせの表を使う。私自身は、ギアの比率を計算して割り出すので表を使う必要はない。

まあ、ギアにしても理論知的なものなので、あまり小さいギアを使うと回らなかったりすることもある。そういうのは経験的に学ぶことだが大事で、そういうのが判っていないと、頭で何でもできるような勘違いに繋がる。

織機には、いろいろなところにギアが使われている。ギアは通常、削り出しでなく、鋳物である。鋳物の世界というのは非常に強く、案外角が丸くなっても正確に動き続けるものだ。削り出しのギアだと精密すぎて逆にギクシャクする。
2014年12月24日
今は、クリスマスだけでなく、ハロウィーンパーティも日本に進出してきていて、バレンタインズディもそうだが、なにかと昔は目くじらを立てていたものでも商業的なビジネスパワーが働いていつのまにか受け入れられるようになってしまうのが日本の傾向だろうか。

どこかほかではやっているものを持ち込んでお金を儲けようと考えることは多いと思う。セレクトショップなんかも海外に行って売れてそうなものを日本に持ち込んで売ろうとする。

しかしまて、自分自身で作り出すということも大事じゃないのか。クリスマスに似たものを自分たちで作り出すというのも大事。宗教というものにしてもセレクトするのではなく、自分自身で生み出してもよいと思える。
2014年12月23日
織物は冷え込めば冷え込むほどに織りやすい。氷点下であるほど織り易い事はない。糸のなかの水分すらもが凍ろうとして糸が強くなるのだろうか。温度の下降途中は非常に織り易く、上昇局面は織りにくい。湿度の上昇と低下と絡んでいるとは思う。

滋賀県で織物が盛んになった理由に琵琶湖が挙げられるが、私自身は琵琶湖はそれほど大きな理由ではないと思える。一番には人の要素で、2番目には農業が盛んで雪深かったこと。夏の蒸し暑さよりも、冬の厳しい寒さこそが、麻織物のイメージである。昔から、湖岸で織られるものは安価なものが多く、陸地で織られるものは上等だったとされる。

湖岸では太い繊維のものが織られ、山側では細い番手のものが織られていたということが言われる。琵琶湖が麻織物の要因なら、湖岸で細い番手のものが織られていてよいはずだが、豊国地区のような琵琶湖と山の境の農業が盛んだった地域で繊細な麻織物が織られていたということは、農作物に非常に恵まれていたことが、閑散期の麻織物の生産を支えたといえる。

琵琶湖に近いところにある母親の実家には、子供の頃よく滞在した。生活は農家ながらも、川からの恵みと琵琶湖からの恵みで食生活の半分が成り立っていた。漁民的な水の文化を子供ながらに感じたものだ。
2014年12月22日
町の広報が回ってきて、目を通すと、地域資源に関する町内の小中学生1500人のアンケートでは、近江でつくられる麻織物を1番とあげた子供はゼロ。毎回、町の広報にも麻織物関連のことが掲載されていながらも、それは分かる気がするのです。私自身、小学校、中学校のときに家の仕事が滋賀県にとっては当時でもすでに希少な存在になっていることを認識していませんでしたし、ましてや、大人でも麻織物の認識がある方というのは少ないものです。

そこには、先生方の認識も少ないと思えますが、でも、そういうのを強要することはまったくよくないことだと思え、仕事をしている本人たち自身が自然な形で続させていくしかないのだろうと思えます。地元で織られた麻織物製品を使っている子供たちというのも非常に少ないのではなかろうかと思います。

今の認識率なんてものを上げるために力を注ぐのは馬鹿げていて、そんなことよりも、元気に仕事が続けられるように自分自身が実際の仕事をこなしていないと駄目だろうと思えます。麻織物に携わっていて自分自身に創造する能力がなければそれまでのことで、そこで、誰かに守ってもらおうみたいな考えに陥ることこそが衰退的な考え方だろうと思えます。

実際に難しいものをつくれる人が残っているのかというと、どこもが同じだろうといえます。この数年でまた、産地でも実際に織っておられたところが数件機場を閉じられて、その理由にしてもよく分かりすぎるくらいに分かるのです。一回一回が乗り越えていけないと続かない仕事だから。特殊な
2014年12月20日
車のタイヤがパンクした。タイヤなんてパンクしないようにつくれるだろうにと思うが、パンクしないタイヤはそれほど良いものではないということだろう。蛍光灯や電球なんかも切れないものをつくる技術はあるというが、それだと駄目。パソコンなんかも保障期間を過ぎれば壊れるようにつくる程度がコストパフォーマンスもよくなる。

織機にしても織機メーカーが日本から消えたのは、耐久性がよすぎたためではないかとも思えたりする。でも、そういう何十年も使える織機を作る技術がかつての日本にはあったということはすごいこと。
2014年12月19日
すでに年の瀬を感じるのは、仕事に追われていてどうしようもない状態。一つの問題を解決するために何十分か使って、次の問題、そして次の問題。電話が鳴ると新たな案件が、でも、今日も一つ仕事の案件で自社以外の製造工程での数値的な問題でクリアできるか心配していた案件が早速に解決してもらえて、全体がどうなるか心配していた問題だけに悩みが解けた。

仕事を頼んで頼んだ先が仕事でベストを尽くしてくれる状態でないと、問題解決がこちらに回ってくる。たとえば、染のサンプルをつくってもらって注文が入って、本生産で連絡が取れなくなったところがあってそれを自分で解決したことがあって、仕事に対する責任感というものがないと、逃げてしまわれるということはよくある。サンプルはつくれても本生産が作れないものなど提案してしまうと自分自身で地獄にはまる。

ものづくりの仕事は紙一重の世界。売れないとすべてが費やしただけに終わる。生地の開発などでも問題を解決できなければ、やればやっただけ損が募ることになる。その紙一重のところが、技術のあるなしで明暗が分かれるようなところ。一つの壁をクリアするために、一から材料を投入して物を作ってテストする。見た目や風合いだけでよいのかというと、物性の問題をクリアできないと成り立たない。
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