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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2015年05月06日
今日は連休の最終日、この連休にかなり追いつけた気もする。織機も修理と調整でかなり織り易くなった。織機というのは同じ状態でも糸が異なればうまく織れないことが多いもの。そんなことはどこの織機のマニュアルにも書いていないけども、現場が織機を触ってそれぞれの糸に対応しないといけない。

シャトル織機はもう国内で生産されていないが、レピア織機ももう別注でなければ生産できなくなているという。これは、国内の機屋が少なくなってレピア織機に対する需要がほとんどないということに起因するだろう。

10年ほど前、別の場所のある工場が新しい織機を数台入れたというのが最後に聞いたレピア織機の新古品が動いた珍しい話。海外だと普通にレピア織機でも新品が手に入る。新品が手に入るだけでなく、同じ個体がたくさん流通しているので、メーカーの部品が無くなっても、中古で部品が入手できメンテナンスも容易なのだ。今、日本で新品を入れたら最初はよくても長く使おうとすると苦戦すること多いだろう。

海外のメーカーも7年とかの償却期間で織機や紡績機械を新しく更新するようなスタイル、それが止まるとその会社の存続も危ぶまれるのだ。シャープの亀山モデルなんかもその一例にはまってしまうのかもしれない。繊維関連でも設備投資をし新しい織機を入れたところが廃業を決められるケースも多い。
2015年05月05日
子供の日なのに、今日も仕事しながら車で外を何度か走ったが、子供の姿あまりみかけない。田舎では高齢化が進み過ぎて子供は引っ張りダコで、忙しすぎて、こどもの日に道端で遊ぶなんてことも少なくなっているのだろう。

今日は、織機の移設に際して、工場の中にどのように配置するのかとか、工場だけでは手狭なので近くの空き工場を借りてそこにも設置を考えているため、高さなど大丈夫か調べた。

私としては人が少なくなっている分、織機の台数というのは余計に必要になる。できる限り多くの台数を移設したいと思うなか、限られたスペースにどこまでうまく詰め込むことができるのか。今、元気に動いている織機もできるかぎり残して、作業する人が少なくなる中、多様なものを作れるように環境を残したいと思う。

今の時点では自分が将来、織機を片付けたりすることを想定もせずにできる限り動かし続けることを考えたいと思っている。アウトソーシングとか、リスクヘッジとか、のまったく逆の考えで、自分でやって自分で重荷を背負ってみたいのが、なくなりつつあるのでよいんじゃあないかと思う。

今まで織機をまもってこられた工場の経営者たちはまさにそういうものを正面から受け止めて、ものをつくる環境を自分の体を使って働くことで守ってこられた。機械を譲り受けるだけでなく、そういう立場の人というのが消えていく流れの中で、機械もさることながら人という要素が強くなければ残りえないだろう。

今日も織機を8台ほど動かしているなか、そのうち6台の調整が必要となり、中途半端な気持ちではその一台も調整することはできないだろう。誰かが直してくれるの期待していたり教えてくれること期待しているようでは仕事なんてやめたほうがよいだろう。できる限り自分の力で取り組んでみることが、最終的に意味のあることなんじゃあないかと思える。

とことんまで追い詰められて救う神にであえることもあろう。最初、シャトル織機を入れ戻したときも、10台のうち9台がまったく織れないというような状況で、何十縦もの見本を受けて本生産の予定が先にあった。そこで、見本をなんとか乗り越えた後で、答えがほんと偶然見つかって、織れなかった9台が順調に織れるようになった。紙一重のところで、神の気まぐれに助けられることもある。

機械を動かせるようになるのは最初のところで、食べていくためには感性を形に変えるようなところがないとならず、また、織物の設計というのは将棋とかの世界と似ているなあと思える。また、単にデザインだけでなく、商売としての勝算をもって見本をつくる。勝負師的な要素が必要な気がする。自分が張らないと他人任せだと商売が始まらないことも多い。
2015年05月04日
たとえば、土地神話、年金、終身雇用制度、財政赤字、年功序列型賃金制、しいては、高速道路、原発、全頭検査、地球温暖化問題とか、共通するのは無理な考え方で、どうしても成り立たたないのだが、その場の勢いで行ってしまい、無意味な領域まで発展してしまう。

土地神話の成り立った背景には、信用創造の仕組みが機能していて、年金を当てにしたり、年功序列型賃金制、終身雇用制度などの相乗効果がある。金融商品など適切な説明が大事だとされるが、国とかの制度は正しい説明がなされないことが多い。後で問題が起こるのを承知でその場しのぎで逃げるスタイル、そろそろやめにしないか。次の世代がいびつな構造の中で生きないとならず可哀想。

原発なんかでも爆発することを想定して推進するべきだが、爆発する想定だと国が認可できないということがそもそもの矛盾なのだ。爆発する想定こそがまさに安全意識というものだろう。危険の存在を否定することのどこが安全意識なのかと思えるところで、危険は危険でそれに注意をすることが大事ということ、危険そのものを無くそうとするから矛盾が生じることも多い。

爆発した後も放射能の拡散データを隠匿するなど国民の人命や健康被害よりも、推進してきた国や電力会社の保身が優先されたというのも恐ろしい話なのだが、自らの保身のためには何十万人の健康や命すらもどうでもよいという姿勢が感じられる。情報の開示という面ではチェルノブイリのほうがまともだったろう。

石棺化で多くの犠牲を伴ったチェルノブイリを馬鹿にする風潮が日本にはあるが、福島も似たような運命を辿る可能性は高かった、紙一重に、人が完璧でなく地下から大量の放射能物質が海に漏れ出したことがチェルノブイリ化を偶然に防げたというだけのこと。今、放射能が海に漏れ出すのを防ごうとするなんて、本質に気がついていないのではと思うが、放射能を留めてどうやって収束するつもりなのか?内外の非難は浴びるだろうが、母なる海に助けを請うべきだろう。
2015年05月03日
今日は休みに関わらず織機の移設の段取りを組むために4月末で終えられた工場で打ち合わせ、すごいなあと思うのは人の能力で、この経営者の方は10人分の仕事を一人でこなすような力を持っておられる。

普通だと気の遠くなることをいとも簡単にこなしていかれる、だから、一人でも会社を綺麗に終えられることができるのだ。何トンもあるボルトでとめてある工場内の骨組みを一人でばらして、20代、30代の建築関係の人でも一人でやれといわれたら引いてしまうことを重機も無しにワイヤー数本使って平気でこなされる。

この方が織物をやめられてしまうのは本当にもったいのない話なのだが、自分の葬儀の段取りまで、出来なくなってからでは遅いということで今されているそうで驚く。神はいないと以前書いたが、この方には神様という言葉が当てはまるのだろう。

午後から会社に戻って5台、それぞれ症状は別に調子が悪くなったという織機を修理、調整する。ほんと1台2時間も格闘すれば、問題は解決して織機が動くようになるのだ、やればできるのになかなかこういうのが出来ないものだんだなあと思う。
2015年05月02日
今日は、車で走っていても外は30度。5月のゴールデンウィーク、いい感じ。今日も倉庫で出荷の作業、外が天気よいだけで中で仕事していても気持ちいい。休憩にちょっと外に出てみる。

仕事というのも自分で作って自分でするからやりがいがあるのかもと思える。ほかの人から自動的に仕事を貰う状態が続くとそれは理想的な状態なのかもしれないが、当たり前に思えて怠惰な仕事になりがちだ。
2015年05月01日
ハンドメイド作家さんの集うCREEMAさんでの出品が今日から始まりました。ハンドメイド素材コーナーに出店をさせていただいております。出品も少しづつ増やしていく予定でおりますのでよろしくお願いいたします。

昨日、青森で30度とかなんで滋賀県で25度いかないのに青森が30度なのだと思う。 昨年の夏なんかも関西の気温が以上に高く、九州よりも高く沖縄と並んでいるくらいで、こんなことは数日あっても驚くことなのだろうが、夏の間、ほとんど毎日関西のほうが暑いのだ。

理由は、関西圏は緑も少なくなって水が循環していないということではないだろうか、となんとなく思うのだ。昔なら暑い日は夕立が降ったのに今は夕立が降ることはほとんどなくなった。

虫も本当に少なくなって住みやすくなったのだが、これはあんまりよいことじゃあないだろう。陸地の木の中には水が隠れるのだが、琵琶湖の存在以上に木が存在するほうが、木陰をつくり風を起こし大気の循環を生み出すことになる。
2015年04月30日
穏やかなお天気が続き、すこぶる気持ちがよい。外にいるだけで幸せな気分になれるのだが、工場の中での仕事、休み中になんとかこなせば休み明けには形になるような仕事がいくつかある。できていないことも多すぎて数え切れないほど、仕事をすればするほど、できていないことが増えていく感じもする。

田植えの時期でゴールデンウィークで帰省された方たちが田植えを手伝うという光景がみられる。林与のうちも昔は村では一番田んぼもたくさんもっていたが、私が子供の時以来、田んぼを手伝った経験がない。ほかの農家の方にやってもらっていた形だ。それは先代があまり作業が好きじゃなかったということがあろうといえ、人に頼んでの仕事になっていた。

私が、現場の仕事をできるのもアメリカでの経験が大きく影響をしている思う。車が壊れて自分で修理するというようなことをホストファーザーと一緒にやったことなどから、問題が起きたときに基本は自分が考えてやってみるということが普通なんだなあと思えた。触ると壊れたらどうしようとかだと今の仕事でも何も始まらないだろう。

年代物のボルボもそうだったが、ジャガーXJSもなかなか手ごわかった。ジャガーXJSなんて、V12のエンジンがボンネットを開けるとドカーンとあるので美しいのだが、ほかのものを修理しようとするとエンジンが邪魔をするし、ラジエーター液のバルブのゴムが劣化しただけで、車体の横の訳の分からない場所からラジエーター水が洪水のように漏れだしたりした。燃費がよくて問題が起こりにくくメンテナンスが簡単な日本車のありがたみもわかった気がする。そういうのを経験すると自動車をつくっている人ですらもそれほど長けているわけではないのも感じる。お利口さんばっかりでも駄目で、そういう面倒な経験を自分で乗り越える経験がないと、いわゆる普通のお客様目線でのものづくりにしかならず、ものづくりが落ちてゆく部分もあろう。

ものをつくるだけでなくつくった後に問題を想定していないものづくりをしては駄目ということ。つくるものに集中するのではなく、つくられる工程に集中する。同じように物ができても、たまたまなのか正しい手順でつくられて正しく出来たのか、その違いは大きい。手順が違うのに正しく出来て手順が間違っているのをしてきされて腹を立てるタイプの人もいるけども、そういう人というのはまさに環境や文化の産物であり、そういう人を変えることは難しいものである。その場しのぎのものづくりじゃ後の問題も大きく駄目で、何をおいても無理をしてでもやはり正しく物はつくったほうがよい。

日本のモノづくり産業が滅びかけているのも日本のものづくり哲学が成り立たなくなってきていることにある。それには文化的な背景があろう。たとえば、日産という会社があるけども、日産は倒産の危機に陥りフィアットのゴーン氏が関与したことで再生したというのが市場の評価なのだが。それほど簡単なことではないのは、日本の国内の経営判断がそれほどに腰が軽いというところだろう。多くの優良なものづくりが経営の波があるだけで、駄目だと判断をされてしまう。判断する側に大きな問題があることが多いものであるというのが一番の問題だろう。こんな判断されていては世界には国営の企業ですらあるのだからそんな競争の中で、日本企業が長続きできるはずないのである。

面白いのが、国内が見放しても海外からすると日本企業ほど堅実なものづくりはないだろうといえ、国内以上に海外の人のほうが国内のものづくりを評価しているというところだったりもする。昔、トキという鳥が日本中の空を飛んでいたけどもそれが絶滅してしまったのも、同じようなことなんだろうと思えるのだ。絶滅しかけて初めて保護に入るけど、生きていけない環境にどんどんと追いやっている人の存在にも気がつかないとならないだろう。今の日本で地場産業を考えるときにも、トキに経営努力が足りんから絶滅してしまうんやでみたいな説教が多い気もする。
2015年04月29日
一世を風靡した経営でも数年後には立ち直れないほどになっていることが多いのは気のせいではないだろう。特に大きな企業というのは、自分自身が競争に勝ち残った後に、自分自身の戦いがあるのだろう。

マクドナルドなんかもお店が多すぎるという当たり前のことに気がつかないと、経営のどこに問題があるのかということを考える以前の問題だろう。マクドナルドのお店を通って、祝日の夕飯時にほとんど駐車場に車もなく、店舗内にもお客さんがいない。

このマクドナルドの現象は、スキーブームの終焉と似ている気がする。自分でブームをつくって、そのブームが去ったときに、ひと世代の間、ブームが再来することは少ないものだ。その間耐えることができるかどうかというあたりが本当の仕事なのかもと思える。

これは産業や企業に対していえるだけのことでなく、個人に対してもいえることだろうと思う。同じことをやっていてもうまくいくときといかないときがあるだろうが、それを続けるか続けないかが、一番大事なポイントだろうと思う。成り立たないものでも続けていくうちに成り立っていくものもあるのも私の経験のうちで、最初から成り立った仕事なんて逆にほとんどない。なりたたないものでも形にできるところまでやる力があると、それはほかの成り立ちやすいことをやるときにその力は生きてくるんじゃあないだろうか。逆境で努力する人と逆境で投げ出す人とでは、人生観、仕事観というものはまったく違うだろう。
2015年04月28日
ある工場の社長が電話下さり、仕事がないかとお問い合わせ。今は生産期が終わる時期なので仕事が少なくなっておられるのだろう。人を抱える会社にとっては仕事は生命線、仕事しないとゼロではなくて大きなマイナスなのだ。自分で仕事を生み出そうとすると逆に仕事してお金が必要になるもので、自分でお金を使っても自分で仕事を生み出すことをお勧めするのがその会社の仕事のスタイルと合うのかどうかもある。

経営というのは判断の積み重ねで、一回の判断が一回で終わらずに固定的になってしまうことが多い。今できないと思ったことは、いつかできることはないだろう。これは経営に関してだけでなく働く人も同じ。周りが正しいと考えることを積み重ねていても、うまくいくとは限らないので、正しくないくらいに正しいことをしないとならないこともあったり、逆に正しく判断ではないと思えることをやってよい結果になることも多い。普通ぐらいで仕事が流れているのを理想にすると一番危険信号なのである。

結論としては、何が正しいのか正しくないのか考えて何もしないのは何もしないのと同じで、自分が仕事がないときに何をするのかが大事だろうと思える。新しいものをひとつ生み出すためには、新しいものを生み出す強い気持ちをもっていないと途中で挫折してしまうことが多いだろうと思える。また、仕事というのは取り組む相手というのは大事で同じような価値観を共有していないとうまくいくことは少ないといえる。

業界にいると、経験を持っている人がやはり強いなあと思える反面、経験にしがみついている人というのは過去形に近い。あと、仕事がほしくても、やりたいことはあってもリスクを被るのを必死で避けようとする人が多いので、仕事はほしくてお金儲けしたいのはわかるけど、業でやっているひとが個人の人以上に布にお金を使わず、入ることしか考えていない人が多いのは気になるところ。
2015年04月27日
仕事というのはどこもが似ている。突き詰めていけば、遊んでいると思われている仕事の前の学生のほうが試験など自分の実力を鑑みさせられ地獄をみることが多い。昔は大学が遊園地といわれたが、今は職場が遊園地化している気もすることもある。

私も繊維の仕事をしていて、学生以上に楽だなあと思うのは紙に書いておけば覚えなくてもよいこと。学生の場合、試験会場に教科書やノートを持ち込むことはできないが、一般的な仕事ではそれが許されるのだ。

しかしながら、優劣というのはハッキリとしていて、生地をみて、そのつくり方がすべてわかる人というのはやはり強い。結局、学生の勉強と同じようなことができる必要があるのだろうと思う。織機の問題なんかも同じで、経験が生きる人と生きない人の差は大きい。最初の一回で覚えて、次には自分でできる人でないと厳しい。最初の一回で覚えない人はいつまで経っても仕事を覚えられないものだ。

すべての仕事というのは共通した要素が7割8割あると思えることが多い。その7割、8割の部分というのは地道なところじゃないかと思える。そのほかの2割3割が飛びつき的、あるいは冒険的な要素。私自身、仕事でいろいろな物事に挑戦するということはとびつき的な要素や博打的な要素が大きいが、そのほかの部分でそれを補える仕事を当たり前にしているから成り立つのだろうと思う。

また、なかなか、地道な要素を積み重ねても日の目をみないというのも世の中の性であろう。林与の特徴はと聞かれて、産地で自分自身が織物を織り続けているというところなのだが、それには深い意味があって、そこが一番大事なことであると理解してもらえることは少ないのだ。自分で仕事を生み出すとか、つくるものに対してのリスクを被って仕事をしているという部分に繋がろうと思う。

やっていることは同じでも、2割くらいの力で飛びつき的な要素を交えることで、飛びつき的な部分にあこがれられることの多いお客さんとの出会いは増える。最終的なお客さんがというよりも、業として生地を扱われるお客さんが飛びつき的な要素重視だったりするものだ。売るためには、ものがというよりも謳いが重視されるのだろうが、それ以上に産地で麻を織り続けている機屋なのだから本質的な部分を大事にする部分が7割8割なところ。
2015年04月26日
東京に来て土地というものの意味みたいなものを考える。土地というのは日本においても結局国のものではないのかというところ。中国で土地は国のものとされるが、同じようなものだなあと思える。

固定資産税のようなものの負担があって、結局一生もつと同じだけの税金を払うことになるのだ。多くの商売が成り立たなくなるのも国による固定資産税の影響が大きいだろうし、また、借地にしても地主がその固定資産税の負担をするので、結局は地代として計上され、大家にとっては固定資産税の額が貸し出したときのミニマム的な費用となろう。

何もしなければゼロではなく、マイナスなところから始まる。地価が高いとその場所に存在すること自体ハードルが高いことになる。固定資産税というのは、土地にかかるだけでなく、建物や設備にまで掛かってしまう。建物を持つことがマイナス、設備を持つことがマイナスで、そのマイナス分を賄えないと駄目。日本の企業の規模が本当に小さいのは、固定資産税を賄うのが難しいということもあるだろう。

土地を所有したからといって区分があるので、基本自由に使えるわけでもないので、やはり、国有的な存在だろうと思える。土地なんてお金払って国から預かっているだけということもよく言われるが、土地には費用負担した分、値段が上がっていかなければその価値は商品としては実質マイナスなのだ。

実質マイナス的な要素を持っていれば、地価はどんどんと下がっていく。固定資産税に見合うような水準まで下がっていくだろうが、滋賀県なんかでもこれだけ空工場や空店舗が増えてもそのままで、東京では空き店舗が少ないことを考えると、東京の固定資産税は適切な辺りにあるのだろうと思える。

東京の都心に織物の工場がほとんどないのは、固定資産税が高いからだろうし、京都なんかの繊維関係の工場でもかなり詰め込んで成り立っているところがほとんどである。本来繊維産業も消費地である東京なんかで生産をすべきだろうと思えるのだが、田舎のほうがモノづくりが成り立ちやすいというのも税制や雇用に関する法制度の問題と絡んでいるだろう。

繊維業界でも、一宮市で、固定資産税以外に、事業所税なるものが課せられることになったときに、33000平米を持っているとされた加工工場が廃業をされた。1平米600円という課税金額は単純に年間2000万円増なのだ。百年以上続かれた名門の企業が、さらに吸い上げを余儀なくされ、廃業を選ばれた形である。

多くの繊維企業が繊維をやめて、不動産業に移り変わる状況がある。業として守られてきた独自の技術が失われていく、すごくもったいない気がするが、行政のすべての負担を重くしていく姿勢だと、成り立っているものも成り立たなくなるのは当たり前で、自立しているヒトや企業が国から消えてしまう。日本でも有数のよい仕事をされていた企業の幕が閉じられ、120人の雇用が失われるような結果を行政が生み出すことになる。
2015年04月25日
仕事をするために人が集まると人を管理しないといけないという問題がいつも起こる。すべての人の目的が一つなら簡単なのだが、組織の中で違う目的をもった人が集まるとうまくいかないことが多いものだ。

近江商人が成功をなした理由の一つに、天秤棒を担いでの姿があるけども、それとは別に、近江商人が都に持つ家に奉公に行くという形がある。長男は家を守り、(家というのはすなわち先祖代々の仏壇であり、先祖から引き継ぐ屋敷と田畑のことであろうと思う)、次男、三男は、奉公に出て家を守るみたいな風潮があった。次男、三男が奉公の末に店を持つことを許され成功を納め、その成功は母屋を支えるためにあったといえる。

これは、日本で一番神仏信仰が強いといわれるほどであるところから来ている部分もあろうといえる。小さな村にも大きなお寺がいくつもあって、律令制度や藩の搾取から逃れ、お寺に守られていた部分があったろうと思える。母屋にはそれなりに大きな資本が集まり、親戚一同から支えられながら逆に親戚を助ける機能をもっていた。

盆と正月が大事だったのも、奉公という日頃は自由が許されない時代に、唯一実家に帰ることがゆるされたのが盆と正月だったからである。戦後にも奉公が盛んに行われた、終戦を迎えて外地から引き上げてきたものたちは居場所がなく、住む所と食事を与えられて仕事にいそしんだ。

外で無欲に働ける人が自分の商売を考えたときに、立派に商売を残されたり、立派な家をもたれたりしているのは当たり間のことだろうといえる。日本の商売というものが損得勘定では成り立たず、人のつながりで成り立つといわれる。日本の教育がほかと違ったのは自己犠牲の精神(奉公の精神)があったからといえるが、それが日本の成功に大きく繋がっていた。

奉公的な出世においては質素倹約の精神というものが、すべてにおいて流れているので、成功というのはその積み重ねでしかなく、実際の仕事も商いのすべてを教育されていて、人が人として一人で立つことが理想とされた。今の時代でもその精神で仕事をすれば最終的には成功を納めることは難しくはないであろうが、商売を成り立たせるためには欲を捨てることの積み重ねという逆の道が必要というあたり、日本の国の制度からしても今の時代には難しいものであり、成功したいなら制度の逆をいかんと駄目なのだが、普通はどうこうという講釈が先に立つ人がいくらアイデアを持っていてもそれが実現することは少ないだろうと思える。

仕事というのはお金を稼ぐことが目的と思われるが、その範疇では商売の考え方が普通すぎて、チャンスを逃すことが多いだろうなと思え、商売のチャンスのためには自分がお金を使うという逆の発想ができないと商売の基本すらも持ちえていないというあたりに止まる。失敗なんかは若いうちにやったほうが良いだろうし、若いときに経験の少ない人というのは末路は厳しいものだ。失敗や責任を自分で被る力のある人ってそうは少ないもので、そういう人が結局実力を持っていて仕事を動かしているということだろう。
2015年04月24日
今日から東京、朝、東京について、1件目のお客さん、午後から2件目、夕方に3件目でお客様と食事して、新幹線の時間を過ぎて夜行バスに乗る予定が夜行バスも空きがなく、明日の展示会を予定されているお客様もおられるので、それをみて帰ることに。

今回の東京出発も出発ぎりぎりまで出荷の準備に追われて、寝ていない状態での出発、東京についてあまりにお天気が良すぎて、よく知らない町を歩いているだけでもよい感じなのだが、靴が新しく、足の裏が靴擦れしたみたいだ。

新幹線に乗ったが、中国の新幹線と比べると、日本のノゾミの座席ほうが座り心地が悪いように思えたのは不思議だ。ノゾミの席は硬めに作ってあるのだろう。社内のコンフォートさが逆転し始めているのは気になるところ。

こういう数値にできないところに充実要素を盛り込んでいるところが、本当の豊かさなのだろうと思える。テキスタイルにしてもそうで、中国がこういう微妙な贅沢をできるようになり、日本がそういう微妙な贅沢が消えていってしまっているのかと思うと、そういう微妙な贅沢があったから、戦後、アメリカを追い抜いていけたのだと思う。
2015年04月23日
昨日、弟子をお持ちの作家さんとお電話でお話しているときに、教える側が本気になれないという話。本気になると厳しく教えていかないとならないのだが、そうするとやめてしまうので手加減するという、駄目駄目な話。

これでは、育つはずのものも育たないし、本当にそれで食べていくなら最初から正しく教育していかないと難しい。これは若い人に限った話ではないのも悲しいところで、先生世代までもがという話はよく聞く。

小学校へミシンの指導に行ったときに、班の中でひとり女の子がミシンの準備をしていて準備ができたらそれを男の子が取り上げる。そんなで、女の子が最後まで出来ず、女の子ができるようにチャイムがなってからも作業していると、校長室で、校長先生に時間は守ってくれないと親から不満が来ると叱られる。この国の縮図をみているように思えた。が、次の年にほかの学校にいってどこもがそうではないのに救いを覚え、大人社会もやはり後者を見習わないとと思った。

昔、幼稚園のころ、牛乳が飲めない女の子がいて、給食時にその子が飲みおわるまで、毎日、昼休み遊ぶのを我慢してまったというのが、なんか、私の中ではやっぱりいい話。先生もその子の好き嫌いを許すとほかに波及するというのを感じてだろうから悪い先生ではない。先生もその子を励ましながらもその子が悪い立場にならないように、みんなが我慢するのが当たり前という心配りがあったのを子供心にも思った。その子の好き嫌いを直そうと努力していたよい先生なのだ。先生の判断の正しい正しくないは別にして、気持ちは正しいことだろうと思える。

そういう判断や結果よりも気持ちを重んじることのほうが大事な気がするのは、村行事でも思う。長く続いている行事でも心温まるような部分で動いているなら存続賛成なのだが、義務化みたいにしてやって無理やりは結局、本来の気持ちすらなくなってしまうだろう。

建前じゃなくって本音の部分で理想みたいなものがあって、みんなが我慢ができる環境って悪くないものだと思うのだが、我慢できない環境をどんどんと作り出そうとしているように思える。船が沈没するときに一番に逃げ出す船長や原発が爆発して現地で解決に向かわない経営陣や保安院とか、沈没したり爆発するのも判断ミスで起こりやすくなる。上のものから上のものらしい手本を見せないとならないのだろう。
2015年04月22日
最近、携帯電話、コピー機、LED蛍光灯、ゴルフ会員権などの代理店からよく電話が掛かってくる。毎回断るが、競争が激化しているのだろうが、その軽さというのが気になるほど。電話で相手が応対するのが当たり前とおもっていたり、相手が自分のために時間をつくるのが当たり前と思っていたり。そして出てくるのは自分の一方的な契約書のパターンだろう。

コピー機も飽和している感があって、メーカーが販売するのではなく、代理店が販売している。あの商法が結局失敗して、メーカーも危機に瀕しているのではないだろうかと思える。結局、そういう商法に依存しての販売では中身が劣る結果になってしまう。

国道8号線沿いの和食とラーメンのお店が閉じられたようだ。ときどき、使っていて悪くないと思うのだが、中に3人働いている人がおられて、みているだけで10人お客さんがいてもなかなか厳しいだろうと思っていた。そこがやめられたのは非常に残念に思える。残るのは全国展開のファストフード的なチェーン店ばかり。お店の中が見えないお店というのは入りづらいのだろうと思える。前に駐車場がなく、後ろに駐車場があったのも駄目な要因のひとつだったろう。駐車場は、横でもよくなく、お店の前にあるのが一番なのだ。

その周辺は続いて8件が廃業とか空き地とかで、商売のデッドスポットになっていて、シャッター通りの商店街と同じイメージで、そこの場所自体に商売を構えるのがマイナスのイメージ。たぶん、国道沿いということで固定資産税が高く、賃料が高くなり商売がなりたたない場所なのだろう。固定資産税をゼロにするくらいで活性化しないと広がっていくだろう。商店街なんかでも集客要素はマイナスになりつつあっても固定資産税は高止まりして時間が経つごとにお店を保てなくなっているのだろう。

助成金などでも商売を活性化しようというような計画があるけども、活性化というのはなかなか難しい話で、小さくても商売を存続できるような政策が必要だろうと思える。政治、宗教は非課税、農業も固定資産税が押えられているから存続できる。土地なんて持っていても結局は固定資産税を払うということは国のものだというのと同じ意味。固定資産税を払った分、地価が上がっていくなら成り立つだろうが、基本マイナスというのは厳しいだろう。

携帯電話のセールスとかコピー機のセールスとか、押し売りじみた商売だけが成り立つというのもわびしい話に思う。それも、構えない商売が増えすぎている影響だろうと思ったりもする。
2015年04月21日
今日は、朝から加工出しの準備。

三代のお付き合いをいただいた大阪の糸商さんが、社長が高齢で後継者もおられないことから4月末を目処に閉じられるご挨拶に来て下さいました。糸を右から左だけでなく、作る仕事をされていた分が、大変だったというお話でした。それは、自分でつくるとお金を寝かせることになるのでという意味で、テキスタイルを自分でつくるのと同じ苦労だなあと思います。

そういう重荷の部分を減らそうとみんな海外生産に移行をするのです。海外で作れば同じようなことが何分の一ででき、利幅が確保できる。でも、同じじゃないのはつくる苦労をしなくなったこと、経営者が重荷を減らす味を覚えてしまうことで、これは働く人が同じことを考えて仕事するとものづくりの会社って続かなくなる要素じゃないのかなあと思えます。

仕事なのに負担を減らすばかりを考えがちになっているのは、どういうことなのかと思うところがありますが、織物の小さな会社をしていても仕事の半分以上が織るという作業に集中ができないという部分があろうかと思います。織るという作業に集中している会社というのは単能工的でやはり逆境に弱いものです。自分で企画して売る力をもってものづくりしていないと、作っている立場がやはり企画力でも謳いの部分でも一番強いのにその強みを生かせないということがあろうかといえます。

三代お取引が続いたということはやはり苦労を分かち合えたというところだと思えるのです。商売を閉じられるのは残念な気もしますが最後も綺麗に閉じられてしっかりとした経営なのが目立たないながらも理想の局地です。その方が最初、会社に営業に来られたときに、私のおじいさんが首を縦に振らなかったという話が出てきました。

昔というのは仕事させてもらうにも大きなハードルがあった。働く人にしてもできなければダメというのが当たり前。それがものの価値を生むのに繋がったと思うところがあります。家族以上に仕事のお付き合いを大切にしたから、家が守れた幸せな生活を手にできたという部分があったのだろうなあと、林与的な自分勝手な解釈ばかり。
2015年04月20日
学生だったときに大学に商社の人事部長が来られて、縁故採用に関して学生から質問があったときに、「仕事はご縁ですから」という答え。大きな会社ほど縁でものを動かすというのは当たり前だったりするものだ。相手に外れを引かさないという商売スタイルが一番効率的なのだ。ある行政の方はやはり殿様商売で商売は競争ですからということばを軽々しく発せられるが、10社あって9社が落ちるような話をする相手は相手にしないほうが商売のためだろう。林与は大きな商社でも行政でもないし、逆に自分のリスクでものごとを進められる。余裕があれば小さな規模のことでも協力したい気持ちではいるのだが、そういうときに持ち出してでも動く覚悟がある人が集まると話は簡単。特に新しいことは成り立たないことが多いのだから、本業を別の時間にしながら新しいことを仕事以外としてやってみる。

私自身、新しいお客さんが来られるときに、既存で麻のものをやっておられるのだったら、よほどの事情がないかぎり、既存の先さんと取り組まれてやられるのが全体としてはよいのではないかと思うのだ。農耕的ななく遊牧民的な商売スタイルというのは、ものづくりする人とは合わないこと多いだろう。

ブランドというのは看板だけのことなのかと思うのは、ヨーロッパのブランド、デザイナーが移り変わり、デザインに普遍性がないというか、流れる哲学に普遍性がないのだ。デザインというものは変わってもよいだろうが、流れる哲学が変われば、見た目は同じ商品を作っていても、どんどんとものづくりが普通になっていったりする。

経営者とデザイナーや企画者が一体でないと駄目じゃないかと思うのが、日々、商売の人と話をしていて感じるところ。デザイナーさんでも、自分はデザインだけと割り切っているタイプの会社というのは、デザイナーというのは社運を左右するポジションなのに、サラリーマンデザイナーでどうするのかと思える。経営者がデザインをほかに任せるというのも、デザイナーがやめたらそのブランドはどうするのという怖さを秘める。極端な話、華やかに

林与にはデザイナーはいない。モノづくりする中からテキスタイルが生まれていくような形もありかと思う。目の前に環境があって、材料があって、人がいて、そこで何をつくるかを考えてつくっていくほうが、ものづくりに一貫性が生まれるのだ。逆に、一貫性というのは、良し悪しなのはよくわかるのだ、新しいものをつくろうとするときに一貫性というものが邪魔をするのだ。

デザイナーさんがお客様目線の人というのは良いようで一番困ったりする。自分の好き嫌い的に、一つの理想の形しか見えずのコメントだと弱い。まずは、それを形にするのがあなたなのだみたいな話、一つの形もつくれずに議論の繰り返しも厳しい、自分がものづくりする人なら、いくつものパターンが想定して出来上がってこないと駄目なのだ。また、自分の置かれた環境の中でなにがどうできるのかということもないと。ものづくりを準備するときに、それを買うお客さんまでを想定する必要がある。物を売るにしても、売れる形に崩して売って行くのは簡単なのだが、崩さないで売って行くところがやはりセールスの人の力だろうと思える。
2015年04月19日
今日は岐阜からお客様、近江八幡の火祭をみにこられたとかで、近江八幡の「火祭」が有名と聞いてそんなのあるのかとびっくりしたが、よくよく考えると、私の村でも若連中のときには、春と秋に神社で夜中まで鐘を叩きながら、春祭、秋祭を継承するのが続いている。

火を分けて、うどんを炊いて食べるというほうが印象に残っていて、火祭という印象はあんまり持っていなかった。集落の神社でも、祭りの前に神社の木を刈って、また、正月の飾りを燃やすとか、というのが100年近くは続いていただろうが、火というものを扱わなくなってきた流れで、火を扱える人が少なくなってきているように思える。

本来は人の生活の中で、日、月、火、水、木、金、土から直接の恵みを受けるような形が残っていてよかろうと思うが、そういうものを国や企業が支配して、そこと契約する形に今はなってしまっている。織物にしても昔はどこの家でもおられていたというほどの作業なので、ほかの趣味の人でも織られる人が残っていてほしいと思うのだ。仕事でするだけが、織物ではなく、基本、自分の着るものを織る、着たいものを自分でつくるというのがほぼ消えかかってしまっている。それの得意な人が業として営むというスタイルが大事だろう。
2015年04月18日
今日は小幅の織物の話があって、弊社の織機で出来るのかどうかというあたりが微妙で、加工工場にも相談にいって、1cmとか2cmほどの加工縮みで収まるようなお話なので、出来そうな気もする。

今は閉鎖した林与の小幅の工場の中には10数台の小幅のシャトル織機がある。タペットタイプなのだが、昔から常々幅の問題が付きまとっていて、最近は、キングサイズでないと使いにくいということで、織機自体が眠ったままの状態で、逆に言うと古い織機だが状態よく保管していたことになる。

ストールなどだと、130cm幅の織機を使って、狭く織ることで対応できるが、着物向けとなると、やはり耳の綺麗さが重要となってくる。そのときに、やはり狭い小幅の織機で織り上げてあげるのが一番綺麗に織れるのだ。
2015年04月17日
日本でも学校で勉強して繊維の道に入るというケースが増えているけども、中国でも同じように学校でデザインを勉強して、繊維の道に入るという形になってきているようだ。私としては違和感が多いのは、会社のプロフィールを書く時に、デザイナーがいるのかということを聞かれる。私の感覚からすれば趣味の人でもデザインするのに織物の会社でデザインできない人がいるというのはよろしくないということ。

デザインの担当の人にデザインを任せるのは弱いと思えることが多いと感じるのは、色柄に長けていても何十年選手のすべてのデザインを担っていた人でもリストラの対象となるということ。有名ブランドでも、デザイナーを取り替えてイメチェンみたいなのも、ブランドの普遍性の面では正しくない手法だと思える。

美観のあるなしというのは生命線だと思えることが多い。仕事を頼んでも美観のない人にやってもらうと、どうでもよいものにあがってしまうことが多く、すべてが台無しになるのだ。美観だけで生きている人というのも怖い話で、好き嫌いの激しい王様みたいなもので、口で言うだけで仕事の役に立つことは少ない。やはり、全部をこなせる人でないと無駄が多いのだろうと思える。

哲学が流れていれば、変な損得勘定がたつことは少なく、変な損得勘定が先に立つような商売というのは安っぽいという結論になる。包容力のある方ほど1回2回のテストを乗り越える気持ちで大舞台を私の試行錯誤にゆだねて下さることが多く、自分が被ってでもベストを尽くしたいと思える。仕事でも失敗は失敗でわからないほどの馬鹿でもないが、ベストをつくすときに、ものづくりで一番大事なのは品質だろうと思える。

最後に落とし穴となるのが品質なのだ。納期を急ぐことよりも、価格を落とすことよりも、品質を安全なところに落とし込むことが一番大事で、そのために織機を1週間止めて調整に使うこともあるし、時には1ヶ月織機を止めて問題の解決を考えるときもある。本来は、それも広義のデザインのうちなのだ。そういうのがわからないと何が価値があるのかわかっていないことに繋がり、デザインを企画するたびに問題を作り出すだろう。

デザインは、インスピレーションで1時間、長くても1日から数日だろうが、ものづくりはその10倍20倍の時間を使うことがほとんど。デザインだけで売れるものがあればありがたいが、売れる形に落とし込む、問題のない形に落とし込むという現実的なデザインの要素が、ものづくりする人にないと、まったく売れない顔になることが多く、怖い結果になりがちだろう。ものづくりサイドでの試行錯誤があるから成り立つ話で、試行錯誤のないものづくりならまともなものは出来ずに失敗に終わるケースが多いだろうと思える。
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