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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2015年04月16日
仕事に失敗は付き物で、その失敗をどうリカバーできるかが大事だったりする。私の場合、仕事を教えるときに失敗したら、あの手この手を教えるよりも、最初からやり直すことをまず覚えさせる。失敗したら最初からやり直さないと本当に正しいものはできないのだ。下手な手抜きを覚えて出来たつもりになっている人というのは常に失敗ばかりでほかの人が手直しする仕事が増える。

基本を確実にできるようになった段階で、途中からどうやったら正しく手直しできるのかを教えたりするのだが、まず、自分で自分の失敗を手直しする気のない人には教えてもなかなか難しい。ものごとを正しくするよりも、失敗したものを直すことのほうが難しいので、正しく出来ない人というのは失敗を直すことも出来ないものだったりする。

新しいことをするときには失敗は付き物なのだが、一回失敗して同じ失敗を繰り返す人というのは仕事では残ることは難しい。一回で失敗の意味に気がつく人というのは失敗がまさに成功のもとなのである。

テストなんかでも70点でもよいのだが、同じテストを次回やったら100点が取れるかどうかが大事。仕事も同じことでできないから教えてもらって、次回もできないでいては仕事とは呼べないだろう。



2015年04月15日
中国の何千人の従業員を抱える企業を訪問したときに、謙遜とお世辞も入っているとは思うが、なぜ長く続いている理由は何なのかと尋ねられ、「我慢」ですとお答えした。私が経験から、外資系の長優良企業であるコンピュータ製造工場などは理想の究極であったが、そのコンピュータ工場で働いていてこの工場は長続きするはずがないと感じたのが正直なところ。

理想的なサクセスモデルほど追い求めているものが理想なので方向転換しようがなく、結局、その程度のことは日本でやらなくても、安定したインフラ、すなわち、安定した電気供給、綺麗な水、物流などがある国なら、日本でなくてもできるのだ。アップサイジング基調では商いと言うのは無理なく広がる。スケールが大きくなるので仕事の内容もより簡単になる。ダウンサイジング基調では、スケールが小さくなるので同じ仕事内容を維持しようとすると、人も減らさないとならないので難しくなる。日本でも大きく成長していった企業が最後に破綻するケースは多い。結局、自分自身の中で競争を生み出してしまうほどに大きくなりすぎ、ほかを潰した勢いがこんどは自分に降りかかってくるという感じだろう。

コンビになんかでも、同じ店舗同士が近すぎて競争になってしまってて、それはまずいだろうと言うことにすら経営サイドが気が付かなくなっている。売れている店舗があって、もう一店近くにできれば、トータルの売り上げが伸びるだろうと経営が考えるのだろうが、1店舗がうまく成り立つのと、2店舗が両方厳しい状態の経営で存在する違いというのが見えないのだ。これを大手メーカーや百貨店規模でもやってしまうから、数百人が働く、百貨店や工場ですらもが消耗品のように閉じられていく。急成長した大手のアメリカン子供服メーカーが破綻したのも規模が大きくなって飽和すると、1店舗でうまくいっていたものが、2店舗にして2店舗とも悪いということになりかねない。

なぜなのだろうか、広がる局面を経済紙などは成功のように書き立てるが、行き着く先というのが破綻であるという風船が大きくなっていつしか破裂するかの状態でしかないのに気がつかないものというか、気がついていてもじっと我慢するというのがなかなかできないものなのだ。

日本の資本で動いていると国が潰してしまうので、国が手の出ない外資に身売りして存続するケースも増えている。それがよいことなのか?普通よりも努力して自立している会社や商店街でもたくさんつぶれて行ったのをみるに、国ももうちょっと我慢してものごとの現実をみないと、多様性が消え、日本文化が行政チックというかサラリーマンチックになりすぎて魅力あるものではない。チェーンの居酒屋なんていたるところに増えたけど看板が違うだけで、どこも同じに思えて仕方ないが、個人経営の居酒屋ってお店一つにしても味がある。
2015年04月14日
先日ある日本の工場の社長さんと話していたのと、中国の織物工場を見学したのとが頭の中で重なるところがある。日本の工場でも生産量が多いと中国の織物工場のように分業化で作業を専門化し単純化してしまうのが理想系である。

私も昔、最先端の半導体工場で働いたことがあるが、一日中というよりも、一年中、あるいは会社が続いて仕事が続く限り一生、同じ一つの仕事で終えるというのが、大量生産の現場では理想なのだ。実は、昔、地場産業系のものづくりは、この大量生産のシステムが成り立っていたので強かったといえる。

しかし、大量生産のシステムの中の人というのは、全体がどうとか考える必要がないので、問題が起こったり新しいものをつくろうとするとき、また厳しい時代には大きな壁だったりする。中国の工場でも、できるレベルのものに特化するというのが一番安全で流れ作業を止めない理想形のように思える。

麻のもので色の濃いものをすると、色の薄いものと比べると、普通は摩擦堅牢度の問題で苦戦するものだ。やはり表現力豊かに見せるためには、色は大事で、安全なところの色でとまっていると、大量生産向けの色帯から抜け出すことができない。風合いなんかも面白いと思える風合いのものというのは、物性が安定していないので、量産には向かない。

量産しようとすると何度も何度もテストが必要で、そうやっていてもテストと本生産では、規模が違うので、見えない問題が起こったりするのでリスクが高い。日本国内で生地に求められる品質というのは厳しく、それゆえに今は日本では普通の布しか作れなくなってきている。海外の量産と同じ安全なものしか作れないという状況なのだ。

つくるものが似通ってくるとそれをつくっている人の考え方というのも似通ってくるもので、結果として文化も似通ってくるだろう。織物は文化だといわれていた方があったが、国によって異なる織物、地域によって異なる織物というのは、文化の違いの象徴だろう。

上海に日本の商社におられた社長がやっておられるテキスタイル会社があるけど、考え方が今の日本人以上に日本のものづくりみたいなものを大事に思って下さってて、数年前の上海の展示会で何百社もある中国のブースを一通りざっとみたときに、一番面白いなあと思って、このアイデアがどこから出てきたのだと不思議に思った。

数年後の展示会で、その会社の社長が弊社のブースに来て下さり私と近い考え方だった。どこからか私の会社のことを聞いて挨拶に来てくださった。ものづくりに包容力があって損得勘定じゃないブランド的な方向性がある。やはり、布の世界も突き詰めていくと哲学の道にたどり着くものだ。せっかく生き残っている機屋なので、生きている限りは研ぎ澄まされた精神を持てるよう、自我を捨てて物を見つめて物に精神が宿るようなところからはじまらないと、本質的な差別化も難しいであろうと感じる。

霞を食べて生きる仙人みたいなのもほんと理想馬鹿なのだろうが、2日納期に追われて飲まず食わずで織機を動かして2日で5kg体重が減るとか、たぶん、普通は一生に一度もない経験を積み重ねて普通とは違う世界が見えてくるものもあったりする。そういう経験が普通だと日ごろからしてつくるものにも思い入れもこもるものだ。

昔、商売というものを深く考え直した一件に、3日寝ないで現場の立仕事、4日目に朝から昼間で睡眠、それを1ヶ月繰り返し納期を乗り越えたこともある。それは比叡山の修行僧以上の世界だが、それでいてそれが幸せな結果なのかというとそういう苦労は報われないもので、安く買って高く売るのが問屋の技術みたいなことをいわれて、まったく商売の方向性が違うのを感じた。それが普通なのかもしれない。

そこまでいかなくても、基本としてほかと違う、そういうものづくりが哲学的な要素を必要とする部分では求められていたりするのは当たり前なこと。デザイナーさんを含む人々と接していて思ったりする。織物をつくっていても、デザインがとか品質がとかいう前に、人生観みたいなものがそのモノづくりしていくのかどうかを決めると思う。
2015年04月13日
今日は週があけて助成金のまとめの提出を予定していて、日曜の夜も書類作成に時間を使って、昼間で位にできるかと思いきや、別件が3件ほどと途中お電話を数件いただいて、夕方には出せるかと思っていたけど、結局7時頃に大津に持込で提出。

そのあと、会社に戻って留守の間にいただいたインターネットの注文を出荷の担当のものと出荷準備。多くの出荷が遅れておりますが、明日には、ほとんどの出荷が完了の予定です。よろしくお願いいたします。
2015年04月12日
夜中1時半に会社に戻って、今日は午後からお客様なので、寝ておかないとと思いつつも、上海ではメールを送ることができない状態だったので、メールの返答を明け方までして、朝から助成金の提出のための資料作成。

ご依頼をいただいていた作家さん向けの布の織り出しを送らないといけないと、上海の展示会に行く前から思っていて展示会から帰って、上海にまたいっても、まだ、織り出しが完了できていない状況で、3時間ほど掛けて織り出しを行って、発送の荷造り。

正午過ぎにお客様を駅にお迎えに行こうとすると、電話が掛かってきて、来客があって、急いでいるときには別の用事が増えるいつものパターン。5分遅れくらいで、収拾がついて駅で東京からのお二人のお客様と合流し、食事のあと会社で近江湖東織物の歴史や近況など、ちょうど、お客様がバルク注文下さっているストール生地を織っているタイミングだったので、その織機を中心に眺めて、シャトル織機の解説など。

あっという間に時間は過ぎて、一人のお客様を新幹線の駅にお送りのあと、もう一方とお食事しながら、半年振りくらいにじっくりとお話しするので、今後一年くらいの林与のビジョンなどをお話しする。林与のつくる布を大事に思って下さるお客様がいてくださるということは本当にありがたいことで、一つ一つの仕事大事にしているのだけども、やりはじめるとどうしても自分でも納得できるような布をつくりたいと時間を使ってしまうので遅れていることが多い。

今の日本で織物の作業をこなせる人ってもう本当に少ないと思うのだ。私は織物の作業というのは時間さえあればそれほど難しくない何でもない仕事だと思うのだが、普通の人にとっては、30分が集中力がもたないことがほとんどで、集中して生産性が上がるモードになる前に、休憩というパターン。ほかのことに興味が一杯の人にはこの仕事は難しいだろうなあと思う。
2015年04月11日
昨日の夜は、蘇州の電気屋さんで携帯電話を中国で使えるようにできないか聞いたり、ホテルに戻ってから昨日現地出荷した荷物の送り状の番号などメールが送れず、電話で通訳に説明してもらったり。

今回、蘇州に来て思ったのが非常に健康的な感じがする。会社のトップの方も、水筒にお茶を入れてそれを飲んでおられ、お土産にもお茶をいただいた。急須などでお茶を漉すこともなく、そのまま飲むタイプのお茶で、初めてで、お茶の葉が口に入るのだがそういう飲み方が贅沢な飲み方に思える。水分好きの林与、ほかの人の5倍くらいは飲んだろうと思う。

今度は6月ころに双方の日程も調整の上で、社長と大学の先生が、一緒に日本に来て下さることになり、日本の織物の世界というもの実態を感じてもらって、今後の会社運営の参考にしてもらえる部分もあるかと思う。小さい会社のほうがパワフルな部分もあるのみてもらえるだろう。

帰国の前に上海の南京路で、私はほとんどショッピングしない派なので、付き添いみたいな感じで、お天気がよいので日向ぼっこ、ゆっくりと冷たい飲み物片手に悪くない。体から水分が蒸発していく。ショッピングエリアに来て、買いたいものみたいものがないというもの味気ないが、日焼けして帰りそう。
2015年04月10日
今日は、蘇州の織物の企業集団を見学する。大きな工場でゆったりとしたスペースで、作業するものは黙って仕事しているので人が多いのを感じない。働いている人は織物の現場で女性が多い。たとえば、完全に分業体制で整経の現場も一台の整経機に二人が着く。これは林与の場合には緊急の急ぎの態勢の状況。

大きな工場だが織物の工場においては、どれだけ分業し一人の作業を単純化するかが鍵になるのだろう。30年ほど昔の人の多かったころの林与の工場の中の仕事と似ている。一人が一つの場所で一つの仕事をこなすのだ。中国の繊維業界においては成功を納める優良企業の代表格であろうといえる。

日本で同じことをやると成り立たせるのは難しいだろう。まず、固定資産税の高さ、人件費の高さ、からして、それを抱えるだけで10倍の費用が必要になる。同じモノづくりで出来上がったものが10倍高くなるだろう。そのときにボリュームは流れなくなり、小ロット生産での多様性が必要となってくる。

中国もGNP世界第二位となって、あと10年後には世界第一位になるという勢いで、普通のたくさん立ち並ぶ、駅からも離れていそうな場所の蘇州の高層分譲マンションの一戸が450万元(9000万円)からという規模、東京よりも高くなり始めている。日本の繊維業界と同じ道を辿る可能性もあろうといえ多様性のある提案をしなければ生き残れなくなるだろう。

日本も戦後、働く人の9割が繊維産業に関連していたといわれるほどの国だったのに、今は3%未満だろう。産業が高齢化するときに一世代を乗り越えるというのは本当に難しいといえる。中国も同じ道を辿る可能性はたぶんあるだろう。日本も韓国の繊維産業も同じような道を辿った。繊維産業というのは国の生産力という意味での国力のバロメーターでもある。国際社会において、5年10年というのは非常に早いものだ。
2015年04月09日
セントレア発の朝の早い便で浦東、地下鉄、新幹線で、蘇州に入る。上海駅から蘇州の新幹線は日本の新幹線と非常に似ているがより広いように思う。空調が優秀なのか乗車途中の30分が休憩しているような気分。

あまり寝ていない疲れが出て、飛行機の中でも地下鉄の中でも新幹線の中でも、常に眠れる状態。ホテルに着くともう夕方、ホテルも当てもなくだが、駅の近くに漢庭酒店があったので、そこに決める。上海の漢庭よりも新しいので居心地はよい。
2015年04月07日
上海に9日から11日、向かうので、出発前に終えておかないとならないことが多い。1日でできることも限られているので、たぶん、また、できる限りでの出発となりそう。ご注文いただいている出荷は、出発までにお送りできればと考えております。

やらないといけないことが一杯の中、さらにお話をいただくようなこの春の現物、また来春の企画の始まる時期。一つのプロジェクトが深すぎるとほかのプロジェクトをこなす時間がなくなってしまう。

2015年04月05日
日本国内では、普通にしていて成り立たないことが多くなっている。大きな企業でも工場一つが消耗品のように閉鎖されてしまうのが普通になっている。

小さな会社が普通にしていて成り立つはずもないだろう、と常々思う。滋賀県という場所では、駅前の一等地のお店でもお客さんがガラガラというのが当たり前で、駅前の一等地ですら商売をするのがマイナスに思えてしまうような厳しさ。これは近江の人が質素倹約的なことに由来するのかもしれないが、駅前まで行かなくても居住地域の近いところに大きな駐車場を備えたショッピングセンターができてそちらに人が流れていることもあろう。

ものの価値がプラスからマイナスに、繊維の商売なんかも、規模が小さくなって普通にしていると仕事がマイナスという流れ、正しいものが出来上がって、売り場に置かれれば、ものが普通に売れていかないと、持続性の面では、ものづくりしている人の働いた分がどこからも補われないことになる。補ってもらったとしても、それが正しい消費と繋がっていなければ、持続性はない。

林与の場合、自分がつくったものをすべてお客様に提案できるようになったのは、自分で展示会に出て、自分が提案できるようになったから、それまでは、何十のものをつくってもその一つ二つしかピックアップされなければ、それでは、トータルとして自分のやっていることが成り立つはずがないのだ。また、値段も自分で決めることができるようになって、つくる計画と販売の計画、また、在庫などの管理のすべての見通しが立つようになった。

つくって売れないなあと思っていても、自分で販路を持っていれば2年もすれば結局売れてしまっているということがほとんど。自分が面白いと思っているものは、ハズレではないことが多いので、それをどう上手に披露させるかさせないかだけの問題だったりもする。その場合にどのように謳ったり披露させるかは大事で、仕入れ先や売り手の生地に対する価値観が林与と整合していないと、なかなか売り場でもお客さんへの提案も難しいだろう。

以前、あるお客さんが、「林与さんの生地のほかとの違いは何ですか」と聞かれて、普通と思われるかもしれませんが、麻を織り続けていることです。とお答えさせていただいたら、予想された答えと違ったようでなっとくいかないような顔されていました。わかる気もするのです。
2015年04月04日
桜というのは1年に一度なので、人生でも普通100回も経験をしないもの。無料で風景を楽しめるというのは贅沢なことだなあと思える。花より団子という言葉があるけども、桜をみたいというような気持ち、大事にしたいところ。

別に祭りにすることもないし、食べ物も必要ない。桜の色を眺めるだけで、満ち足りる感じに思う。桜はそもそも大陸から渡ってきたものだろうが、それが日本の昔の人の技術で品種改良されて、日本で独自に進化し、より美しく見えるものに変えられてきた。鎖国していたことで、自分たちで生み出していく高まったのだろうと思う。菊は品評会などあるけども、樹木というのは、桜もやはり寺社仏閣の権威の象徴でもあったろうから、寺院を建てるのを同じく大きなお金がつぎ込まれていたのだろうと思う。

近江上布はほとんどが草木文様ながらも、柄の中には桜のモチーフがない。桜というのは浮世すぎるからだろうか。
2015年04月03日
近くで寝装関連の会社を運営されている方が、新しい商品開発を考えておられ補助金を活用しようとされて、その案件の相談に来て下さいました。生地を提供させていただく形での協力になるのですが、ぜひともよい形に繋がってほしいものと思います。

ものづくりと販路開拓の両方がうまく機能しないと、プロジェクトが最終的な目標は達成できないということになろうかと思います。新しく作ったものがうまくうれればそれに越したことはないですが、そう簡単に新しいものが売れることもないでしょうから、新しいことにチャレンジするということに価値を見出すのも一つのことだろうと思うのです。

産地でも、職人さんたちの高齢化という問題だけでなく、同時に経営者の高齢化という問題もあろうかと思うのです。私も40半ばで十分おっさんくさくなっていますので、若い世代の人が前向きに動いているのをみるときに、失敗しても自分の思い通りのことを実行する経験が大事だろうと思うのです。やろうと思って、やれなくてのままよりも、やってみて失敗を経験してみて、それをリカバーするという力を養うのが大事なのです。

今日もあるプロジェクトに活用できないかと補助金関連の窓口に5時5分前に電話したら、5時までに相談を終えて下さいね、と何度も何度もいわれます。そういう相手にまともに話しをしても時間の無駄なので、別の人に相談というのが正解。浮かぶのは、その組織の執行陣営の苦悩。本来ほかをモーティベイトしていかないとならない指導的立場の組織の中が陳腐化。
2015年04月02日
今日は東京からお客様、糸関連メーカーの営業の方と新入社員の方に織物の現場を見学。林与が非常に少ない人数ながらも、いろいろな規格の織物を作ってますよ、みたいなところをみてもらいました。

ちょっと危ないのですが、現場でシャトル織機を少しだけ、私がガチガチに助けながら動かしてもらうという経験をしてもらって、シャトル織機の重さとかも感じてもらえたかと思います。シャトルを動かしながらお話させている途中も、織機を覗き込んで熱心にご覧下さったりするのですが、シャトルが万が一飛び出したりする危険性を考えると、その軌跡に入ってしまわれているので、危ないので下がって下さいというけども、何が危ないのかはわかり難いものだろう。

織機を二人で分業的に動かしたりすることが一番危険だったりして、友達気分で一人が糸切れを直してもう一人が運転に入れたりすることがあるが、そういうのが一番危ない。織機は一人で動かすのが原則なのだが、二人で動かすことを注意されても何が危ないのかがわからない人も多いものだ。
2015年03月31日
READYFORのプロジェクトの目標到達が見えてまいりました。これは私ががんばった成果ではありません、皆様に助けていただいているだけのことだと思っております。うまく織機の移設を成し遂げて動かせたらと、みなさまの期待を裏切らないように全力を尽くす覚悟ではおります。

織機があれば織物が織れるというわけではなく、それをメンテしながら使いこなしていく技術がなければ、まさに大きな鉄の塊というだけのことなのです。シャトル織機は調整が難しいからといって、中途半端な問題が潜む織物をつくると仕事をすれば仕事をするだけお金がなくなるという怖さも秘めています。

でも、私はおじいさんみたいなシャトル織機がいい感じに思うのです。もちろんレピア織機も厳密な織物を短納期で量産しないとならないアパレルの世界では必要となってくる場面も多いのですが、シャトル織機の中には織物の基本がいろいろと詰まっていると思えます。人が道具を使いこなすという辺りでしょうか。オンとオフだけじゃなく、失敗して後戻りが難しい緊張感。人が織機と一体化しないと繊細な麻織物は綺麗に織れないのです。

シャトルが飛び交って織物が織れる。皿回しか、ジャグリングのような状態の継続で、織物が織りあがっていくのです。レピア織機でも糸をレピアがつかむときのタイミングなどが高速な状態で成り立って織物が織りあがっていくので同じなのかもしれませんが、北風と太陽の話でいうなら、糸にとっては、レピアは北風、シャトルは太陽のような存在だろうと思うのです。

綿と麻では、同じ織物でも糸の伸縮の差が大きく、糸切れやテンション管理の頻度がまったく異なります。意欲的な麻を織りたい綿機屋さんの相談を複数、受けたりもしていますが、麻はやはり綿とはちがうということでしょうかなり苦戦されています。

一般に麻布でも耳糸には綿糸を使うのは、綿糸はやはり柔らかく織りやすいからなのです。シルクや綿機屋さんが、他産地では、100軒を超える単位で残っておられるのにくらべ、麻織物の本場といわれる湖東産地で麻機屋が数件、風前の灯というのも、本当に他人事ではない状況です。産地で流れる麻生地のたぶん96%、97%に近い部分が他産地産生地や海外産生地であるということも踏まえると整合性の部分でも産地内の方でも自分で売っているものは大丈夫だろうかとか、ショップをやっておられる方が自分の取り扱っている生地は大丈夫だろうかとか、心配され相談をいただくこともあったりして、産地産生地が産地でも稀なだけに、扱われている方も悩みは多いのだというのを感じます。

案外、昔からの機屋というものは正直で、産地の機屋さんでも自分で織っていないものは織っていないと産地でも公言されているのです。が、流通過程や販路にのると、うたいが必要となり産地で織られたものにすり変わってしまうことが多いようで、百貨店さんやブランドさんなどは、繊維ではカシミヤや食品の産地偽装などでも大きな痛手を受けておられるだけに、どこで織っていますかというあたり一番最初に確認されるのが最初の質問だったりするのがほとんど。産地で織られていないケースがほとんどということも百貨店やブランドさんも知って緊張をもって正しく対応されているのだと思います。
2015年03月30日
穏やかなお天気に包まれて、今日もやらねばならない仕事がたくさんありすぎで、普通は3月末となると仕事が落ち着くのだが、今は5月の連休明けくらいまでの仕事の予定が埋まり始めている。5月は連休があって、5月21日、22日、23日と東京でのテキスタイルマルシェ&5月27日、28日はプレミアムテキスタイルジャパン。

もう5月末までの予定が埋まり始めている感じだ。今日は今年用の新しい近江上布柄を15柄から20柄くらいつくろうと準備に取り掛かり始めた。4月も9,10、11日と上海行きが決まった。まだ時期は確定ではないのだが織機の移設なども先方様の都合が合えば6月頃になるのではないだろうか。

満ち足りて自分で何もしない状態というのは、そんなのが数日続いて普通になると、落ちていくだけのこと。いざ仕事があっても面倒に思え出したら危険信号。仕事がないときに仕事をつくる努力をしないといけない立場が、産地でも次々と廃業が続く企画機屋の立場で、単なる加工業とは違うところに責任の大きさと華の部分がある。近江湖東産地が高級麻織物の産地といわれるのもそういう華の部分があったからだろう。
2015年03月29日
今日は、米原の文化産業会館で「湖国の祭り」のロビー展示。天狗の装束や甲冑を着た人が県内から集う。ご年配の出演者の方が多いように思え、保存会的な存在の方々なのだろう。お客様も家族の方が多いのだろうと思えるが、ご年配の層を中心に1000人くらいおられるのではなかろうかと思えた。林与を知って下さっている方は声を掛けて下さって、友達のお父さんとかで懐かしい。

ある方から保存活動がなされようとしている旧の郡役場にシャトル織機を入れて高校生が動かすという話を聞いた。私自身が会社の中で非常に気をつけていることがあって、シャトル織機を動かすときに一番心配なのはけがをする危険性は非常に高いこと。私の会社でも適性を見極めて、シャトル織機を動かす覚悟と動かせる運動能力と自分自身で危険を回避できるような判断能力を持っていると思う人にしかシャトル織機は触らせないという厳しい現実はある。また、それがその人を守るということにつながる。
2015年03月28日
つなぐ通信の最新号を届けていただいた。3ヶ月に一度でも、取材にもとづく構成で大変だろうなあと思う。この前、伊勢丹新宿本店のイベントのときに、久しぶりにお会いできて嬉しかった。林与も、元気にはいろいろと動いて、いろんな経験を積ませていただいて、いろいろな方とのお出会いがあって、今日の自分が味ついているのだとありがたく思う。

もうこれ以上に動いたら収拾がつかなくなると思いつつも、新たなことを広げていくことばかり考えている。おかげさまで仕事のほうはたくさんいただいてほんとうに幸せな状態。そういう余力を仕事に費やして新しいものを生み出していければ、今の時代の繊維産業が厳しいといわれる中では理想的な形だと思う。

私自身、絵がすごく上手とか、芸術的な才能に秀でているとかではなく、自分の能力が高いと思うものを組み合わせてフル活用しているからなんとかなっているんだと思っている。動いていると情報発信につながるし、モノづくりしてもそれがみてもらえないとよい循環のきっかけすらも生まれない。

つなぐ通信には失われたくないようなものがたくさん登場する。私のようにガチャガチャと情報発信してしまわずに、ひっそりと守られ評価されている世界が多い。仕事として地道にしておられることが、ファンの方を増やして生き残られているという商売も多い。そういう人たちは、道に咲く一輪の花のような存在だろう。自分で立たれている姿も美しい。
2015年03月26日
今回、中国の展示会で、1個づつ真空パックしてあるタイプの醤油卵をたくさん買ってきた。自分用である。なんとなくなのだが力が込められているような気がして食べるのだ。味も濃いのでこの卵を食べるだけで満足感に浸る。肉類は持込が厳しく禁止されているようだが、卵は禁止項目ではなかろうと思う。

すごいなあと思えるのは、ゆで卵のようなものをお菓子のように保存食にしてあること。林与はお菓子の甘さは好きじゃないけども、こういう素材そのものの味が残るご飯っぽい食べ物は好物。

今回の中国の食事の中で、魚料理が食べたいことがあったのだが、レストラン入り口で鯰と一緒に牛蛙が窮屈にそれぞれ10匹くらいが一つの桶に入っていたのをみたがゆえにテーブルについてからも、そのお店の唯一の魚料理の鯰は注文できなかった。まだまだ中国の食文化には馴染めていないなあと思う。

でも、食文化にしても衣文化にしても、国によって違いがあるのは悪いことではない。人が世代を積み重ねるごとに蓄積されたものが違いという形で宿っているといえる。日本も鎖国をしていた江戸時代は特殊で江戸時代が日本の特殊性を凝縮させたと思える。

本来はそういう特殊性が魅力に見えるのだが、グローバリズムの観点からすればそれは否定的にみられる。日本国内においても地域の魅力というものが別の視点からすると否定的されることも多いのと似ている。

織物においても、たとえば近江上布なども一つ作るにしても普通の生活をしていて成り立つものではないというところ、よほど張り詰めたものがなければ、今の時間から時間的な仕事の感覚で生み出せるものではなかろう。通常は肯定されるべき一般的な感覚が伝統工芸の観点からすれば一番駄目な感覚だったりするものだ。

今、日本の織物が、2局面的に海外から評価されていると思える。一つは、ハイテク素材、もう一つは伝統工芸的な布の世界。ハイテク素材に関してはすぐに同じようなものが生み出されてくるが、地域的かつ歴史的かつ文化的な感性が色彩などから放たれるときにその特殊性は固有のものであろうとみなされ、そういうものを生み出す文化的な土壌に対しての評価がその布に宿ることになる。

食文化に戻ると、国内でもどこでも全国チェーンのレストランばかりになりつつあり、世界的なフランチャイズが田舎にも溢れる。熱い水と冷たい水が混ざるように自然の流れなのだろうけども、田舎的なものが都会的なものにやはり負けてしまっているような感があるのは残念なことだ。
2015年03月25日
昨日は補助金の件で、お客様が午後来られる予定が、出荷でキャンセルさせていただいて、今日はそのための書類提出で産業支援プラザに向かう。もうすぐ、今年のファンドの書類提出で、中間で出した報告書類も大きな問題はないということで、例年よりもスムーズに報告書の提出が終わりそう。

忙しかった3月のスケジュールの大半が終わり、これから生産に戻る。
2015年03月24日
今日は韓国輸出の作業、中国出張中に留守のものにストールの袋のサイズを聞いて、それに合うダンボールをつくったのだけど、届いてみたら横幅がダンボールが5cm広い。電話を受けて測った母親の測り間違いなのだ。

これも勉強、ストールを10枚づつ入れる小さな箱のほかに、その小さな箱を出荷するのに最適な大きな箱も作って1個の箱で送ってしまおうと思いたった。110cmX50cmX47cmのオリジナルの段ボール箱を作る。これで小さなたくさんの箱が中に綺麗に収まって1個の荷物としてお届けできることになる。

果たして、そんなにうまくいくのかと思いながら、朝クロネコの営業所止めにして、段ボール箱一つを送るためにそれを梱包されたダンボールも、それようにつくられて気の毒に思いながら梱包を解いて、小さなダンボールがその大きな箱に綺麗に入るのを確認。

これが出来なければ、フェデックスで2個口の発送になる。これがうまくいくと、ドアツードアのサービスでかなり送料の節約になるのではと思う。発送の箱に1万円をかけるというのも、尋常じゃないかもしれないが、それ以上の節約になっているのではないかと思うのだ。無事、6時半にフェデックスの営業所に持ち込んで今日のフライトに乗せてもらえることを確認。朝からの緊張した一日が終わった。
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