for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記
リネン日記
リネン日記:3593
«前のページ 1 ... | 158 | 159 | 160 | 161 | 162 | 163 | 164 | 165 | 166 | 167 | 168 | ... 180 次のページ»
2010年08月07日
今日は、ひこねシンポジウムの件で高校での打ち合わせがありました。高校生がつけたいファンデーションということで、描かれた20点余りのデッサン画をチョイスくださっており、その中から3点余りを学校の先生と一緒に選考いたしました。

私個人の感想としましては、デッサン画というのが非常に良く描けているので不思議でした。一見して、体系だけでなく顔から指先までしっかりと描かれているので、高校生には出来ない仕事だなあと感じました。お話をお聞きすると、お絵かきのような下書きのラインを先生たちが用意くださって、その上に高校生たちが服を着せるような感じで書かれていてるそうです。教育のプロの皆様が今回のプロジェクトを裏で献身的にサポートくださっているのを痛感いたしました。

前回は大学生のデッサンを見せていただきました。高校生たちが大学生になると、今度は、自分たちで下書きのラインから自由に描くようになり、顔も指などもすべてを自分でクリエートする力がついてくるのだなあと思います。学生たちにはものをつくる楽しさを知ってもらいたいなあと思う一方で、その難しさも感じてもらえたらなあと思います。

つくるデッサン画を3点選びましたので、後は企業側のほうで形にしていくことが重要だと考えます。1点物として作るのは簡単だったりして、再現性の必要性や品質また価格納期を考慮する商品の形まで考えるとものづくりのスタイルが非常に限られた物となります。今回のミーティングでも、ひとつの市松模様のニットの柄の素材があって、その素材の手配だけで、数千セット作らないといけないような話になってきます。それを避けるためには、品質や再現性など後のことを考えないで、ハンドメイド的な手法で1点だけを作る方法を取らざる終えないのが、後の流通形態も考慮してお店に並べることを想定した本当のプロの試作といえるのかどうかというところだと思います。
2010年08月06日
ミケランジェロが彫ったといわれるダビデ像とその有名な話にダビデ像の鼻の話があります。その像を注文した注文主がミケランジェロに鼻がもう少し低いほうが良いといわれて、ミケランジェロが鼻を削るふりをして、注文主は満足したということです。

私自身は、その対応には疑問です。できないものは出来ないとはっきりといえばよいと思うのです。芸術家や職人ならやった振りをしてては駄目でしょう。良いもの悪いものを見極める目は一番大事ですが、その話が一人歩きしてしまうことを危惧します。

布をおつくりするときも、いろいろな相談を持ちかけられます。すべてを予想してお客様の言われることを行うとどうなるか説明いたします。布を駄目にしてしまわないとその言っている意味の分からないお客様もおられますが、一度、二度は、駄目な見本を作ってでもその意味を見せてあげます。それは私自身が経験して理解していることで、その人にとっては初めてのことだからです。分かる人はその意味が分かりますし、分からない人はずーっとそのままです。私自身も自分自身のリスクで多くの経験を積むことで、作業している人以上の気持ちで全体を統括しています。

イタリアのプリントやテキスタイルのデザイナーはお客のリクエストで色を変えないという話を聞いたことがあります。そのことには自分のデザインを変えないという意味以外にも大きな意味合いが潜んでいます。自分自身で類似品を作り出さないことがオリジナリティを長続きさせるコツではあるのです。

ミケランジェロの場合、鼻を削ることは、自分の作品でなくなるという意味合いが含まれていたと思います。削る真似をしなければよいという簡単な結論です。その削る真似をしたという話が何百年も残るのは、ミケランジェロにとっては恥ずかしい話ではないかと思うのです。
2010年08月05日
今日は午後1時間ほど、加工工場さんに行った途中、東近江市(旧五個荘町)にある近江商人資料館に初めて脚を運びました。きっかけは、弊社には昔の近江上布の見本がたくさんあるので、資料館には近江上布がたくさんあるだろうから、林与以外の近江上布というのはどんな世界なのかを見ておこうと考えたからです。

実際、近江上布の資料は少なく、目的は達成できなかったのですが、近江商人の道徳的なことを解説する物語を見ることが出来たり、観光客に対してというより、地元の人に近江商人の文化を知っていただくために作られた資料館であると感じました。

資料館での三方善に対する解釈も私の持論とは異なる部分もあったりはするのですが、少しでも三方善の精神が広まることを考えれば細かいところを考えるべきではありません。大きな目で見て、世間全体がよくなるようなことを最終目標に商売をしていくことが大事だということだと思います。
2010年08月04日
糸を通し始めた筬があと30cmのところで端のほうが筬に微妙な問題があるのが見つかり、新しい筬で通し直しです。

別の台では、整経をビームに巻いたものと織機の織る場所とがずれていて、片方の耳のところが織り難いという問題が発生中で、原因は分かるのですがそれにどう対応するかが難しいところです。通常の整経機で、30cmとか40cmとかの幅が狭すぎる織物を巻き取ったときに、巻取りがうまく出来ないという問題は今までに何度か経験しているのですが、多少の位置のズレはカバーできていました。ところが今回の規格ではどうしても織るのが難しいということで、別の方法での解決法を考えます。

これは整経機の設置の問題から絡んできますので、通常の整経を優先した位置取りにするのか、特殊な狭い幅の織物を巻き取ることを想定するのかで、判断が分かれるところです。小幅織物などのようにビーム全長がの短い場合には問題としての認識は起こりえないかとも思いますが、広い幅の織機をつかって小幅織物を手がけるときには検討が必要な問題となってきます。

縫製のほうでも今日は手作業でやっている三巻の部分をアタッチメントでどういう処理が可能なのかという点を全員で検討しました。手作業でやる場合とアタッチメントを使用した場合との仕上がりの違いや、最終的な仕上がりにおいてどちらのほうがより見栄えするのかという点を議論しました。アタッチメントを使用した場合には、最後の仕上がりがつれたりしないように常に調整することの重要性を指導しました。ヨーロッパなどの市販のリネンの製品は縫製は、輸入されて日本の店頭に並んでいるものを見ても、アジア新興国の縫製の品質よりも良くないことが多く、日本製品のようにきっちりと布目などまでも考えて縫製されたものが少ないのです。

ジャカード織機の案件なども、夜、糸番手規格など設定を分析して、紋紙の製作などから前に進めていくことになり、織る前の紋紙の設計などで数週間必要になるような形で、お盆休みの予定の開いている前半がそれに費やされそうです。そのほか、新規に依頼があった来年もののインディゴ染の案件も検討を加えました。
2010年08月03日
夏が暑くないのを心配していましたら、とうとうすごく暑い夏になりました。アブラゼミもしっかりと、日の明けないうちから鳴くような感じで、まさに夏そのものです。最近は、沖縄とか北海道のお客様などから生地を買っていただくことが多いのですが、沖縄はもっと暑い夏をすごしておられるんだろうなとか、北海道も暑くなってきたんだろうなあとか、思います。

今朝は、朝9時から織機を1時間ほど調整しました。工場の中はすごく、すごく暑いのです。でも、そんな中で働くのが私自身は好きなのです。昔、大阪のコンピュータのプログラマーとして働いたことがあるのですが、夏、エアコンで、すごくオフィスが冷え冷えで寒かったのを覚えています。夏なのに毎日毎日寒いのです。夏に風邪を引いている人も多く、寒くて体調を崩される方もありました。コンピュータを作る会社では、365日24時間同じ環境で保たれていて、作られた空気の中で働いている気分で、特別酸素も供給されているのではないかと感じます。外に出ると、外の熱気で、浦島太郎の玉手箱現象を毎日体験しました。

先日、彦根のお城の近くの観光地にいったときに、暑い暑い中一日中、コンクリートと駐車された車からの太陽の光の反射の中で、ヘルメットをかぶり駐車場の番をされているのを眺め、礼儀正しく丁寧にお客様を誘導されているのを見て頭が下がる思いがします。雨の日は雨の日で一日中、雨の中で傘も差さずにびしょ濡れでの対応をされているはずです。それが毎日毎日で、人が送る一生というのは、たった一日を見ても、他の人の何十倍もの我慢をされて働かれ、他の人の幸せを支えられているような仕事もあるのだなあと感じます。そういう駐車場にたたれておられる皆さんというのが65歳を超えておられるような方であるのが日本の社会の実際の厳しさなのだなあとも感じます。

今日は、午前中お客様で、午後からは彦根の高校で打ち合わせ、会社に戻って、夜はまた彦根で別件の打ち合わせがありました。今日も、いろいろな皆さんとのお話の中で、ものが作れる体質とは何なのかということを考え、暑い中で我慢して働けることに意味があるのかないのかということも大きく関わってくるかと思います。
2010年08月02日
今日は、午前中加工工場に加工出しに行きました。いつもの担当の方がお休みだったのですが、他の方が対応くださいました。その後は、染色工場に行って、その後、別の加工工場に行く予定でしたが、かわいいヘビーデュティキッチンタオルのシリーズが出来上がりましたので、その写真を撮りたいなあと思いましたが長年使ってきたニコンの7年選手のデジカメが不調で…

家電屋さんを数件回りましまして、リネンの生成生地が上手に取れるカメラがないのかと探しましたが、リネンの生成の生地を取るのはほんと難しいものです。ニコンに慣れていたので、ニコンにしようかと思っていたのですが、ニコンよりもキャノンのほうが液晶が明るかったので撮った画像がよい感じがしてキャノンのデジカメにしました。

昔だと新しい電化製品を買うとこってりとマニュアルなどを調べて使ったものですが、最近は、マニュアルを開く時間もなく、基本的な機能だけを頼りに最後まで本当の使い方を知らずに電化製品と付き合うことが多くなり、デジタルな時代というのは不要な機能がどんどんと増えているだけじゃあないかと思います。見たままがただそのまま取れれば良いのですが、布の場合、カメラの機種やPCの画面設定で色が簡単に化けてしまうので正直に撮っているつもりでも、ご覧になられる方の環境で色は異なります。

今日は、夕方にストールが上がってまいりまして、ストールに作り上げる作業を行いました。夏が終わって秋になるとリネンストールが恋しい季節になるかと思います。午後からは、服地のほうの新規の注文もいただきました。
2010年08月01日
皆さんのお住まいの地区に「山の神様」はありますか?今日は、山の神様の日でした。朝から、荒れ果てた感じの雑草を刈って、石を積み上げて作られた小さな祠におまいりしました。この山の神様の由来をやっている誰もが語れないのが不思議ですが、自然に大して参る形なので宗教としては人間が介在しないので純粋なものに感じます。

山の神様みたいな宗教こそが、非常に純粋な気もします。誰かが神様だと思えば神様で御神木であり、他の人からすれば関係のない石と木です。その土地の所有というものも個人の土地であったりとおおらかなところがあり、個人の家にあるお地蔵さんに似ています。林与の前栽にもお地蔵さんのような形の石があり、それをお地蔵さんとして普通の石とは別扱いにしています。

ひとついえるのは誰もがわからないほど長く続いたものであるということです。50年とか60年に1回当番が当たるという類のもので、今年は私の家が当番が当たりました。もしかすると、この素朴さは、有史以前のものかも知れません。

石を積み重ねたところに木が生えているというご本山には、自然のものに神々しさを感じる本質が貫かれている思いがしました。こういう素朴な信仰というものは、途中で人間のしがらみみたいなものが働くことなく、素朴なままに続いていけばよいと思います。
2010年07月31日
今月のリネンプレゼントですが、今織っておりますシャトル織ヘビーデュテイキッチンタオルを会員登録されメルマガ購読されている方の中から抽選で4名様にプレゼントいたします。麻織の本場、本近江織麻布で、「林与」のタグ付です。

林与自身が使ってみて納得の吸水性、通常のフキンとは違います。洗濯機でゴシゴシ洗って、何年も持つクオリティです。使うたびにだんだんと味が出てくることを想定しており、キバタを縫製した状態でお送りいたしますので、お使いいただく前に一度洗ってくださいね。

8月には、好評なキッチンタオルのシリーズを拡充いたします。色柄サイズ含めまして40種類程度展開いたします。日本の麻の老舗が考える本質的に良いものをと考えて作っておりますので、一度お試しくださいませ。
2010年07月30日
筬(オサ)ってご存知ですか。織物を織るために必要な縦糸を通して、織るときに横糸を叩く道具です。林与にも数百枚の筬があり、筬というのは、それぞれ目というのがあって、インチ当たり何本であるかを表します。

筬というのは規格外のものは、通常何年かに1回しか使いませんので、いざ使おうというときに少し錆が掛かったりします。これは、錆が糸につくだけでなく、糸を鑢でこするような状態になるので、縦糸切れが起こり駄目なのです。錆が掛かった場合、丁寧に錆を取る作業を何時間も掛けて行い、筬を新品と同じような状態にしてから糸を通して使います。

手織りをしておられる皆様なら筬の意味は良くご存知だと思います。手織りの場合、筬を頻繁に変えることはないでしょうが、アパレル向けの新規の企画の場合は、筬の番手を頻繁に変えることがほとんどです。その度に機を作り変え何千本もの糸を通す作業が伴い、機屋というのは単に織物を織るだけでなく、織物そのものの設計を担っているのです。

あと、横糸の本数に相当する打ち込みを変えることも頻繁です。打ち込みに関しては、物性の面と、キバタの状態で見た目の雰囲気を考慮しながら、さじ加減で何本にしようと決めることが多いのです。インチ当たり2本違うと雰囲気が変わる感じです。
2010年07月29日
ジャパンクリエーションのブースが決定いたしました。今回も良い場所に当たりまして、多くの皆様にお越しいただけるのではないかと思っております。現在進行中のビンテージアイリッシュリネンのプロジェクトのほうでも、前年度に出来上がったハンカチなどをご覧いただけるのではないかと考えております。ジャパンクリエーションに来ていただければ、きっと林与のブースは見つかるはずです。林与のパッチワークの看板が目印ですので、リネン日記をお読みの皆様もお立ち寄りくださいませ。場所はビッグサイト、今回も入場の方は無料ではないかと思うのですが、招待状が必要な方は、お送りしますので弊社までお問い合わせくださいませ。

インターテキスタイル上海も、前回同様、今年もJFWの事務局のお隣のブースです。すぐにわかりますので、上海万博の観光のついでにでも、インターテキスタイル上海にお立ち寄りくださいませ。今回の両展示会では、ファンド事業で進んでおりますビンテージアイリッシュリネンのプロジェクトのほうで出来上がったハンカチをメインアイテムとして展示しようかと考えております。ほかにも、麻織物の本場近江湖東麻織物らしいものをたくさん並べたいと思います。


2010年07月28日
今日は、ひこね繊維シンポジウムの必要書類の作成でお昼前から夕方まで事務局で過ごしました。書類に、先日作ったひこね繊維シンポジウム実行委員会の印鑑を始めて使ってみましたが、かわいくてよい感じです。

彦根からの帰りに法務局に印鑑証明を取りに行きました。出口のところで、ひとつ年下の昔から馴染みの方に一年ぶりくらいにお会いしたので近況のご報告などしました。出口のところで雨が掛かるか掛からないかという場所で20分ほど立ち話をしても、お互いにまだ話したりない気分です。

お話した中で、世間は狭いですねみたいな体験をいたしました。東京に住まれている女性の方のお兄さんが滋賀県の長浜で洋服を作るお店をやっていると紹介されて行かれたお店で、林与の布が使われているという話になったそうです。

プロの方が麻布を探されるときに、小さな林与にたどり着かれるケースというのは多いとは思いますので、そこが麻業界というのは小さな世界だなあと思うところです。
2010年07月27日
今日は、午後から県立大学のゼミが組合の縫製工場さんの見学に起こしになられました。朝から織機のほうの調整をしていたので時間ぎりぎりにしか行けずにいたのですが、県立大学の学生さんたちというのは本当にまじめだなあと感じました。

夏で暑いので、学生なんで、県立大学と琵琶湖って近いので琵琶湖にでも遊びに行っているのかと思っていましたが、皆さん、シンポジウムのテーマらしく、「美しく、健康に」な感じです。。デッサンされた絵をみても、素敵だなあと思うものが多いので、それをどう形に変えていくかというステップを手伝うのが企業の役目だろうなあと思いました。

林与がものを作るときも、実際にやってみないとだめだなあと常に思います。頭では何とでも織物を設計できるのですが、それをするときにどれだけの時間と人材、設備とお金が必要なのかとか、さまざまなリスクも含めてどれだけあるのか理解することが大事な部分だと思います。

アイデアはあってもそれを実現しようとするときに世の中にないものというのはそれなりに理由があって今まで出てきていないことが多いのです。それに気がついているかいないかで同じ失敗を繰り返す繰り返さない、また、前に進める進めないが決まってくると思います。アイデアが浮かんだときや問題にぶつかったときに、すぐにそれが技術的に可なのか不可なのかとそのアイデア(デザイン)の価値を現実的に判定する作業に取り掛かるのは一番大事なことだと考えます。
2010年07月26日
朝の5時でもセミが鳴き始めました。これが私の考える夏そのものです。朝から気だるいくらいの夏らしさに包まれながらも、セミが何年も土の中いて、土から出て1週間で外での一生を終えていくという命の儚さみたいなものがあるから、うるさくてもいいのです。暑い夏なのに、セミが鳴かないほうが怖いのです。

子供の頃を思い出します。朝から晩まで、一日何十匹という蝶やセミを虫籠いっぱいに集め、夕方暗くなってから虫籠を開放するのです。先日、カインズというホームセンターに印鑑を取りに行ったときには、外国のカブトムシを販売していました。子供の頃、図鑑を読んであこがれた外国のカブトムシですが、現実にホームセンターで誰もが買える今、私が子供の頃に想像した世界で一番大きなカブトムシという憧れのイメージは今の子供たちは持たないと思います。

今日は、応援ファンドの提出日で、先週からやっておりました資料をコラボしがに持ち込みさせていただきました。朝から最終のチェックを始めたのですが、11時ころと2時から仕事のほうの電話などが入って、数字などのチェックなどして印刷が終わったのは午後3時過ぎで、午後5時の締め切りに間に合うのか心配しながら高速に乗り、午後4時半過ぎに、コラボしがに到着いたしました。コラボしがでは、提出の受付の担当の方が順番に対応されており、しばらく待って無事提出させていただきました。

大津までせっかく来たので、コラボしがの展示コーナーを見て帰りました。物産品として、農作物っぽいものやお漬物の瓶詰が展示してありました。農作物というのは産地を非常に語りやすいものだなあと展示をみて感じました。土の中で育つものだからでしょうか。

今日は夜には、縫製組合の助成金の打ち合わせなどがあり、当初の計画とのズレなど、進行状況などの遅れなどを生み出している問題を根本的に考えないといけないなあと思っております。
2010年07月25日
今日は、会社は休みでお天気がよいので、頭を悩ませていた問題に取り組みます。布の風合いの調整に取り掛かります。原料は良質で生機も満足なのに、加工した後の風合いが悪い感じなのには納得がいきません。

いくつかの問題に感じることはあります。その答えを自分自身が見つけないことには前に進まないのです。糸が悪いのか、生機規格が悪いのか、はたまた、加工に工夫が必要なのかです。先日織り上げて自分で加工したものは良い感じだったので、それに近い加工をどう再現するかだと思います。

リネンを触っていると、日中の乾燥しているときにはパサパサ感があります。外で干して乾燥してしまった状態はパサパサしてます。でも、しばらく放っておくと湿気を吸って、しんなり感が出てきます。梅雨の時期のリネンというのが案外しんなりしてよいものです。私自身が、素材からして高級なリネンが好きなのは、ぬめりのあるソフト感よりも、リネン独特のしんなりとして光沢のある繊細な高級感なのです。

パサパサしているのも悪いことではないのです、これから水分を吸収しようとして準備できている段階ですので、着たらすぐにしんなりとなります。大事なのは毛羽があるかないかです。毛羽があるとラミーやリネンでもウールとおんなじで暑いです。ウールという素材は、吸水性はリネン以上に抜群なのです。リネンやラミーにおいては、どこまで毛羽を押さえるかが夏素材としてのポイントです。

夜まで掛かって、自分自身で仕上げて、一級のリネンの布に仕上がりました。リネンが良いのは、天然のものなので使い込むほどに風合いが良くなることです。私自身が、明日から数日、さらに良い風合いを出すために時間を使ってみようかと思います。せっかく2ヶ月近くも掛けて形になった布ですので、ここで満足していては駄目だと思うのです。織や糸の良し悪しだけでなく、麻やリネンの風合いの良し悪しを判断し作り出すのも林与の大事な仕事のひとつで、林与独自の布に対する良し悪しの判断があります。
2010年07月24日
毎日、うだるような暑さになってきました。私自身は、こんな夏になるのを待っていました。外に出ても夏らしさがあるのに安心です。夏なんだから、ただじっとしているだけでも汗が出る。そんな当たり前がなかなか体験できない時代なのです。

今日は、午後から大阪のアパレルさまがお越しになられました。本格的かつ、こだわったものづくりをされていて、日本の素材、日本の職人的な要素なども取り入れられ、ボタンなども特別なものには特別なものをオリジナルで手配されているということです。だんだんとそういうこだわりが日本からなくなる時代の中で、そういうお話を聞くと、ものづくりのというものを大事にしてもらっている感じがします。草木染の話などをしても、非常に知識と経験を持っておられ、同じものができないリスク的な部分も語りとして理解されているところなど、やっておられることをすべて噛み砕いておられるなあと思います。

夕方からは、彦根の稲枝で稲盆というイベントが行われていました。近くの縫製さんが地場産品の物販コーナーで販売を行われており、お渡しするものがありましたので、イベントをついでに見学してくつろぎました。外で過ごすというのは気持ちの良いものですね。夏の暑い中、冷たい飲み物やスイカ、食べ物などを食べ、まさに、夏を実感するようなイベントだなあと思いました。お天気も良かったので主宰された方も幸せです。

地場の産業を守っておられる方というのは、気が良いというか地場のお祭りの賑わしのために出たり、また、日ごろの生活の中でも地域のさまざまな役割を担って、日本の文化的なものを作っておられるだけでなく、そういう方たちの存在自体が日本文化そのものではないかと思います。義務、業務、損得的なものではなく、熱意とか誠意など気持ちで動いておられるところに美しさを感じます。

こういう場所に浴衣を着た女性の方がおられるだけで、イベントが何倍も華やかになります。着物の偉大さを実感します。今の時代に、夏の浴衣を着こなせる和風な方というのは希少な存在です。そういう人が、フラグシップとなって浴衣って良いなあみたいな感じで、他の方が浴衣を着る火付け役になるのだと思います。
2010年07月23日
昨日、東京に行きまして、不在なため適切な指示ができずに出荷できなかったがありましたので、それを届けるため裁断されるところまで、午前中に検反を済ませてもって行きました。帰宅したら午後7時過ぎです。

今の時代、ものを売るだけでなく、新しいものをつくったらその市場を開拓するところまでが、ものづくりの人間の仕事じゃないかなあと思います。同様に、糸探しも自分でしないと特別な糸というのは手に入らなくなってきています。

単なる売り買いだと簡単ですが、ものづくりが絡んでくると、そのひとつのプロジェクト云々ではなく、全体的なプロジェクトでトータルにカバーしてものづくりを計画しないと駄目になってきます。そういうリスク回避の要素が絡んで、時代の流れのなかでその部分を吸収できる直販という形が理想形となってきたと思います。

ものをつくっている人間がものを売ることも考えて行くことは、通常のものを売るのとは違う視点での販売で、ハンドメイドされている方がものを販売されているのと似ています。直接、ものづくりのコンセプトや方向性ならびに、本質的な違いを最終的な消費者のみなさまにダイレクトに伝えることができる部分は一番大事な部分ではないでしょうか。
2010年07月22日
今日は、東京のアパレルさんの展示会を拝見いたしました。今回も、車です。朝6時半頃に滋賀県を車で出発して、午後1時半くらいに東京アパレルさんに予定通り到着しました。弊社のリネン生地も製品にしていただいており、スカート、パンツ、コートになっていました。リネンなのに来年早々からの店頭に並ぶそうでその辺りが非常に新鮮です。感想としましては、生地で見ているときよりも製品になって品がある感じがしました。

他の商品の特徴などを見せていただき、リネン関連で、求められているような新しい素材ができないかなあとお話を聞きながら考えています。特殊なものを作ろうとするときにやはり糸から考える必要があるなあと思います。来年に向けて複合素材でなにか面白いものを考えて見ましょう。ストールなんかも拝見しました。一見して楽しそうでインパクトのあるものが多かって、普通のシンプルじゃあない世界のものではないので提案しやすいかなあと思います。素材にもこだわられ、ブランドさんがブランドさんとして個性と方向性をもたれているのが強いところではないかと思います。

その後、オーガニックコットンを主体に扱われております。アパレルさんにお邪魔しました。ブランドさんの全体的な商品のイメージがリネンの世界ともよくあう感じがいたしました。地元の縫製工場さんのお話などもさせていただきました。弊社がリネン商品の新しい分野を開拓しようと取り組んでいるところなどにも興味をもっていただいているようですので、今後、少しづつ広がっていくのではないかと考えております。

夕方、昔からよくお世話になっていた生地商さんが独立されたアパレルさんにお邪魔しました。15年以上前の懐かしい話がたくさん出てきます。その当時、リネンの良いものをどんどんと取り上げていただいていて、どんどんと良いものを提案すればさらに良いものを求められる、とことん贅沢な時代もあった昔話を教えていただきました。まだ、私が仕事に入りかけた頃の話です。

今回、六本木のライフスタイル関連のお店にも立ち寄りたかったのですが、帰らないといけない時間が迫ってきて断念です。一日じっくりと私自身が自分の布を扱ってくださるブランドさまのお店の店頭を順番にじっくりと眺めて見れればなあと思います。普段時間がないなら日曜日にすればよいと思われるかもしれませんが、それ自体が本当に難しいというのが林与の境遇だったりいたします。

朝方、戻りまして、加工からあがった反物を確認いたします。細番手の生地ですが、十分厚く織りあがっていますが、生地の表情や生地幅の問題も考えますと適切なのかと思うところもあり、即断は駄目ですので、しばらく置いてみて自分の中で答えを出そうと思います。
2010年07月21日
日本の麻織物の歴史というのも紐解いていけば数軒の家の歴史に過ぎません。誰がそれを守るのか守らないのかで日本の麻織物の伝統が左右されてしまうのです。私が家業に入ったときに、伝統工芸士の勘一じいさんが、工場の中で働いていてくれました。

いつも、お昼前になると、腹へったねえ、昼にしようと言われます。勘一じいさんは、数年前に亡くなられたのですが、胃がんで胃を切っておられ、胃に食べ物がたまらないので、おなかがすぐに空くのです。それでも、時間いっぱい働いておられたのは堅気な気質そのものです。

毎日仕事ができることを喜びのように感じておられ職人さんだなあと思ったしだいです。そんな伝統工芸士のおじいさんでも、織物に入ったばかりの私の言うことには絶対的に動いてくださっていたことをありがたく感じておりました。勘一じいさんは信心深く、戦争にも行かれ戦後アジアで抑留され他国での捕虜体験ももたれています。日本に帰って来られたことに感謝の念をもたれており、死なずして、年をとっても働けることや仕事のありがたみを常に語っておられました。75歳まで織物の仕事に携わってくださいました。引退後も、農作業や畑に精を出しておられ昔ならのお年寄りの手本そのものでした。

勘一ちゃんが亡くなられる一月ほど前に、懐かしそうに工場の裏口から機場を覗いておられたのを思い出します。勘一ちゃんのお兄さんは勘平さんで、兄弟して伝統工芸士でした。今も、お二人の作られた近江上布の反物を眺めると今の時代には不可能な良い仕事をしてくださったことを思います。そんな方が身内にいてくださることが不思議といえば不思議で、初代の与次右衛門じいさんや、与一じいさんが、近江上布の時代を華やかに繰り広げられることができたのも、中で職人を生み出すことができた時代なのだと思います。ものづくりというのは人間関係であり、人そのものなのだと感じる次第です。

よく物つくりはどこでもできるといわれる方がおられますが、そういう方というのは、人という要素に対しての評価が少ないかと思いますし、また、自分がものを作っているという意味自体の否定でないかとは思います。他を真似てひとつ、二つはできても、時代を超えて人々に評価されるものを作り出していくということは非常に難しいことだと思います。
2010年07月20日
三連休が明けて、連休中は連休らしいこともどうだったかなあという気分ですが、連休中は暑かったのがなんか夏らしくてうれしかったです。で、今朝は、ちょっとひんやりとした秋を思わせる風が吹いていたので、もう秋の風かなあと思いました。午後からは、夏らしく暑くなって一安心です。私としては、春は春らしく、夏は夏らしく、秋は秋らしく、冬は冬らしくあってほしいなあと思うのです。

今朝は彦根に行きました。私がいつも彦根に行くときには、中山道を使います。国道を行ったほうが早いことも多いのですが、中山道のほうが情緒があって好きです。伊藤忠さんなどの発祥の地、豊郷を過ぎて、次は高宮の宿です。高宮の宿というのはあまり手を入れず本物がそのまま残っているのでいいなあと思います。旧家の風情を残しておられるのも非常に大変なことと思いますが、作り上げられた観光地以上に本物の人たちがそこを守っておられることには意味があるのではないでしょうか。

夕方電話をもらって、その電話の中で朝何をしていたか考えたとき彦根に行ったのをもう忘れてしまっているのです。一日を思い出せないというのは危ないです。夜には染色工場に染の依頼に行きました。染色工場さんは非常に今忙しくしておられます。久々に社長といろいろな話をさせていただきました。新しい染の話などもお聞きして余力があれば手がけて行きたいなあと考えております。
2010年07月19日
昨日は、中学時代の同級生がシフォンケーキを息子さんに剣道の小手をのお礼ということでもって来てくださいました。私が25年前の中学時代に忘れてしまっていることを本当にいろいろと知ってらして、私が書いた色紙見たいのも見せてもらいました。たしかに、自分の字だなあと実感しながらも、こんなこと書いたのだろうかと完全に書いたことすら忘れてしまっています。

昔、小学生の国語の教科書にお話があったのを思い出しました。そのお話は、二人が昔見た絵の色がどうだったかを話しているのに、一人はあの絵は「青」で、もう一人は「虹色だ」という感じで、二人にとって懐かしいはずの絵の色が異なるのです。そこで、実際にその絵が何色だったのかを調べてみると、白黒の絵だったというようなお話です。たぶん、ヨーロッパの有名な作家の原作だったと思います。

そのお話を昔読んだ小学生の私にはその話の意味がまったく理解できなかったのです。自分が、見た絵の色を忘れる人間がいるのかと思っていましたが、今、現実に自分の思い出がそんな感じです。

今日は、午後から印鑑を作りに行きました。文字数が多すぎて、通常の注文システムに当てはめようとするとデザインが難しいようなのです。職人さんの手彫りのハンコを求めるべきなのか、時間的な問題も含め迷うところです。それを布の世界に当てはめると布を求められるアパレルの多くも方も同じようなジレンマに苛まれながら、作り先を探しておられるものとは思います。

その帰り、琵琶湖の湖岸道路でガソリンがなくなりました。軽自動車なのでまだ大丈夫だと思っていたら減速しはじめたので、道の脇の駐車場の入り口付近に止めて、ガソリンの到着を1時間ほど待つ間、せっかくなので真夏日の琵琶湖の浜を歩きました。半透明のマーブルな石かと思ってひとつ拾い上げるとラッキョです。なぜか、トータルすると何万個にもなるだろう薄赤茶色したラッキョが打ち上げられているのです。
«前のページ 1 ... | 158 | 159 | 160 | 161 | 162 | 163 | 164 | 165 | 166 | 167 | 168 | ... 180 次のページ»