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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2012年01月28日
挟というのは、繊維業界では必需品であったりするのですが、ことわざにあるように、挟というのは本当に使いようだなあと思うことが多いのです。上手な人は挟も長持ちしますし、上手でない人は挟を大事にしませんので、同じ糸を切っていてもすぐに駄目にしてしまいます。裁ちバサミで反物をまっすぐに切るのも上手な人と上手でない人がいるものです。

昔、私がある会社に行って裁ちバサミを滑らせるように使って切ったときに、その会社の番頭さんが、「裁ちバサミをサクサクみたいに刃を開きながら布を裁断されました。そしておっしゃったのが、こうやって切ると刃の一箇所で切らないのではさみが長持ちする」と。一生を布で暮らしてこられた方の知恵であり、挟みを思いやる優しい言葉ではありますが、そこには仕事に対する厳しさを感じました。

私自身、糸の結び目をはさみで切るときも、長さがなるべく短くなるように切ります。そうすると糸の結び目が目立ちにくいからです。私の経験上、年配の人ほど結び目を切るときに長く切る傾向があります。5mmくらい残して切る感じです。それは手先が器用でなくなったからというのではなく、昔から長めに切っておられたのだと思います。

今の時代だと、もっと短く切るように指導が入るのでしょうが、年季の入った方がそんな風に作られたものというのは、それはそれで、味わいのあるものだと思ったりいたします。私が、仕事に戻ったときに、73歳の勘一じいさんと一緒に仕事をしていました。老眼鏡を掛けながら糸を固めたり割ったりして、下準備の仕事をしてくださっていたのですが、はさみもずーっと同じものを大事に使っておられました。
2012年01月27日
織物で、ギシャと呼ばれる組織があります。6枚ギシャとか8枚ギシャが代表的なものです。今、6枚ギシャの組織を含む織物を織っているのですが、なぜか、5本飛んで、平織りになったり?ドビーが壊れているのか、ペックの頭が削れてしまってドビーが働いていないのか?ソウコウの動きを確認しました。

機械は正直だなあと思います。誰かがソウコウ枠を段違いに調節して、上に上がっても十分に糸が上に上がりきっていないような状態だったので、3本飛びのはずが5本飛びになったりしているのです。しかし、誰がこんな調整をするのか分かりませんが、闇雲な調整で、想像もできないことをやってしまうのが新しい人たちで、教えないといけないことは多いなあと思います。

職人さんたちが1週間時間が掛かっても織機を直せないときに、私の出番がくることが多いのです。私自身も普段は機械織ることは急ぎのときくらいになってしまっていますので、何が不具合なのかを聞いて、機械全体を夜中に調べることになることが多く、いろいろな調整の問題をひとつひとつ直すことになります。私の頭の中では、織れるも織れないも織る人の努力次第ということがあって、織れないなら織れないでその正しい原因を分かっていないとプロとしては力不足です。



2012年01月26日
1月の終わりに近づき、すごく冷え込んで雪が降りました。一面が銀世界で、この寒さ本物です。明日の朝までに加工に出さないといけない急ぎの仕事が何とか間に合いそうです。技術的にだけでなく、今は納期的に普通だとできないことをすることや見本というステップをクリアできることで、仕事というものが生まれてくることも多いものです。

今日はジャガード織機にグリスを注しました。織機部分だけでなく、ジャガードの部分にもグリスは必要で、100kgを超えるジャガードが上下にドッシン、ドッシンと動くため、その振動というものは、それを吸収するための仕組みをもって設置しないと、工場中が振動で揺れてしまうというようなレベルです。今となっては紋紙を使うジャガードというのは古風な部類に入りますがそれもまた良しです。微調整ができない部分がありますが、デザインなどでもそういですが、直感的な感覚で作り上げたイメージというものが案外揺らぎもあって個性的で良かったりするものです。

2012年01月25日
三方善についても諸説あると思うのですが、最近は、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」となっています。私が小さなころから聞いてきたのは、「売り手よし」「買い手よし」「作り手よし」の三方よしだったのです。近江湖東地方でも場所によって、あるいは家によって伝わりは違うようです。

日本のものづくりの特色を守るためには、日本的なものづくりを守るような文化が不可欠だと思います。アメリカにいたときにビジネススクールのマネージメントの授業で、職人たちが集まってパイプオルガンを6ヶ月間かけて、ボランティアでつくるビデオを見ました。完成したときにそれに携わった職人たちは満足げにしていましたが、ビデオを見たアメリカの学生の反応はお金も貰えないのに冗談じゃないわ、みたいなコメントが多く、そういうコメントが正しいのか正しくないのか、今の日本でもかなり似たようなコメントになりそうで…。

文化に関して、資本主義のアメリカと、共産主義だといわれた中国の価値観というものが個人主義的で似通っているのも以前は不思議に思いましたが、それは個人の価値観の問題ではなく、国の制度的な問題だと思います。ひとつの制度が集団的な価値観を変えてしまいます。いろいろな個人の問題といわれることも法律や制度の不備から来ていることがほとんどだったりもいたします。

三方善が難しいのも、今の日本の制度自体が三方善の精神とはかけ離れてしまっていて、損得勘定がいろいろな制度の中で優先されがちになってしまっているのを感じます。
2012年01月24日
織物の起源に関する秦氏(はたうじ)に関しては諸説ありますが、私自身は歴史は苦手なタイプですが、一番最初の大陸からの技術の伝播は、中国の秦の始皇帝と関係しているほうの説が近いんじゃあないかと思っています。そこに徐福という人物が現れてきます。

昔の国の概念というのは、ヨーロッパの新大陸発見もそうですが、中国にしても日本は新大陸のような概念で送り込めばそこを領土の一部と考えているような感じだと思います。弥生時代に急速に織物が発達したとされるのも、中国の織物技術が入ってきたからではないでしょうか。秦氏というのは、秦の始皇帝の使節団というようなところからきているんじゃあないかと思います。皮肉にも徐は秦ではありませんが…。

もちろん、日本以外にも朝鮮半島にも進出して、朝鮮半島から日本にくるほうが簡単ですので、後の織物技術の伝播の経路は朝鮮半島経由になったのではないかと思います。大陸から日本に何千人規模でくるほどの技術をもっているとするなら、何千人が力を合わせてひとつの目的を達成するということは今の時代にはないことで、当時の中国の織物技術にしても今の時代以上のものが存在しても当たり前だと思うのです。

徐福は実在した人物だとされているので、それが秦の国から来たということで、秦氏と呼ばれたと考えるのがいい感じな気がします。日本の織物の歴史も、徐福伝説で成り立っているところが多いですので、私自身は朝鮮半島からの影響よりも以前に中国が先人として技術をもたらし、そのあと、朝鮮半島からの伝播に変わったのだと想像をしています。

そういう徐福伝説の前に、日本に布がなかったのかというと、だれもが考える地機という方法で、縦糸を何本も平行に張って、織り筬の代わりに平べったい棒で横糸を編むように一本一本縫って、そこに横糸を通して、棒で横糸を詰めて織るような方法もあったかとは思います。別に杼を使う必要もありません。そういうのが古来のテキスタイルの形だと思います。腰機なんかは、杼を使いビームもついていて、人の動作でテンション管理ができるのである程度進化したモデルです。また、アンギンと呼ばれる縦糸を絡ませながら編むような織物は縄文時代の織物だとされています。大きいものは作りにくいですが。農作業の藁を工作するような延長にそういう作業があったと思います。

昔の織物が見つかっても織機が見つからないことがあるかも知れませんが、昔の織物というのはたぶん織機が必要なかった可能性も高いのではないかと思います。
2012年01月23日
最近も日本古来の麻について聞かれることが多いものです。それが本当は何だったのかということですが、草の茎から取れる繊維を一般的に麻と読んでいたと思うので、漁師さんが魚を取るのと似ていたと思います。その地方地方で魚の呼び方も違ったみたいな感じです。着物にできる繊維が取れて糸がつくれるならそれは良い麻だったのです。出来上がった布次第で、使う用途が決まったと思います。

品質表示義務がなかった昔ですし、見た目の良し悪しだけで判断していたでしょう。私が思うのに、今は麻といえば、苧麻というと、一般的に青苧ということになっていますが、より細い繊細なものというのは赤苧ではなかったのかと思います。今も、近江湖東地域では、青苧よりも赤苧のほうが自生率が何十倍も高いように思います。

麻の葉の紋様に関しては、桐麻紋様とも呼ばれます。これは、青苧よりも、赤苧の葉に似ていますし、赤苧が桐麻と呼ばれることからも、日本の麻のイメージというのは、赤苧だったのかもしれません。(実際には大麻の葉のほうが、麻の葉の文様には似ているとは思いますが、大麻の手績み糸が使われるケースというのは着物だと裃とか、座布団とか、ごわごわしたゾーンだと思います。生活雑貨のような生平と呼ばれるタイプものは硬さ加減からして大麻っぽい気がします。大麻をイメージした文様ながらも、今は桐麻紋様というように混同されて呼ばれている可能性もなきにしもあらずです。桐麻なら片側3葉っぽくみえ、大麻なら6葉っぽいイメージです。青苧だと葉っぱのとんがった感じは少なくコブラの頭のような片側がとんがったような楕円っぽいイメージです。)

昔というのは、マムシであれ、ムカデであれ、薬にしたような時代です。藁も草履や蓑、蓑傘になったり、その延長で織物があったわけですから、繊維が上手に取れてよい着物が出来ればそれが売れるのだと思います。特に、赤苧のものは特殊とされていましたので、ある意味上布らしいものとして差別化できたのではないかと想像をするところです。また、苧績糸は新聞紙にくるんで保管するのが基本です。普通だと糸の保管は湿気を嫌うのでしょうが手績の麻糸というのは乾燥するとささくれて使えなくなくなります。

私自身、文化財の保護方法に関しても、修復しないほうが本物ではないのかと思うところがあります。本物を触ってしまうと本物ではなくなるので、本物は本物のまま残して、別に当時を再現したレプリカを作ればよいのではないかと思うのです。トキが絶滅してしまった問題にしてもそうで根本的な要因が解決しなければ無理やり保護しても絶滅を加速するだけです。地球温暖化も新しいものを作るのに力を使いすぎて、今ある資源を捨て、新しいものに変えようとして、余計に加速してしまっている気すらいたします。

今作るものというのは、数年しか持たないものです。過去に作ったテレビなんかは10年20年大丈夫でしたが、今のテレビは数年が寿命で、次から次へと新しいものに使い捨てるのを推奨するようなリサイクルシステムまで出来上がってしまって、自然の草からも糸をつくり布を織ることを考えれば、今あるものを大事にすることこそ資源を有効に使うエコロジーの基本の形ではないかと思います。
2012年01月22日
今、ラミーのものというのは需要は非常に限られてきています。一般に、勘違いされているケースも多いのですが、実際にはラミーの世界のもののほうがリネンの世界よりも高いケースが多いのです。ラミーをそれなりに味を持たせるには糸だけでなく、織るまでの処理、仕上げなど、非常にコストが掛かります。

ラミーの世界も昔はシャトルで織っていたので細い番手が出回っていました。120番手とか140番手とかが日本でも高級ゾーンの流れている番手として出回っていたのです。贅沢をできた着物の時代の糸というのはそんなものです。さらに特別な番手としては200番手を超えるクラスも原料して別格でその準備工程も入念な時代にはあったと聞いています。

今は、水溶性ビニロンなどを用いて後で溶かす方法で番手を上げる手法が取られ、細い糸を実現していますが、昔は、原材料の良さと技術水準の高さでより細い番手を実現していたのです。繊維関連の方というのは、昔のもののほうが良いものが多かったというのは実感され、高級なものが売れるかというと、高級なものというのはこの何十年の時代の流れからして、それほど評価されるものではないというのを実感されていると思います。

今の時代1着分の生地に10万円を使える人というのは少ないと思いますが、昔の日本の着物の世界では、一着分が10万円を超えるというのもよくあった話です。着物の場合、仕立てというのがそれほど価格のウェイトを占めませんので、布の価値こそが着物の価値そのものに近かったといえます。

動物性繊維のシルクやウールなどに比べて麻布というのは、繊維の特性からして、ご家庭で保存されていても昔の生地がそのままに近い形で保存されて残るケースが多いのはまこと幸運なことではあるかとは思います。同じセルローズ系繊維の綿と比べても、繊維が強いなあと思うのは、水に対してです。綿のものは水分が多い状態で放置しておくとカビが生えて気安いですが、麻布はカビなどは生えにくいという衛生面での特性があります。また、天日で干すことである程度晒すことができますので漂白剤など使用は繊維を傷めマイナスです。

林与自身、高校生のときに着たリネンシャツや麻シャツをいまも、まだ着たりしているので、麻シャツというのはメモリアル的なシチュエーションでのプレゼントには最適ではないかと思います。着ている人がプレゼントでいただいたことを何度も実感できるだけでなく、その服を着ているときにいろいろな思い出がその服に詰まって行きます。使っているときの思い出がものに詰まって行くのは、キッチンクロスなんかでも同じではあると思いますが…。
2012年01月21日
作り手というのは良いものをつくりたいと考えていますし、最終的なお客様というのはよい物や本物を欲しがっておられるのですが、途中の方というのはどうしても安く買って高く売ろうとされる傾向がありますので、間に入られる方の考え方というものはものづくりをする上で非常に大事です。ものづくりを理解されないかたが間に入られますと、まず良いものというのはまず作れなくなります。そういう方というのは他と比較したり他で安く作って利益を上げようといつも考えられているのでお話していてもいつも厄介です。

以前もアパレルの方がこられて商談をしていて、アパレルの方は弊社に注文を出したと思われているのに、問屋さんは弊社の見本を使って他で安くつくられていて、商道徳に反するとアパレルの方に説教をされて恥をかかれて気の毒に思うこともありましたが、弊社のデザインをコピーしただけではなく産地偽装にすらつながります。百貨店でリネンシャツが1枚が4万円程度で販売されいた製品だけに、間に入られる方の損得勘定一つで作り手も買い手も騙されて、看板を背負っているブランドや百貨店で売られている商品の謳い文句すらもが嘘になってしまうというのは厳しい話です。林与とはものづくりや商売に関しての考え方がことなりますのでそういう方との関係が切れていくのは自然なことかもしれません。

お客様にとって製造の現場というのは見えませんので百貨店での売り文句がすべてとなってしまいます。かつても、非常に有名な京都の老舗の呉服屋さんが弊社に見えられたとき手織の近江上布の話をされたときにすごい量がないとできないといわれたといっておられ、この産地の人だと輸入物だとすぐに連想する話なのですが、良いものをわざわざ本場の産地に探しにこられた京都の老舗の呉服屋さんの方ですらそのことはご存じなく、近江産の手織ということで信じて買われて販売されてしまったのはどうかなあと思います。

生地の世界ではこれが特別なことではなく、何年か昔、アイリッシュリネンしか使いませんと謳っておられる大手のブランドの担当の方が弊社に来られたときに、アイリッシュリネンはないですかと聞かれたことがありましたが、リネン業界ではアイリッシュリネンが完全に手に入らなくなり弊社も何年も北アイルランドで紡績されている現行のアイリッシュリネンの糸を少しでも手に入らないか捜していた時期ですので、当たり前ながらありませんと答えました。お客様は自分がアイリッシュリネンをずーっと扱っていると思っておられたので、逆に私の返答にびっくりされたことと思います。年商何百億のブランドさんでも本当のあたりはご存じないことも多いのが普通で真実を知られるのが遅ければ遅いほど気の毒な結果になります。

北アイルランドでフラックスが栽培され、紡績が行われているような幻想だけが一人歩きして、ブランドが原料を謳い文句としている商品すらもがどこまで本当か疑わしい状況で、信用を重んじる百貨店でお客様に販売されてしまっていたのは厳しい現実のひとつです。別の話でも数年前の話ですが、聞いた話に素材にこだわることである高級なブランドが、幻となったアイリッシュリネンを謳い文句に製品を販売されたのですが、南アフリカで紡績された糸をイギリスに持ち込んで船積証明をとってアイリッシュリネンを謳ったとか。そんな話が裏で流れてしまっていて、高級なブランドさんのイメージそのものが台無しで、間に入られた方の一時の得のために飛びつかれたのでしょうが、やられたことの話題性が業界でも大きいだけに、騙された側のブランドさんのイメージが笑い話のように何年も後でも業界の中で語られるのは忍びない話です。
2012年01月20日
今、テックスワールドというパリで行われます展示会の飛行機の手配とホテルの手配を行いました。自分で一人旅を計画するのですが、テックスワールド展は始めての経験ですので、会場のイメージとその周辺のイメージが分かりません。ここ数日は、会場周辺でのホテルが便利かと考え探してみましたがどうも歩いても遠いようで、毎日タクシーで会場にアクセスも考えましたが、それなら、展示会場にはPER(高速鉄道)駅があるので、近くの大きな駅の周辺のホテルを探すのもよいかと考えました。

結局選んだのが、飛行機は、手荷物が多いので、エールフランス系列のオランダ航空にして、プラス1万円払えばで23kgまでの預け入れ荷物が2個まで可能です。ホテルは、会場から鉄道で10分の北駅から50mというホテルでシングル6泊で、パリで動く分を含めてもトータルの旅費が20万円程度で、一人旅で1週間ヨーロッパに行くことを考えると非常に安いなあと思います。これで最低限のパリへの準備ができましたので、あとは基本、自分の身の回りのことは身一つで行く気持ちで、ハンガーを作ったり展示会そのものの準備です。

日程は、2月11日出発の2月19日朝帰国予定で、展示会は、12日が準備、13日から16日が開催という予定で、展示会だけのための旅行ですが、ホテルを市内の便利なところにしたので、毎日、展示会が終わってからはホテルの周辺を中心にパリの街を散策して分転換もできるのではないかと思います。

今回のテックスワールドも申し込みが過ぎているにもかかわらず、ジェトロの専門家のお力をお借りして、展示会の代表の方の特別の計らいでベストなリネンのセクションに出展させていただけることになりました。やりたいなあと思ったことが実現する、本当に幸運をいただいております。ヨーロッパのリネン関連の企業さんが扱われているもののイメージが分かりますので勉強になることも多いのではないかと市場調査としては最高です。私自身も林与のリネンや本麻の世界をヨーロッパの方に知っていただくために自分の世界をPRできればと楽しみにしております。

今回、会期的にはテックスワールドはプルミエールビジョンと同時期ですので、プルミエールビジョンにお越しのアパレル関連の皆様も林与がテックスワールドに出ておりますので時間がありましたら小さなブースではございますが林与ブースにもお立ち寄りくださいませ。
2012年01月19日
展示会ごとにカラーのディクテイションあります。これは、企画としての展示会の全体的な統一性をもたせるためには大事なことです。一方で、林与には、自社の色のテイストというものがあります。それというのは、画家が絵を描くときに使う独自の色の好みに似ています。自由度を高めるとそれは作風を消すことになります。林与の場合には、絵の具は基本リネンやラミーの麻の染め糸なのです。

海外の展示会などではリネンの先染で色のついた世界があったりするのですが、色の感じがまったく違うのです。ヨーロッパのリネンにしてもアジアのリネンにしても日本のほかのリネンにしても、林与のリネン糸やラミー糸というのは色味が独自で色数も多いながらも色をいつでも再現できるように色ぶれの少ない形で色を残し続けています。逆にいうと、一回限りの色というのを作るのを嫌う傾向もあるのは事実です。それをすると林与の麻の世界の色の統一性というものがブレてしまうからです。

アパレルのデザイナーさんがシュミレーション下さることもあって、それに近いものを機の上で再現するケースもあるのですが、それぞれの色糸を一番近い色を選べば一番よい感じのものができるのかというと、全体の色の強弱のコントロールというものは非常に難しいものです。敢えて、デザイナーさんの作られたいイメージを尊重しながら、色を触って全体の色の統一性を持たせることをすることがあります。実際に絵を描くのが林与的なところで、そこに林与でつくるものづくりの力の差が出るのではないかと思います。仕上がりを見て色を校正するようなものですが、通常、着分を作った後に色を変えられないので、着分をつくるときにできる限り色調をよいイメージに調整するのです。

林与の色というのは、何十年も使い続ける色がほとんどですので色ぶれというものを気にします。何十年もその色の系統というものは保たれて先染の織物が作られます。これは、日本のテキスタイルのカラーとしては生き残った色たちで、日本の多くのラグジャリーなブランドさんの高級なイメージを支えてきた春夏の色味であって、麻の色のクオリティです。強いて言えば色にしても日本らしいテイストというだけではなく日本のクオリティというものがあるのではないかと思います。アパレルさま向けの自社提案柄では、原色をほとんど使わないところもありきたりにはならないことのひとつです。

そのあたりが、イギリスやスウェーデンのプリント柄の色調と違うところで、林与の色のテイストは麻の世界の流れを汲んでいるので和のテイストあるいは草木の色を思わせるようなワビサビの世界の色なのです。今の時代に、衣食住が変わっても、変わらない日本の自然の中の日本人が愛してきた色味というものが今も生き続けているとは思います。色を守るというのも芸術的なセンスだけでなく、どこまで自分の作風をもって布を作るのかというところがあるかと思います。一方で、完全なOEM的なご依頼もお受けしてはおりますので、製造業として他の方のものづくりを支える部分も大事ではあると、使命というものはいくつもあるものだと分かった上で自分の味を残しています。
2012年01月18日
今朝は、紡績会社に電話を入れてリネン糸の在庫確認などを行いました。ファンド事業の認定を受けているアイリッシュリネン140番手は手持ちの糸の在庫がなくなれば本当の幻となってしまう世界です。その世界をより身近に楽しんでいただこうとすると、フランス、ベルギー産のフラックス原料を使用した現行の糸を使うというチョイスになるのではないかと思います。

現行の糸でどこまで、ビンテージの糸の風合いに迫ることができるのかというのは、その時々のロットの加減にもよりますし、また、今年は不作の年であったと聞いておりますので、昨年の良質な原料が残っているのかにも仕上がり具合はかかってくると思います。不作の年ほど、繊維が細く、実質番手が細いというような話も遠い昔に聞いたこともありますが、実際に糸を手にして織り上げて自分で評価をしてみるしか方法はないのかとも思います。

お昼前に、新卒採用の件に関しまして地元の高校の就職担当の方がお見えになられまして1時間ほどお話をさせていただきました。今の時代、就職が困難ということではありますが、職業や職種にかかわらず目の前にある仕事を前向きにできるかどうかというあたりになってくるかとは思うのです。前向きに続けていると差が出てくるもので、力のある人でも前向きに動いていないと、分からないままにほっておくことが増えて、それが後から分かるようになるということはほぼ不可能です。

お昼には、2本ビームを出機さんにもっていき織りつけや納期の確認などをして、織りあがった反物を持ち帰りました。午後からは、業界新聞紙の方からの原稿の入稿のお話と百貨店からお電話をいただきました。仕事関連の出荷も今日は5件ほどあって夕方には出荷をすませました。リネンなどのビーカーがあがってきてそれを染工場の方が会社に持ってきてくださいました。夜には会社で織っているストール関連の織機の配分計画などを練り直しました。調子よくは織れているのでキズなども少なく安心しています。本生産の最中ですので手一杯になってしまっていますが、本生産の時期が終わってからも広がりそうな部分も多い気がしますし、ハンカチに使う林与の紙箱のお話もうまくいきそうで、良いこともたくさんあった一日です。
2012年01月17日
今日は、今年で一番よい天気で、空気が澄み渡って空も青空、いい感じです。午前中に、大阪の問屋さん、東京のアパレルさん、百貨店のバイヤーさんがある企画の件で弊社に起こしになられるということで、朝一番に出機さん用に糸を準備して、駅に迎えに上がりました。

バイヤーさんが求めてくださっているものは、特に林与の市場性を求める部分ではない趣味的というか道楽というかみたいなものづくりの部分と、方向性とすごく似通っている部分があるなあとは思うのです。そう思うと、昔の百貨店に置いてあるものというのは、百貨店にしかなかったような気がします。話を広げていくと、商店街のお店にあって、スーパーにはない世界があったのです。それは、日本の商売の専門性です。文房具屋さんには、売れないようなものでもしっかりと店頭に昔はいつでも在庫として置いてあったのです。しかしながら、今の時代は、ノーインベントリー。回転の遅い売れないものは店頭においてもらえない時代で、専門的なお店というものが少なくなりすぎ、どこでも同じようなものしか並んでいません。お店においてないので、お店の人ですらもそれが実際何なのか実際お客さんのもとめていることができるのかわからない状態で、お客様と接することになってしまいます。

また、開発したら売れるようなものでも、だれもが売れることが分からないと作らない時代です。昔あったワープロのようなプリンタ一体型のノートパソコンを作れば、簡単に何万台と売れるでしょうが、売れるのが分かると1年以内に大手が参入して価格競争になり商品サイクルはすごく短いのです。昔あった技術でも今再現することができない一例です。
2012年01月16日
今日は、午前中彦根の組合で、午後からは、奈良でアトリエ兼縫製教室を主宰されていますツルミルさんが弊社にお越しくださいました。来年秋の企画ごとに動かれていてそのお手伝いをということでのお話です。

お話をさせていただいていても、ご自身で生地を扱っておられるなあということはよく伝わってきます。私が布づくりに関してのお話をさせていただいていても吸収される力が高いので即断できることが多く、企画に関するサンプリングなども数時間の間にトントンと前に進んだ感じです。

その後、夜に県立大学の研究室の方が麻生地を探しにお越しくださいました。こちらもある企画でカーテンをおつくりになられるそうなのですが、それに適した生地がないかということで見に来てくださいました。在庫でフォローのできやすいものから、生成やオフ白、ベージュをベースに麻100%のものを中心に10数点提案させていただきました。

雑談がてらデザインのプロの方に、これをこう使うとこんな感じになって周りから見るとこんなふうとか、野暮な…。林与は馬鹿ですね。まあ、そういう話の中で生地の特性とか、使い方とか、手を加えるときのバリエーションの展開など、それなりにプロ向けのアドバイスが含まれているのはいるので選んでいただくときの判断材料になるかとは思います。

今日の仕事は夜からで、夜は織っているもののトラブルがあったということで、織りあがりの確認の作業を行い対応を検討いたしました。そのほか輸出関連の対応など、一日にしないといけない仕事というのは、仕事がないといわれる時代ながらも本当に多いものだなあと思います。
2012年01月15日
今日は海外向けのスワッチの手配を行いはじめました。海外に送るとき、アジア諸国とアメリカはサンプルスワッチなど比較的問題なく送れるのですが、EMSの場合、イタリア、フランスはどうも税関で止められてしまうことが多く、どうやら相手のタックスコードがわからないと処理ができないというようなあたりの話みたいです。でも、バイヤーさん側もタックスコードなんて必要ないと思っておられるので問い合わせても答えてくれないケースがほとんどです。

DHLやFEDEXの場合は、相手がアカウントを持っている場合にはタックコードが登録されているので不着のトラブルは少ないのかなあとおもいます。でも、本当の不着の理由というものは明らかにされないので、EMSでなぜ届かないのかはわかりません。分かるかたおられましたら教えてくださいませ。

以前は、プロフォーマインボイスの不備を指摘されて書き直したこともあったのですが、プロフォーマインボイスの体裁を整えても届かないことを経験していますので、やはり、タックスコードの不備の問題が不着の最大の原因ではなかろうかと思うところです。バイヤーさんがそのあたりの事情を知っておられる由もなくリクエストしても教えていただけないケースが多かったりもいたします。

EMSにしても、アジア、アメリカは「samples only no commercial value」という表記で届くケースが多く問題が少ないのですが、EU諸国に関してはそれが通用せず理由も明らかにされないので、ビジネスをするときには非常にリスクあるいはコストを伴う状況になってしまいます。
2012年01月14日
林与のレピアのドビーはドビーカードを使います。ドビーカードというのはプラスチックでできたロール状になったシートで、パンチングマシーンというタイプライターのような機械を使って、ドビー枚数に応じた穴を開けていくのです。てこの原理の感じで、穴を開けたところのドビーがあがります。シャトル織機のドビーもペックというネジくぎと木製のバーを使いますが基本的には同じ原理で、この仕組みは、基本的にジャガード織機も同じで、ドビー枚数が多いイメージの感じです。

今の時代は、カードや紋紙を使わない電子ドビーや電子ジャガードが当たり前になっていますが、林与の織機はそれを考えるとかなり古いタイプです。アジアやヨーロッパの大手のリネンテキスタイルメーカーなどは、最新の織機に入れ替えることで生産性を維持していますが、日本の機屋というものは職人さんが若いときに織機が新しく入ってそれを1代何十年も修理しながら守り続けるようなケースが多いものです。新しい織機がほしいなあと思うようなこともあったりはしますが、古い織機を守って作っていくのも昔堅気でいいじゃないかと思います。

昔の古い織機で、ビンテージアイリッシュリネンやリネン150番手が織れるけども、今の織機では織ることができないというのも、どこか不思議な話です。また、現在の一般的な織機では、織れないほどの細いリネンの糸が紡績されているということもアイロニーではあります。7年ほど前に林与が予想し動いてきた中国リネン紡績の細番手化が現実なものとなり、この数年はその細番手をどう織りこなしていくかに動いてきました。

そういう無駄なチャレンジ経験を積めるような余力が今の繊維業界にあるのかというとなかなか難しいものだったりします。理論や技術的にはできることでも実際にやろうとすると理論や技術じゃあない部分があったりするのです。熱意と忍耐の部分です。本年度は、現行の糸で、リネン150番手のアパレル向けの先染織物に挑戦することにいたしました。これというのは、昔のヨーロッパの高級なリネンの世界の復活に近くなっています。数十センチを織るのに何時間も掛けるような手織りを超えた世界を経験するのもありで、単に織るだけでなく、どこまで味のあるものに仕上げられるかまで挑戦したいと思います。
2012年01月13日
今日は一日中会社におりました。お電話をたくさんいただいた一日で、午後に海外送金の手続きに行ったりしました。別件でも、振込みしないといけない件があって、そちらの件が窓口では電信振込みは午後2時までということで、3時前ぎりぎりで、本日は振り込めないという話で予想外の展開でぎりぎりにでもなんとかと思っているとやはりうまくいかないことも多いものです。

今日は、書類関係も含めて8件ほどの出荷関係がありましたので、その手配に追われておりました。ものを作るだけでなく、ものを作るときの設備の維持や、ものを動かすときの伝票関連など、また、決済で間に企業が入られるなどすると、出荷の連絡先が増えるなど商社以上に複雑な事務面が付きまといます。会社として、そちらのウェイトが重くなるとものづくりのウェイトが落ちることになりますので、それだけはどうしても避けたいなあと思うことばかりです。

今日も輸出の案件で相手が自分はわからないといわれて聞いてほしいと頼まれたシッピング担当の方に問い合わせ話を進めてシッピングデイトを決め、船などをブッキングしたのですが、やはり、間が入られると余計に見えなくなることが多く、そのしわ寄せというものも増えてきてしまいます。

反物というものはそれなりに高価ですので、シッピングなどは空輸にしたほうがよいのかもしれないと思います。今は、糸にしても空輸で取り寄せることが多くなってきています。今回の商品は比較的安価な部類に入るものでしたが、細番手のものなどは目付けも軽いので空輸のほうが手続きも簡単で送料も逆に安く済むケースがあるのかと思います。
2012年01月12日
今、2月末くらいまでの予定が埋まってしまいましたので、3月くらいからの生産の予定を組み始めています。アパレル関連の今の春夏のものというのは大体このあたりで生産の予定は終了になります。2月くらいからアパレルさんの2013年の春夏向けの企画が始まります。1年前から企画を組んでバルクでのお話を前提に進むのが本来のアパレル向けの企画で、1ヶ月でつくるものづくりと、1年掛けてつくるものづくりとでは、かなり思い入れが異なるのも事実です。

ワインなどの世界などでもそうですが、工場の中で化学的に合成して作ったほうが品質は安定していて味も均一です。でも、本当の味を知る人からすればそれはよいものではなく、本格的に醸しての味というのは仕上がりにばらつきがあるのが本来で、本物志向の方こそその意味がわかるものです。そこで、何年の品は良いとか悪いとか、一方で悪い年ほど希少価値が高まったりするのが天然のものなのです。それを代用するがために、合成酒などが出てきて、それを楽しむのも良いことではあるとお思いますが、合成酒を良しとすれば、それはそれで安くて安定したものが作れます。

一番簡単なのは、どこかで探してきてラベルだけを変えるような手法が、一番、楽なものづくりで、それが今の時代の王道的なものづくりであることはご存知の方も多いとは思います。林与も織幅の問題で、広い幅が必要でしたら本番は外部にお願いして生産も可能ですとお客様の希望を鑑み提案することもあるのですが、ほとんどのお客様は、狭くても林与が手がけている度合いの大きいものをほしがってくださいます。実際、自分で作るよりも外部で生産するほうが安くつくれることのほうが多いのです。突き詰めていければ、自分で見本を作るよりも、見本を配っておられるところの生地を提案するほうがバリエーションも増え、リスクも少なく楽なのですが、楽に逃げると他と代わり映えのしない味のない世界です。

私自身考えるのに、インスタントラーメンってどうして変わらないものなのに究極のものというのができないのかなあと思うのです。そんなものができれば売れて売れて仕方がないと思うのです。でも、よく考えると、いつも同じ味のものというのは飽きちゃうんですよね。揺らぎみたいなものがあってこそ、価値が生まれることのほうが多い。

京都にも、全国にチェーン展開しているラーメン屋さんがあったりしますが、本店のラーメンはやっぱり本物でスープから正しく取っています。毎回、味に揺らぎがあったりするのですが、許容範囲にさえ収まっていればそれはそれで、本物の味なのです。チェーン店のものは、大きな工場で一貫生産されていて揺らぎが少なくいでしょうが、それはビジネスであり、マニュアル化されてしまって、目の前で調理している人の味の追求みたいなものは少ないのです。

それを考えると、リネンの仕上がりというものが毎回微妙に異なり、また、時間とともに変化していくのでそれはそれで本物としての価値ではないかと思うのです。
2012年01月11日
今日は、午前中、神戸港の倉庫に輸出用の出荷分を納めに行きました。新たな経験だったのですが、海運の現場というものは相当ラフな感じがします。アウターゾーンに突入したかのような粗暴さがあって、高価な反物を送るときには輸送業もしっかりと選ばないとならないなあと思います。

午後からは東京のJETRO本部で、欧米ブランド向けの商談会が午後4時からありました。荷物も生地ハンガーなどで相当重かったので車で行きたかったのですが、時間的に無理で、神戸出発前に生地ハンガーなど準備して、神戸から京都まで車で戻ってのぞみで、4時ぎりぎりに会場に入りました。

今回は、特別にジェトロの女性の方がブースでアシストくださってほんと助かりました。一人でなんとかなると思っていたのですが、送付するハンガーの管理やバイヤーさんとの話をするのを考えると、一人での対応というのは限られてしまって、話だけで2時間ほど10社ほどさせてもらうと、そのときはしっかりと覚えていても、商談会が終わると、どのブランドさんと何を話し何をお約束したのかが、ごちゃごちゃになってしまいます。

春夏向けの商談会ということもあって興味はたくさん持っていただきました。リネンのこの半年は展示会続きで、あまり新作ができていませんで、3月4月には、新作のものをいくつか作ってみようかと考えています。あと、海外向けの英語版の会社案内が必要だなあと思いました。
2012年01月10日
昨日は、「成人の日」で、今日は連休明けです。本当に1月というのは仕事が回りにくいものだなあと思います。自分自身が全力を出そうとしても銀行振込みひとつができないので待たないといけないのです。海外からものを購入する場合など、まだかまだかと振込みの催促があるのですが、お正月って明けて、5日、6日と稼動するだけで、次は10日みたいな感じです。

特にヨーロッパとのやり取りでは、時差の問題が絡んできますので、海外送金に質問などがあったり、海外送金した振込みの紙などをメールに添付して送ろうとしても確認が次の日ということで、1月頭から中ごろにデッドラインを作られてしまうとその対応こそが、日本の1月の事情からすると難しいものです。

ヨーロッパの国なんかは、クリスマスバケーションがあったりするので、明けた1月というのは仕事が動いていて当然みたいな、時差以外にも、バケーション差みたいなものが、噛合うのを難しくします。アジアでは、中国が旧正月にもうすぐ入りますので、それはまた1ヶ月の間、世界生産の何割かの部分が止まることを意味します。

これは相手の企業が云々だけでなく、税関や輸送関連にしても動きが不確かになりますので、納期に関しても不確かな要素が増え、トラブルも増えてしまいます。通常の納期設定などを守ろうとすると、年末の22日過ぎから1月中ごろまでの1ヶ月間というのは、ストレートには物事は進みにくいものです。
2012年01月09日
絵を見て楽しむ、本を読むのを楽しむ、など、絵の美しさやストーリーの展開の面白さの部分が評価のひとつではないかと思います。また、その作者の人生観のようなものを捕らえるというのもシリーズを見たり鑑賞したりすることで、ファンとしては大事だと思うのです。

カリフォルニア大学アーバインキャンパスのイクステンションにいたときに、フリーダカロについて発表をするというのがありました。メキシコ人の女性画家でみたいな話で、絵がシューリアリズムで怖さを感じるような側面のある作風で、その女性画家のことに興味をもったというよりも、その作風がどうして出来上がってきたのかというところに彼女の人生が作品として現れているというのを強く感じました。

たとえば、人物画の中にサルが作品の中に出てくるのです。それは、彼女がサルを飼っていたこともあるかとは思うのですが、それ以上に、中学生のころに交通事故で子供を生むことのできない体になった彼女の寂しさを表す象徴のひとつとしてサルが出てくるのだと思いました。

色使いは綺麗ながらも作品を見ていても売ろうとかいう意図のあるものではなく、作品の中に自分自身の世界を表現するのが大事であるというような気がします。しかし、あのような重い作品を買って今などに飾るお客さんがいるものだろうかと思うのですが、芸術の世界というのも最終的には哲学に結びつくので作品としては評価は高いのであると思います。

ピカソにしても青の時代が比較的写実であったのに、キュービズムに傾倒していったのも、目の前にいるモデルたちの内面までもが絵にでているということだといえます。ピカソの作品のなかでも、私の好きな作品のひとつにアルルカンに扮するポールというのがあります。本当に写実的でピカソらしくないのですが、ポールはポールだという表れではないかと思うのです。

キュービズムにしても表現技術の問題ではなく、ピカソ自身が感じる自分の世界を表現しているということだといえ、ピカソは絵を描いているときに上手に書こうというのではなく、自分の感じたことをそのままに表現してそれがわかる人にはわかるというところが偉大なのだと言えます。ひとつの作品だけですとそれは見えてこないかもしれませんが、いくつもの作品に流れる共通した要素を感じることで作家の人生観を感じることが可能なのです。

絵なんて本物は何億円、絵の写真だとネットでも無料で見られますが、その何億円の価値というのは、ピカソ自身の人生観が価値を生み出しているのだといえます。ゴッホの耳を切った話なんかも有名ではありますが、耳を切ることと絵のすばらしさなんて関係はないと思うのですが、ゴッホの人格というものがゴッホの絵の価値の評価に大きく影響をしているとは思います。

ピカソやゴッホにしても、絵を描き続けるのを支えることのできる人がいたことは幸運ではあったかと思うのです。今、日本にもたくさんの芸術的な活動をされている方がおられますが生活を立てるのは非常に難しい世界であると思います。特に、綺麗系ではないシュール系のものというのは、哲学的で芸術本来のものであるかと思うのですが、飾るようなシチュエーションの想定が難しく、商品としての価値はつきにくいものです。
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