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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2015年04月11日
昨日の夜は、蘇州の電気屋さんで携帯電話を中国で使えるようにできないか聞いたり、ホテルに戻ってから昨日現地出荷した荷物の送り状の番号などメールが送れず、電話で通訳に説明してもらったり。

今回、蘇州に来て思ったのが非常に健康的な感じがする。会社のトップの方も、水筒にお茶を入れてそれを飲んでおられ、お土産にもお茶をいただいた。急須などでお茶を漉すこともなく、そのまま飲むタイプのお茶で、初めてで、お茶の葉が口に入るのだがそういう飲み方が贅沢な飲み方に思える。水分好きの林与、ほかの人の5倍くらいは飲んだろうと思う。

今度は6月ころに双方の日程も調整の上で、社長と大学の先生が、一緒に日本に来て下さることになり、日本の織物の世界というもの実態を感じてもらって、今後の会社運営の参考にしてもらえる部分もあるかと思う。小さい会社のほうがパワフルな部分もあるのみてもらえるだろう。

帰国の前に上海の南京路で、私はほとんどショッピングしない派なので、付き添いみたいな感じで、お天気がよいので日向ぼっこ、ゆっくりと冷たい飲み物片手に悪くない。体から水分が蒸発していく。ショッピングエリアに来て、買いたいものみたいものがないというもの味気ないが、日焼けして帰りそう。
2015年04月10日
今日は、蘇州の織物の企業集団を見学する。大きな工場でゆったりとしたスペースで、作業するものは黙って仕事しているので人が多いのを感じない。働いている人は織物の現場で女性が多い。たとえば、完全に分業体制で整経の現場も一台の整経機に二人が着く。これは林与の場合には緊急の急ぎの態勢の状況。

大きな工場だが織物の工場においては、どれだけ分業し一人の作業を単純化するかが鍵になるのだろう。30年ほど昔の人の多かったころの林与の工場の中の仕事と似ている。一人が一つの場所で一つの仕事をこなすのだ。中国の繊維業界においては成功を納める優良企業の代表格であろうといえる。

日本で同じことをやると成り立たせるのは難しいだろう。まず、固定資産税の高さ、人件費の高さ、からして、それを抱えるだけで10倍の費用が必要になる。同じモノづくりで出来上がったものが10倍高くなるだろう。そのときにボリュームは流れなくなり、小ロット生産での多様性が必要となってくる。

中国もGNP世界第二位となって、あと10年後には世界第一位になるという勢いで、普通のたくさん立ち並ぶ、駅からも離れていそうな場所の蘇州の高層分譲マンションの一戸が450万元(9000万円)からという規模、東京よりも高くなり始めている。日本の繊維業界と同じ道を辿る可能性もあろうといえ多様性のある提案をしなければ生き残れなくなるだろう。

日本も戦後、働く人の9割が繊維産業に関連していたといわれるほどの国だったのに、今は3%未満だろう。産業が高齢化するときに一世代を乗り越えるというのは本当に難しいといえる。中国も同じ道を辿る可能性はたぶんあるだろう。日本も韓国の繊維産業も同じような道を辿った。繊維産業というのは国の生産力という意味での国力のバロメーターでもある。国際社会において、5年10年というのは非常に早いものだ。
2015年04月09日
セントレア発の朝の早い便で浦東、地下鉄、新幹線で、蘇州に入る。上海駅から蘇州の新幹線は日本の新幹線と非常に似ているがより広いように思う。空調が優秀なのか乗車途中の30分が休憩しているような気分。

あまり寝ていない疲れが出て、飛行機の中でも地下鉄の中でも新幹線の中でも、常に眠れる状態。ホテルに着くともう夕方、ホテルも当てもなくだが、駅の近くに漢庭酒店があったので、そこに決める。上海の漢庭よりも新しいので居心地はよい。
2015年04月07日
上海に9日から11日、向かうので、出発前に終えておかないとならないことが多い。1日でできることも限られているので、たぶん、また、できる限りでの出発となりそう。ご注文いただいている出荷は、出発までにお送りできればと考えております。

やらないといけないことが一杯の中、さらにお話をいただくようなこの春の現物、また来春の企画の始まる時期。一つのプロジェクトが深すぎるとほかのプロジェクトをこなす時間がなくなってしまう。

2015年04月05日
日本国内では、普通にしていて成り立たないことが多くなっている。大きな企業でも工場一つが消耗品のように閉鎖されてしまうのが普通になっている。

小さな会社が普通にしていて成り立つはずもないだろう、と常々思う。滋賀県という場所では、駅前の一等地のお店でもお客さんがガラガラというのが当たり前で、駅前の一等地ですら商売をするのがマイナスに思えてしまうような厳しさ。これは近江の人が質素倹約的なことに由来するのかもしれないが、駅前まで行かなくても居住地域の近いところに大きな駐車場を備えたショッピングセンターができてそちらに人が流れていることもあろう。

ものの価値がプラスからマイナスに、繊維の商売なんかも、規模が小さくなって普通にしていると仕事がマイナスという流れ、正しいものが出来上がって、売り場に置かれれば、ものが普通に売れていかないと、持続性の面では、ものづくりしている人の働いた分がどこからも補われないことになる。補ってもらったとしても、それが正しい消費と繋がっていなければ、持続性はない。

林与の場合、自分がつくったものをすべてお客様に提案できるようになったのは、自分で展示会に出て、自分が提案できるようになったから、それまでは、何十のものをつくってもその一つ二つしかピックアップされなければ、それでは、トータルとして自分のやっていることが成り立つはずがないのだ。また、値段も自分で決めることができるようになって、つくる計画と販売の計画、また、在庫などの管理のすべての見通しが立つようになった。

つくって売れないなあと思っていても、自分で販路を持っていれば2年もすれば結局売れてしまっているということがほとんど。自分が面白いと思っているものは、ハズレではないことが多いので、それをどう上手に披露させるかさせないかだけの問題だったりもする。その場合にどのように謳ったり披露させるかは大事で、仕入れ先や売り手の生地に対する価値観が林与と整合していないと、なかなか売り場でもお客さんへの提案も難しいだろう。

以前、あるお客さんが、「林与さんの生地のほかとの違いは何ですか」と聞かれて、普通と思われるかもしれませんが、麻を織り続けていることです。とお答えさせていただいたら、予想された答えと違ったようでなっとくいかないような顔されていました。わかる気もするのです。
2015年04月04日
桜というのは1年に一度なので、人生でも普通100回も経験をしないもの。無料で風景を楽しめるというのは贅沢なことだなあと思える。花より団子という言葉があるけども、桜をみたいというような気持ち、大事にしたいところ。

別に祭りにすることもないし、食べ物も必要ない。桜の色を眺めるだけで、満ち足りる感じに思う。桜はそもそも大陸から渡ってきたものだろうが、それが日本の昔の人の技術で品種改良されて、日本で独自に進化し、より美しく見えるものに変えられてきた。鎖国していたことで、自分たちで生み出していく高まったのだろうと思う。菊は品評会などあるけども、樹木というのは、桜もやはり寺社仏閣の権威の象徴でもあったろうから、寺院を建てるのを同じく大きなお金がつぎ込まれていたのだろうと思う。

近江上布はほとんどが草木文様ながらも、柄の中には桜のモチーフがない。桜というのは浮世すぎるからだろうか。
2015年04月03日
近くで寝装関連の会社を運営されている方が、新しい商品開発を考えておられ補助金を活用しようとされて、その案件の相談に来て下さいました。生地を提供させていただく形での協力になるのですが、ぜひともよい形に繋がってほしいものと思います。

ものづくりと販路開拓の両方がうまく機能しないと、プロジェクトが最終的な目標は達成できないということになろうかと思います。新しく作ったものがうまくうれればそれに越したことはないですが、そう簡単に新しいものが売れることもないでしょうから、新しいことにチャレンジするということに価値を見出すのも一つのことだろうと思うのです。

産地でも、職人さんたちの高齢化という問題だけでなく、同時に経営者の高齢化という問題もあろうかと思うのです。私も40半ばで十分おっさんくさくなっていますので、若い世代の人が前向きに動いているのをみるときに、失敗しても自分の思い通りのことを実行する経験が大事だろうと思うのです。やろうと思って、やれなくてのままよりも、やってみて失敗を経験してみて、それをリカバーするという力を養うのが大事なのです。

今日もあるプロジェクトに活用できないかと補助金関連の窓口に5時5分前に電話したら、5時までに相談を終えて下さいね、と何度も何度もいわれます。そういう相手にまともに話しをしても時間の無駄なので、別の人に相談というのが正解。浮かぶのは、その組織の執行陣営の苦悩。本来ほかをモーティベイトしていかないとならない指導的立場の組織の中が陳腐化。
2015年04月02日
今日は東京からお客様、糸関連メーカーの営業の方と新入社員の方に織物の現場を見学。林与が非常に少ない人数ながらも、いろいろな規格の織物を作ってますよ、みたいなところをみてもらいました。

ちょっと危ないのですが、現場でシャトル織機を少しだけ、私がガチガチに助けながら動かしてもらうという経験をしてもらって、シャトル織機の重さとかも感じてもらえたかと思います。シャトルを動かしながらお話させている途中も、織機を覗き込んで熱心にご覧下さったりするのですが、シャトルが万が一飛び出したりする危険性を考えると、その軌跡に入ってしまわれているので、危ないので下がって下さいというけども、何が危ないのかはわかり難いものだろう。

織機を二人で分業的に動かしたりすることが一番危険だったりして、友達気分で一人が糸切れを直してもう一人が運転に入れたりすることがあるが、そういうのが一番危ない。織機は一人で動かすのが原則なのだが、二人で動かすことを注意されても何が危ないのかがわからない人も多いものだ。
2015年03月31日
READYFORのプロジェクトの目標到達が見えてまいりました。これは私ががんばった成果ではありません、皆様に助けていただいているだけのことだと思っております。うまく織機の移設を成し遂げて動かせたらと、みなさまの期待を裏切らないように全力を尽くす覚悟ではおります。

織機があれば織物が織れるというわけではなく、それをメンテしながら使いこなしていく技術がなければ、まさに大きな鉄の塊というだけのことなのです。シャトル織機は調整が難しいからといって、中途半端な問題が潜む織物をつくると仕事をすれば仕事をするだけお金がなくなるという怖さも秘めています。

でも、私はおじいさんみたいなシャトル織機がいい感じに思うのです。もちろんレピア織機も厳密な織物を短納期で量産しないとならないアパレルの世界では必要となってくる場面も多いのですが、シャトル織機の中には織物の基本がいろいろと詰まっていると思えます。人が道具を使いこなすという辺りでしょうか。オンとオフだけじゃなく、失敗して後戻りが難しい緊張感。人が織機と一体化しないと繊細な麻織物は綺麗に織れないのです。

シャトルが飛び交って織物が織れる。皿回しか、ジャグリングのような状態の継続で、織物が織りあがっていくのです。レピア織機でも糸をレピアがつかむときのタイミングなどが高速な状態で成り立って織物が織りあがっていくので同じなのかもしれませんが、北風と太陽の話でいうなら、糸にとっては、レピアは北風、シャトルは太陽のような存在だろうと思うのです。

綿と麻では、同じ織物でも糸の伸縮の差が大きく、糸切れやテンション管理の頻度がまったく異なります。意欲的な麻を織りたい綿機屋さんの相談を複数、受けたりもしていますが、麻はやはり綿とはちがうということでしょうかなり苦戦されています。

一般に麻布でも耳糸には綿糸を使うのは、綿糸はやはり柔らかく織りやすいからなのです。シルクや綿機屋さんが、他産地では、100軒を超える単位で残っておられるのにくらべ、麻織物の本場といわれる湖東産地で麻機屋が数件、風前の灯というのも、本当に他人事ではない状況です。産地で流れる麻生地のたぶん96%、97%に近い部分が他産地産生地や海外産生地であるということも踏まえると整合性の部分でも産地内の方でも自分で売っているものは大丈夫だろうかとか、ショップをやっておられる方が自分の取り扱っている生地は大丈夫だろうかとか、心配され相談をいただくこともあったりして、産地産生地が産地でも稀なだけに、扱われている方も悩みは多いのだというのを感じます。

案外、昔からの機屋というものは正直で、産地の機屋さんでも自分で織っていないものは織っていないと産地でも公言されているのです。が、流通過程や販路にのると、うたいが必要となり産地で織られたものにすり変わってしまうことが多いようで、百貨店さんやブランドさんなどは、繊維ではカシミヤや食品の産地偽装などでも大きな痛手を受けておられるだけに、どこで織っていますかというあたり一番最初に確認されるのが最初の質問だったりするのがほとんど。産地で織られていないケースがほとんどということも百貨店やブランドさんも知って緊張をもって正しく対応されているのだと思います。
2015年03月30日
穏やかなお天気に包まれて、今日もやらねばならない仕事がたくさんありすぎで、普通は3月末となると仕事が落ち着くのだが、今は5月の連休明けくらいまでの仕事の予定が埋まり始めている。5月は連休があって、5月21日、22日、23日と東京でのテキスタイルマルシェ&5月27日、28日はプレミアムテキスタイルジャパン。

もう5月末までの予定が埋まり始めている感じだ。今日は今年用の新しい近江上布柄を15柄から20柄くらいつくろうと準備に取り掛かり始めた。4月も9,10、11日と上海行きが決まった。まだ時期は確定ではないのだが織機の移設なども先方様の都合が合えば6月頃になるのではないだろうか。

満ち足りて自分で何もしない状態というのは、そんなのが数日続いて普通になると、落ちていくだけのこと。いざ仕事があっても面倒に思え出したら危険信号。仕事がないときに仕事をつくる努力をしないといけない立場が、産地でも次々と廃業が続く企画機屋の立場で、単なる加工業とは違うところに責任の大きさと華の部分がある。近江湖東産地が高級麻織物の産地といわれるのもそういう華の部分があったからだろう。
2015年03月29日
今日は、米原の文化産業会館で「湖国の祭り」のロビー展示。天狗の装束や甲冑を着た人が県内から集う。ご年配の出演者の方が多いように思え、保存会的な存在の方々なのだろう。お客様も家族の方が多いのだろうと思えるが、ご年配の層を中心に1000人くらいおられるのではなかろうかと思えた。林与を知って下さっている方は声を掛けて下さって、友達のお父さんとかで懐かしい。

ある方から保存活動がなされようとしている旧の郡役場にシャトル織機を入れて高校生が動かすという話を聞いた。私自身が会社の中で非常に気をつけていることがあって、シャトル織機を動かすときに一番心配なのはけがをする危険性は非常に高いこと。私の会社でも適性を見極めて、シャトル織機を動かす覚悟と動かせる運動能力と自分自身で危険を回避できるような判断能力を持っていると思う人にしかシャトル織機は触らせないという厳しい現実はある。また、それがその人を守るということにつながる。
2015年03月28日
つなぐ通信の最新号を届けていただいた。3ヶ月に一度でも、取材にもとづく構成で大変だろうなあと思う。この前、伊勢丹新宿本店のイベントのときに、久しぶりにお会いできて嬉しかった。林与も、元気にはいろいろと動いて、いろんな経験を積ませていただいて、いろいろな方とのお出会いがあって、今日の自分が味ついているのだとありがたく思う。

もうこれ以上に動いたら収拾がつかなくなると思いつつも、新たなことを広げていくことばかり考えている。おかげさまで仕事のほうはたくさんいただいてほんとうに幸せな状態。そういう余力を仕事に費やして新しいものを生み出していければ、今の時代の繊維産業が厳しいといわれる中では理想的な形だと思う。

私自身、絵がすごく上手とか、芸術的な才能に秀でているとかではなく、自分の能力が高いと思うものを組み合わせてフル活用しているからなんとかなっているんだと思っている。動いていると情報発信につながるし、モノづくりしてもそれがみてもらえないとよい循環のきっかけすらも生まれない。

つなぐ通信には失われたくないようなものがたくさん登場する。私のようにガチャガチャと情報発信してしまわずに、ひっそりと守られ評価されている世界が多い。仕事として地道にしておられることが、ファンの方を増やして生き残られているという商売も多い。そういう人たちは、道に咲く一輪の花のような存在だろう。自分で立たれている姿も美しい。
2015年03月26日
今回、中国の展示会で、1個づつ真空パックしてあるタイプの醤油卵をたくさん買ってきた。自分用である。なんとなくなのだが力が込められているような気がして食べるのだ。味も濃いのでこの卵を食べるだけで満足感に浸る。肉類は持込が厳しく禁止されているようだが、卵は禁止項目ではなかろうと思う。

すごいなあと思えるのは、ゆで卵のようなものをお菓子のように保存食にしてあること。林与はお菓子の甘さは好きじゃないけども、こういう素材そのものの味が残るご飯っぽい食べ物は好物。

今回の中国の食事の中で、魚料理が食べたいことがあったのだが、レストラン入り口で鯰と一緒に牛蛙が窮屈にそれぞれ10匹くらいが一つの桶に入っていたのをみたがゆえにテーブルについてからも、そのお店の唯一の魚料理の鯰は注文できなかった。まだまだ中国の食文化には馴染めていないなあと思う。

でも、食文化にしても衣文化にしても、国によって違いがあるのは悪いことではない。人が世代を積み重ねるごとに蓄積されたものが違いという形で宿っているといえる。日本も鎖国をしていた江戸時代は特殊で江戸時代が日本の特殊性を凝縮させたと思える。

本来はそういう特殊性が魅力に見えるのだが、グローバリズムの観点からすればそれは否定的にみられる。日本国内においても地域の魅力というものが別の視点からすると否定的されることも多いのと似ている。

織物においても、たとえば近江上布なども一つ作るにしても普通の生活をしていて成り立つものではないというところ、よほど張り詰めたものがなければ、今の時間から時間的な仕事の感覚で生み出せるものではなかろう。通常は肯定されるべき一般的な感覚が伝統工芸の観点からすれば一番駄目な感覚だったりするものだ。

今、日本の織物が、2局面的に海外から評価されていると思える。一つは、ハイテク素材、もう一つは伝統工芸的な布の世界。ハイテク素材に関してはすぐに同じようなものが生み出されてくるが、地域的かつ歴史的かつ文化的な感性が色彩などから放たれるときにその特殊性は固有のものであろうとみなされ、そういうものを生み出す文化的な土壌に対しての評価がその布に宿ることになる。

食文化に戻ると、国内でもどこでも全国チェーンのレストランばかりになりつつあり、世界的なフランチャイズが田舎にも溢れる。熱い水と冷たい水が混ざるように自然の流れなのだろうけども、田舎的なものが都会的なものにやはり負けてしまっているような感があるのは残念なことだ。
2015年03月25日
昨日は補助金の件で、お客様が午後来られる予定が、出荷でキャンセルさせていただいて、今日はそのための書類提出で産業支援プラザに向かう。もうすぐ、今年のファンドの書類提出で、中間で出した報告書類も大きな問題はないということで、例年よりもスムーズに報告書の提出が終わりそう。

忙しかった3月のスケジュールの大半が終わり、これから生産に戻る。
2015年03月24日
今日は韓国輸出の作業、中国出張中に留守のものにストールの袋のサイズを聞いて、それに合うダンボールをつくったのだけど、届いてみたら横幅がダンボールが5cm広い。電話を受けて測った母親の測り間違いなのだ。

これも勉強、ストールを10枚づつ入れる小さな箱のほかに、その小さな箱を出荷するのに最適な大きな箱も作って1個の箱で送ってしまおうと思いたった。110cmX50cmX47cmのオリジナルの段ボール箱を作る。これで小さなたくさんの箱が中に綺麗に収まって1個の荷物としてお届けできることになる。

果たして、そんなにうまくいくのかと思いながら、朝クロネコの営業所止めにして、段ボール箱一つを送るためにそれを梱包されたダンボールも、それようにつくられて気の毒に思いながら梱包を解いて、小さなダンボールがその大きな箱に綺麗に入るのを確認。

これが出来なければ、フェデックスで2個口の発送になる。これがうまくいくと、ドアツードアのサービスでかなり送料の節約になるのではと思う。発送の箱に1万円をかけるというのも、尋常じゃないかもしれないが、それ以上の節約になっているのではないかと思うのだ。無事、6時半にフェデックスの営業所に持ち込んで今日のフライトに乗せてもらえることを確認。朝からの緊張した一日が終わった。
2015年03月23日
今日はインド向けの輸出の手配。今日の便に乗せて明日に到着するのか、それが難しいことが判明をして、別の移動先の住所を相手からいただく。

午後から移設するシャトル織機の工場で、移設に関しての相談。どのタイミングで織機を動かしたらよいのかとか、どの織機を移設するのかなど。私の工場の中のレイアウトなども考えないとならない。

今日はテキスタイルマルシェ最終日だったが、会場に着いたのが5時過ぎの片づけが始まってから、なぜかというと、中国に行って携帯電話が一時間遅れたままになってて、そのまま電車を調べて、33分の電車かとおもって売店で買い物していたら、31分の電車が来て、売店のおばちゃんに「早くしてよ」と売店のおばちゃんがそれほど悪いわけでもなくきつく言うこともできず、電車一本遅れてしまった。

電車一本遅れた間に、DOCOMOショップに行って、自動時刻補正ができるように設定してもらって、WIFIでのデザリングの方法も教えてもらったので悪いことばかりではない。

阪急うめだ本店のテキスタイルマルシェの片づけが終わって、私は、お仕事でお取引のあるサンバリア100の皆さんとお話しながら食事を一緒させてもらう。期待下さっているのが、産地全体が潤うような理想的な状態。私自身、私の中の会社の一つの仕事ででもなかなか簡単にはいかないことが多いので、まだまだ自己満足だけの範疇にいるのを感じてしまう。
2015年03月21日
帰りの飛行機は南方航空、今回は珍しく中国の日本観光グループの中に包まれた席で、座っていても騒がしい状況。何軒かのご家族の旅行のグループながら、男の人たちは、どの家も窓側の席に座り静か。おばちゃんたちがかなり騒がしい。隣のおじさんも私に話しかけてくるが言葉がわからず、話せれば面白かっただろうにと思う。

帰国して、いろいろなところから電話をもらっていた。ベトナム、中国と携帯電話が壊れたこととパソコンが受信は出来ても送信が出来ない問題が、レンタルの海外ネット端末の問題だろうあって、重要な案件も送ることができずで苦戦続き。以前よりも回線に規制が掛かってしまっているようで、レンタル端末も役立たずの代物に思えた。これはホテルのWIFIを使っても同じなので国による送信規制なのだろうと思える。

今日は、阪急うめだでのテキスタイルマルシェも午後から参加。海外輸出用のダンボールの箱が届いたが、幅が5cm広い。わざわざ、ぴったりサイズに箱を作ったつもりが、海外からの確認だったりして国内で会社のものが測り間違え、また、ダンボールをつくる話に。急いでいるのが余計に遅れる。

ネットでご注文をいただいたみなさまには申し訳ございませんが、会社のものとの連絡もうまくつかないことが多く。帰国後の順次発送という形になってしまい。ご発送が遅れてしまっております。申し訳ございません。
2015年03月20日
今日はインターテキスタイル上海の最終日、最終日なので朝から片付けモードかと思いきや、お客さんの流れは通常以上にある。

今回の展示会で感じたのは、布に対する気持ちとか、ものづくりの気持ちとかをお客さんが求めて下さっていること。林与なんて、ブースも小さくてシンプルで布だけが勝負ながら、それに共感下さって、一番良いといってくださる方が多くて初対面の方ばかりなのにどうしてと思う。

今回は中国の現地の方が多いが、林与のような小さな会社のものづくりを理想形のひとつとして求めて下さるのは、逆に危機感を感じるほど。数年ほど前までは、あったとしてもごく一部だけに通じる麻の価値観が、今ではベーシックな価値観の考え方に。早すぎる。日本が追い抜かれるのもわかる気もする。海外のものづくりの価値観が日本人以上に日本人的になってきている。

林与自身は、追い抜かれてはならない気持ちで、追い抜かれないだけの厳しさの中でものづくりを見つめないとならないと思う。何十年仕事をしている人が気が抜ければ数年、早ければ数ヶ月で,初めての人に追い越されてしまうのを何度もみている。ものづくりにとって己惚れるほど怖いものはない。
2015年03月19日
今日は2日目、朝からたくさんのお客様がお越し下さる。うれしいこと。今日は、昨日来られたテキスタイルを大学で教えられている先生が、ご友人の中国のリネンの会社を紹介くださり、その中国企業ブースを訪れた。

その会社も1000人を超える企業で、いろいろな用途向けのものをつくられている。糸から生地までを生産できる規模で、企業のアパレルコレクションまでされている力の入れ方で、ブースにもたくさんのお客様がおられ悪くない。商売としてはよい状態におられるものの次のステップを考えておられるのだろうと思える。
2015年03月18日
インターテキスタイル上海の初日、午前中は、お客さんがまばらで、この展示会はお客さんが少ないのだろうという悪い予感だったが、まったくの外れで、来場者が多すぎて受付がパンクしてお客さんが入ってこられなかったという後からの情報。午後からは、林与のブースには常に数組おられて対応にも困る状態が続いた。

嬉しかったのは以前お取引があって、しばらく間が開いていたが、そのブランドの担当の方が忙しいのに顔をみに来てくださった事。私自身は仕事を催促するタイプでもないし仕事云々よりもこういう場所に来て、一年ぶりに会えたりするのが嬉しいのだ。次の日に、私が会場内の別の場所にいていないときにもう一度きてくださったみたいだ。

今回は、新しい会場での春夏展ということで、中国外のお客様の比率は非常に低く、中国バイヤーさんの比率が非常に高くなっている。これは会場が新しいこともあってまだ海外バイヤーにまでも展示会の概要が浸透しておらず、将来的にはインターテキスタイル上海のように、どんどんと国際化していくだろう。

林与の近江上布プリント柄のストールがすごく人気で、これは意外なほど。この前の秋のときの何倍もの人気。初日でサンプル用に持ち込んだストールをサンプル用や自分用に買いたいというお客さんが何件もあってほとんどなくなってしまった。残りの展示会は数柄でいかないといけないどうする。
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